第2話 影

 遠方に見える壁。目を凝らすと、その壁には見覚えがあった。


(皇国の壁に似てる……)


 距離が離れているせいで細部までは見えないが、遠方の壁が皇国の壁に酷似していることは確かだった。


 立ち止まって壁を眺めていると、エノディアさんが声を上げる。


「何だろう、アレ?」


 エノディアさんは手をかざし、目を凝らして壁を眺めていた。ただ、彼女には見えないのか、少しずつ前のめりになっていく。


「あれは、壁です」

「壁?」


 エノディアさんが顔をこちらに向け、小首を傾げる。


『ほう、つうことは国か』


 ラルフさんが呟いた。どうやら、穴の中で会話を聞いていたらしい。


『そうみたいです』

『寄るのか?』


 ラルフさんの問いに、どうするべきかを考える。


(寄るか? でも、まだ一日しか走ってないぞ……)


 漆黒の管理者が記した白線は、まだ遥か東にある国を指していた。


(あの国は関係ない?)


「どうしたの、いきなり黙って……あ、誰かと話してた?」


 黙って考え込んでいたせいで、エノディアさんが不審そうに声をかけてきた。


「あ、すいません。取りあえず、ここは見通しが良すぎるので、あそこの木陰に移動しましょう。みなさんの意見も聞きたいですし」


 そう言って、木陰へ移動する。そして、ラルフさんとアルシェさんに出てきてもらい、三人に相談した。


「別に寄らなくていいんじゃない?」


 エノディアさんが、自身の意見を口にした。


「あの国は関係なさそうだしな」


 ラルフさんも、エノディアさんと同じ意見のようだった。二人の意見はもっともである。しかし――、


 漆黒の管理者の笑みが脳裏に浮かぶ。


(あいつ)


 頭から離れないその笑顔が、まるであそこに寄らない自分を嘲笑っているように思えてくる。


「道を辿会える」と、漆黒の管理者は言っていた。それはつまり、東に位置する国が最終目的地ではない可能性を示唆している。


あそこにいるのか? けど……)


 国を見つけた時からずっと、背筋に悪寒が纏わりついているのだ。


 闘技場で感じた感覚に近い。しかし、あの時に感じた直接的な身の危険ではなく、何か良からぬことが起きそうな、そんな感覚だった。


(やめ――ッ!)


 拳を握りしめた。そして、一瞬でも躊躇した自分を叱咤する。


「俺は、寄った方がいいと思います」


 最優先すべきは約束を果たすこと。たとえあの国で何かが起ころうとも、可能性があるのなら寄る以外の選択肢はない。


「そう? まぁ、キルトが寄りたいって言うならいいんじゃない」

「俺もどっちでもいいぞ」


 二人はあっさりと寄ることを了承してくれた。


「どうせ、外には出れねぇし」


 続けざまにラルフさんが呟く。それに、エノディアさんがすぐに反応する。


「あ、拗ねてる~」


 茶化すようなエノディアさんの態度に、ラルフさんは不思議そうに告げる。


「何言ってんだ、エノ。キルトが国に行くなら、お前さんも穴ん中だぞ?」

「……え?」


 ラルフさんの言葉を聞いた途端、エノディアさんが凍り付く。そして、まるで錆びついた機械のようにゆっくりと顔をこちらに向けてくる。


「あッ……その、すいません」


 ラルフさんの言う通り、アルシェさんを肩に乗せたまま国には入れない。そのため、エノディアさんも一時的に穴の中に入っていてもらう必要がある。


「ププ、早とちりしてやんの」


 ラルフさんがエノディアさんに顔を近づけ、全力で揶揄う。


「ラルのおっちゃん、うっさい!」

「逆切れか。ったく、ガキんちょだな」

「ッ!? あったま来た!」


 エノディアさんが羽を広げ、ラルフさんに飛びかかる。


「甘めぇ!」


 しかし、ラルフさんは身を翻し、素早い動きで避ける。エノディアさんは諦めず、二人はそのまま自分とアルシェさんの周りで追いかけっこを始めた。


「アルシェさん、何か案はないですか?」


 騒がしい二人を放置し、アルシェさんに声をかける。二人を放置して声をかけたたからか、アルシェさんは固まってしまう。


「なんでもいいんです。お願いします」


 真剣な眼差しで目を合わせると、アルシェさんが静かに口を開いた。


「あの国に出向きたいのであれば、まず諜報に適した者を先行させるのが得策かと思います」

「なるほど、確かにそうですね。アルシェさん、ありがとうございます」


 笑顔を浮かべて感謝を告げると、アルシェさんは驚いた顔をし、瞳を揺らす。


(となると……)


