第3話 露呈

「ったく……。面倒くせぇな」

 氷室のマンションのインターフォンを押し続けていた渡邉は、苛々しながら煙草をふかしていた。

 成果の上がらない聞き込みに回るより、こっちの方がラクだと踏んで自ら出張ったのに、とんだ面倒だ。

 そう言えば、昼飯もまだと気が付いた。

 嫁のショボイ弁当を食うくらいなら、後でラーメン屋にでも行った方がいいかもしれない。

 嫁には弁当を食う暇がなかったと言って突き返そう。

 最近嫁が飯を随分と貧層にしたせいで、直ぐに腹が減る。

 それを言うと、その丸々と出っ張ったお腹を何とかしようとしてるのよと逆に嚙みつかれた。

 全く、誰のお陰で飯が食えると思っているのか。

 そんな事を思っていると、鷲津不動産と大きく書かれたプロボックスがやって来た。

 森永に、家まで来たが応答がないと連絡すると、管理会社を手配したのだ。

「お待たせしましたぁ。鷲津不動産の石田ですぅ」

 プロボックスから降りて来た男は、そう言って鍵をちらつかせると、こちらですと言って渡邉を誘導した。

 その後ろを、渡邉は不機嫌顔で付いていく。その無言の圧に耐えかねたか、石田はへらへらとしながら口を開いた。

「氷室さんとは昨夜お話したばっかりなんですけどねぇ」

「なんだと?」 

 ドスの利いたダミ声でそう返すと、石田は驚いて渡邉を振り返った。

「いえ、別に何にも変わった様子はありませんでしたよッ?

 ずっと車の中で着信音が鳴っているってご近所からクレームが有ったんで、お伝えしたまでです!」


 つまり、昨夜はここにいたと言う事か──。


「とにかく、部屋の鍵を開けろ」

「はいはい……」

 部屋のカギを石田に開けさせてドアを引くと、あっさりとそれは開いた。

 チェーンロックをしていないのか、出掛けているのか……。

 ふと玄関を見ると、スニーカーが1足ある。

 随分と履き込んであるが、氷室の趣味とは思えない。

「おい! 氷室! いねぇのか!」

 念のため呼びかけてみるも、室内はしんとしていた。

 僅かに聞こえるこれは──冷蔵庫のコンプレッサーの音か。

 渡邉は革靴を脱ぐと、部屋に上がった。後ろを石田も付いて来る。

 渡邉はじろりと石田を睨むと、なんでも触んじゃねぇぞと一喝し、室内を見て回った。

 リビング、ダイニングはスッキリとしており、落ち着いたアースカラーの家具で纏められている。

 そしてキッチンは驚くほどきれいに片付けられていた。

 しかし、冷蔵庫を開けるとしっかりと食材が詰まっているあたり、自炊しながら、片付けも完璧だと言う事だろう。

 渡邉はフンと鼻を鳴らした。

 とても男のひとり暮らしとは思えない片付き様だ。

 自分が結婚する前は、6畳一間の安アパートで、布団は敷きっぱなし。

 台所のシンクには、いつもカップ麺の空とビールの缶がゴミ箱替わりに放り込まれていたものだ。

 

 ──女の腐ったような野郎だな。


 次に寝室へと入る。

 Wベッドが中央に配され、その隣には冷蔵庫。

「生意気に寝酒なんかしやがるのか」

 言いながら冷蔵庫に近付く。すると、床にシミがあるのに気が付いた。

 この部屋はピースカーペットが敷き詰められている。

 ひょっとして酒でも零したか。

 渡邉はそんなことを思いながら膝をつき、鼻を近づけた途端、顔を顰めた。


 違う。こいつはションベンだ──!


 その時である。

「うわあああッ!」

 盛大な叫び声と共に、石田が寝室に転がり込んで来た。

「なんだ、うるせぇ野郎だな!」

 渡邉が振り返ると、石田は舌を噛まん勢いで顎をガタつかせ、渡邉に縋りついて叫んだ。


 

「人ッ! 人が死んでる!」


 *   *   *


「内海刑事……」

 森永はバスルームで冷たくなっている部下の名を呼ぶと、その場に膝をついた。

 俯き、無言でくしゃりと前髪を掴んでいる。

 その場の誰もが言葉を失っていた。

 初めて目にする森永の憔悴した姿。そして、仲間の骸に。

「写真は撮ったんで……、とりあえずここから出してもいいですか」

 翔平と同じ年の頃の鑑識員が言う。

 竹山は、「ええよ」と森永に代わって頷いた。

 そして、呆然としている森永を支えると、ゆっくりと立ち上がる。

「ほな警部、向こう行こか」

 鑑識員によってリビングに運び出された翔平は、目を見開いたまま、バスルームにいた時と同じ格好で横になっている。

「間接の硬直の状態から見て、12~15時間っちゅうとこか。後でT大法医学教室の月見里先生に連絡入れておきますわ」

「ええ……」

 森永は力なく返事をした。

 今一体何が起こっているのか。必死に考えていた。

 出来る事、しなければならない事を考えねばならない。

 なのに、浮かぶのは──。


 ──今、病院から連絡がありました。佐伯から暴行を受けた百田刑事ですが、意識を取り戻したそうです。

 ──良かったぁ。

 ──知り合いだったのか。

 ──全然。でも、同じ警察官じゃないっすか。


 捜査会議の後に、そうやって見せた優しい笑顔。

 純粋で、優しい若者──。

「警部」

 ぽんと、竹山の節くれだった手が森永の背を叩く。

 まるでそれが合図のように、森永の目から涙が零れた。

 全員が、遺体を取り囲むようにして手を合わせる。室内がしんとした静寂に包まれた。

 ──のもつかの間。

「けっ、警部! 寝室の冷蔵庫から、人間の頭部が出ました!」

 寝室から駆け込んで来た捜査員の一言で、室内がまた騒然とした。

「行きます」

 鼻を啜ると、森永が立ち上がる。

「こちらです!」

 寝室に入ると、捜査員が冷蔵庫を開ける。

 そして引き出しを引くと、わっという声が上がった。

 冷凍庫の中から出て来たのは、女の頭部。

 そして誰もがその顔を捜査本部のホワイトボードで見ていた。

 埠頭での第一の殺人の被害者、佐伯美憂。

 森永はゆらりと立ち上がると、背後の捜査員を振り返った。



「氷室刑事……いえ、氷室正臣を緊急手配して下さい!」

 

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