第2話 咆哮
気付けば朝になっていた。
開けっ放しのドアの隙間から陽の光が入り込んでいる。
ざわざわと木々の葉が擦れ、揺れる音。そして小鳥の囀る声を聞きながら、佐伯はゆっくりと体を起こした。
コンクリの床で転がっていたせいで体中が痛いが、頭はスッキリとしていた。
はっと息が漏れる。
肩が、体が震えた。
くつくつと言う押し殺した笑い声と共に──。
「ただいま……」
佐伯は天井を見上げ言った。
自然と笑みが浮かぶ。
6年ぶりに帰って来たのだ。
ここに。
そして取り戻したのだ。
記憶を。
佐伯は立ち上がり、小屋を出ると、裏手のタンクの水で手を洗い、顔を洗った。
木々の隙間から差し込む朝日が心地良い。
転がっている大きな石の上に腰を下ろすと、昨日買ってきたパンと缶コーヒーで腹を満たした。
自分が何者なのかはっきりした。
この事を森崎に知らせるべきだろう。
彼は、作家であり、殺人鬼でもある徳井呰鬼英のサポーターだ。
佐伯はポケットからスマホを取り出した。
しかし、ライトをつけっぱなしで放置していたせいで電源が落ちている。
仕方なく森崎から渡されたバッテリーに繋いで充電を開始した。
暫くするとスマホが立ち上がり、次々と通知が上がってくる。
株などの経済関係のニュース、企業アプリの通知。
そして──。
佐伯の手から缶コーヒーが落ち、地面に褐色の液体が吸い込まれていった。
ポータルサイトのニュース通知を、震える指でタップする。
佐伯の顔は次第に怒りに満ち、噛み締めていた口を開けると、獣のような叫び声を上げた。
* * *
「警部! サモトラケのニケの身元が分かったそうですね!」
「逃走中の容疑者の妹だと言われていますが?」
「アートワーカーを公開捜査に切り替えるべきじゃないんですか?」
「ねぇ警部! 何とか言ってくださいよ!」
記者たちの声が響き渡る。
森永は、その中を険しい表情で泳ぐように歩きながら言った。
「今申し上げられるのは、公式発表された通り、ニケが佐伯美憂さんであるという事のみです!」
「という事は、容疑者の妹なんでしょ?」
「こっちも調べてんだよ!」
記者たちは食い下がる。
しかし、それを振り切ると、森永は会議室に体を滑り込ませた。
捜査員の目が一斉に森永へと集まる。
森永はひとつ大きく息をつくと、乱れたスーツを直し、演台の前に進み出た。
起立と言う号令が掛かる。しかし、森永は遮るように片手を上げた。
「挨拶は結構です。座って下さい」
捜査員は顔を見合わせながら、ガタガタと椅子を引きながら座っていく。
その中には勿論、氷室と翔平もいた。
「既にお聞きの通りです。サモトラケのニケが、逃走している佐伯の義理の妹、佐伯美憂である事が、DNA検査によって判明しました」
美憂のアパートを家宅捜索し、そこで押収したヘアブラシから採取したDNAと、ニケがマッチしたという事だった。
「佐伯の行方は依然として知れません。知人の線からも──今のところは何も出ていないのですね?」
そう言いながら、森永は氷室を見る。
氷室は頷くと立ち上がった。
「佐伯の車が、元々は友人であり、編集者でもある森崎の所有であったことから揺さぶりを掛けましたが、任意での聴取では目立った供述は得られませんでした」
「そうですか……。他にはなにか」
「個人的に、佐伯──いえ、徳井呰鬼英について調べていたところ、彼の過去の作品から興味深いエピソードを発見しました」
「興味深い──?」
会議室にいる全員の目が氷室へ集まる。
翔平もぽかんとして隣の氷室を見上げていた。
「遺体を芸術品に模して晒すというエピソードです。それがまさしくニケ、ウィトルウィウス、モナ・リザでした」
氷室の突然の報告に、会議室がざわついた。
森永も、それは本当かと驚いている。
「はい。佐伯がアマチュアの頃にコピー本で発表した物に収録されていました。
これはコピー本の為、そもそもの発行数も少なく、コアなファンの間では高値で取引されている代物です」
「それを見つけたんですか?」
「こちらです──」
そう言って氷室が掲げた表紙にはこう書かれていた。
『WRONG~胡乱~』
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