第2話 潜窟

 門扉の前まで戻った氷室は、錆びた扉に手を掛け体を持ち上げた。

 そして、そのまま扉を乗り越える。

 白いワイシャツに赤い錆が付いたが、氷室は気にすることもなく、荒れた道を進んだ。

 道の両側には高い木が生え、それが空すらも隠している。

 聞こえるのは風が木々を揺らす音だけだ。

 暫く歩くと、急に木々が途切れ、開けた場所にたどり着いた。

 目の前に現れたのは、不動産会社で目にした、あの物置のような建物──。

 慎重に周囲を窺いながら近づく。

 建物は蔦が絡みつき、背後にある木々に紛れるように建っていた。

 氷室は激しい高揚感を感じた。

 それはまるで、子供が秘密基地を見つけた時に等しい。

 氷室はゆっくりと深呼吸をした。

 油断してはならない。ここは敵の縄張りなのだ。

 ゆっくりと、建物の周囲を回る。

 側面に鉄製のドアがあったが、その他には窓ひとつない。

 つまり、中に入ったら易々と外に出ることは出来ないと考えた方が良いだろう。

 電気も来ていないようで、水道設備もなさそうだ。

 唯一、裏手にタンクがあったが、雨水を溜めたもののようで、飲用には向かなそうである。

 氷室はもう一度ドアのところへ戻った。

 ドアには鍵すら掛けられていない。

 氷室は建物から一旦離れると、足元に転がる石を拾い、ドアへと投げつけた。

 重い音が鳴り響く。

 そしてそのまま1分間様子を見る。

 風に煽られ木々が揺れる音、草の青臭い臭い以外、何の気配もなかった。

 どうやら今は誰もいないようである。

 氷室は姿勢を低く保ったまま建物に近付き、ドアの前でしゃがみ込むと、少しだけドアを引いた。

 何の反応もない。

 次にそっと中を覗き込む。

 ドアの隙間から差し込む光が、氷室に少しだけその中を見せた。


 ──実験室?


 頭を引っ込め。もう一度自分の周囲を見渡し、安全を確認すると、氷室はそっと中に体を滑り込ませた。

 悪臭に混ざる消毒液の鋭い匂いが、氷室の鼻を突く。

 氷室は袖口で鼻を押さえると、もっとよく見ようと、薄暗い室内でポケットを探った。

 

 しまった──。

 

 スマホがない。

 氷室は舌打ちをしたが、運のいい事に、テーブルの上に懐中電灯のようなものが転がっている事に気が付いた。

 それに手を伸ばして電源を入れる。

 頼りない光ではあったが、何もないよりはましだ。

 そして室内を照らした氷室は、目を見張り、そして息を呑んだ。

 

 これは──!


 そこは、まるで解剖室だった。

 様々な器具が並び、テーブルだと思ったステンレスの台の上には皮のベルトが付いている。

 表面にはタールのようなものと、赤黒くなった蠟のような物。

 更に、壁面にライトを当てると、壁の彼方此方には乾き切った赤黒い跡が点々と残り、床には何かを引き摺ったような痕がついていた。

 その様子に、氷室は次第に興奮してきた。

 床をもう一度照らす。

 室内の隅に、クーラーボックスのようなものが置かれていた。

 近づいて確認する。

「発電機か」

 そこに有ったのは、ポータブル発電機であった。

 これがあれば、電気が通っていなくとも電化製品を使用することが出来、必要であれば照明を使うことも出来る。


 佐伯はここで獲物を締め、そして解体していたのだ。

 それにより彼の神懸った感性が磨かれていた!

 そして今、自分自身がその場に立っている──!

 

 鼻を擽るのは人間の据えた脂の臭い──。

 そして、甘く脳を痺れさせるのは、ここにしみ込んだ、彼の獲物たちの叫び声だ。

 氷室は恍惚とした表情で、アジトの空気を吸い込んだ、次の瞬間。

 氷室はライトを消し、部屋の隅へ転がるように移動した。

 そして、暗がりに息を潜める。


 

 スッと空気が動くのを感じると同時に、先程自分が立っていた場所へ光の筋が差し込むのが見えた。



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