第五章

第1話 追跡

 翌朝、氷室は森崎のマンションへと向かった。

 しかしそこには車がなく、また、留守なのか人の気配がない。

 今年は猛暑で、10月になろうと言うのに未だエアコンが必要な状態であるが、電気のメーターの動きも緩かった。

 出勤したのだろうか。

 氷室は直ぐに森崎が務めるK書店出版に電話を掛け、森崎が出勤しているかどうかの確認を取ることにした。


 ──大変申し訳ありません。森崎は感染症に罹ったとのことで、暫くお休みを頂くことになりました。


 文芸編集部の社員はそう前置くと、伝言があれば承ると言った。

 嘘をつけ。

 自分を罠に掛けるため、どこかに潜伏しているに違いない。

 ならば返り討ちにしてやる。

 氷室は車に乗り込むと、先日家宅捜索で協力を依頼した、佐伯のマンションの管理会社へと出向いた。


「え? 森崎さん……ですか?」

「ええ。彼は先日の中野のマンション、それから江東区のマンションの他に、何かしらの不動産を所有していたりしませんか?」

 家宅捜索にも立ち会った50がらみの担当者は、薄くなった頭を掻きながら、暫くお待ちくださいと言ってパソコンに向かった。

 氷室はカウンターの前をウロウロとしながら結果を待つ。

 とにかく落ち着かなかった。

「う~ん。お住まいにするにはちょっと難があると思いますけど……。これね」

 そう言って、画面を氷室に向ける。

 そこには、コンクリと木壁で出来た、物置のような荒れ果てた建物の写真が写っていた。

 氷室の胸が高鳴る。思わず、これかと声に出した。


 

「ええ。でも、八王子の……ホント何もない山の中にある、物置みたいなところですよ?」


 *   *   *

 

 氷室は中央自動車道に乗り、八王子へと向かった。

 東京とは思えない田舎道を通り、山の中を走る。

 道の両端は鬱蒼とした木が茂っており、細い道をより細く感じさせた。

 チラホラあった古い家も全くなくなり、本当にこれで間違いないのだろうかと不安になった頃、右手に管理会社の社員に貰った資料と同じ錆びた門扉が目についた。

 少し道路から中へ入ったところにあるため、車だとうっかり見過ごして通り過ぎてしまうところだ。

 氷室は車から降り、その門扉に近付いた。

 チェーンが巻かれ鍵が付いているが、よくよく見れば、錆が擦れたようになった部分がある。

 誰かがここを乗り越えたのかもしれない。

 氷室はふと足元に視線を落とした。

 草が折れている。

 それは門の向こうまで続いていた。最近車でこの中へ誰かが入ったと言う事か。

 氷室は車に乗り込むと、数百メートル先のカーブを越えたところまで移動し、路肩に車を止めた。

 ここから歩いて先程の場所まで戻るつもりだ。

 スーツの上着を助手席に放り込み、袖を捲る。

 そして、車のトランクから、足首にナイフを装着するレッグホルダー取り出した。

 警察官であっても、常に拳銃を携帯している訳ではない。拳銃は厳重に保管庫の金庫で管理されている。

 それに、氷室はナイフを使い慣れていた。

 獲物を締める時にも、解体する時にも、デザインする時にも重宝する。

 無駄に獲物を傷付けることもなく、美しく仕上げる事が出来ると言う点でも気に入っていた。

 足首にナイフを装着すると、氷室はパンツの裾を下ろし立ち上がる。

 車にロックを掛けると、氷室は先程の門扉へと急いだ。

 気持ちが逸る。

 森崎への憎悪が腸を焼く。

 なのに、不思議な程の高揚感が氷室を包んでいた。


 

 だから気付かなかった。

 助手席のジャケットにスマホを入れたままになっている事を。

 そしてそれが今、着信を告げている事に。

 

 *   *   *


「出ましたか?」

 警視庁の会議室で、森永は深々と眉間に皺を刻んでいた。

 定例の捜査会議に、氷室、翔平が揃って姿を見せず、登庁もしていなければ、何の報告もないと言う。

 気になった森永は捜査員に電話するよう命じたのだが、応答がないと言うのである。

「内海刑事の方は?」

 森永に、苛立ちを含んだ視線で睨まれた捜査員は背筋を伸ばすと声を張り上げた。

「そっちの方も連絡がつきません!」

 やたらと大きな声に、周囲の捜査員は顔を顰め、森永は長い溜息をついた。

「何か……あったのかもしれません」

 氷室が連絡もなく、こういった行動をとった事はなかった。

 そのせいで、酷く嫌な予感が森永を包む。

 まさかとは思うが、捜査員が捜査対象に狙われると言う事が過去になかったわけではない。

「渡邉さん」

 森永は、会議室の窓際にどっかりと座る、1斑の班長、渡邉を呼んだ。


 

「すみませんが、氷室刑事と内海刑事の自宅に、誰か様子を見に行かせて下さい」


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