 『一夜さん、小夜ちゃん。頼みたいことがあるので、出て来てもらえますか?』


『はッ』


 黒い穴を出現させると、二人の男女が現れ、自分の目の前で跪く。


「何か御用でしょうか、キルト様」


 頭を下げたまま、男性一夜さんが尋ねてくる。


「……」


 男性の言葉遣いを聞いた瞬間、得も言われぬむず痒い感覚が沸き上がる。


「一夜さん、その――」

「小夜ー!」


 声をかけようとした瞬間、エノディアさんが二人に気付き、一直線に飛んできた。そして、女の子小夜ちゃんの顔に抱きつく。


「大丈夫? 穴の中で、ラルのおっちゃんに何かされなかった?」

「エノちゃん。だ、大丈夫、だよ……ふふ……」

「ん? どうしたの、小夜?」 


 女の子小夜ちゃんがくすぐったそうに笑いを堪えているのに気付き、エノディアさんが首をかしげる。


「エノディアさん、たぶん羽が顔に当たって、くすぐったいんだと思いますよ」

「あ! ごめんごめん」


 エノディアさんが慌てて顔から離れる。


「ごめんね、小夜」

「う、ううん。……た、ただね、今はキルト様の前だから……」


 女の子小夜ちゃんは少し困った表情を浮かべながら、小さく呟く。


「あー……」


 思わず、女の子以上に眉尻を下げてしまう。


「一夜さん、小夜ちゃん。前にも言いましたけど、その『様』っていうのは止めて下さいって。俺は、そんな大層な奴じゃないんですから……」

「いえ、それはできません」


 一夜さんは頭を下げたまま、毅然とした態度で断った。


「キルト様は、妹を助けてくださった恩人です。そして、私の命も救ってくださいました。そんな御方を呼び捨てにするなど、できるわけがございません」


 頭を下げ続ける二人に困惑していると――、 


「二人がそうしたいって言うんだから、いいじゃん」

「え?」


 驚いて声の方を向くと、エノディアさんがこちらに近づいて来ていた。そして、衝撃を感じさせないほど軽やかに肩の上に座る。


「だってキルトも、いくら言ったって『さん』付け止めないじゃん」

「いや、それとこれとは……」

「俺も気にしねぇのに、毎回『さん』付けで呼ばれるな」


 ラルフさんも近づきながら会話に加わってきた。


(エノディアさんと、ラルフさんを呼び捨て……)


 呼び捨てにする自分を想像し、顔を顰める。


「……わかりました、『様』付けでいいです」

「強情なヤツ」

「ね~」


 その後もブツブツ言い合っている二人から顔を背け、一夜さんに話を戻す。


「二人を呼んだのは、あそこに見えてる国にホリィがいるのかを調べてきて欲しいんです。それと、国の状況も調べて来てくれませんか?」

「承知しました」

「あ、ただし、絶対に無理はしないでください。もし危険を感じたら、すぐに戻って来てください」

「かしこまりました。小夜」


 一夜さんが名前を呼ぶと、小夜ちゃんが顔を上げた。


「私が国の状況を調べるから、小夜はホリィ娘さんを探すんだ」

「はい」


 短いやり取りを終えると、一夜さんが「行ってまいります」と頭を下げ、まるで水中に潜るかのように音も無く木陰の中へ消えた。


(おお……)


 感心していると、自分の影をじっと見つめていた小夜ちゃんにも変化が起こる。小夜ちゃんの影が、体から離れたのだ。


「小夜、気を付けてね」


 小夜ちゃんは頷き返すと、 体を残して国へ向かって駆けて行った。


「すごいな」


 二人の力について話は聞いていたが、実際に目にするのはこれが始めてだった。


「あ、ありがとうございます、キルト様」


 感嘆の声が聞こえたのか、ぎこちなく頭を下げる小夜ちゃん本体


「そういえば、小夜ちゃん本体は話せるんだっけ?」

「はい。今回は半分くらい残してるので、その……話せます」

「ん? 何の話だ?」 


 ラルフさんが、疑問を口にしながら小夜ちゃんの方を見た。その瞬間、小夜ちゃんは全身をびくりと震わせ、体を縮こませる。


「ラルのおっちゃん、小夜を怖がらせちゃダメでしょ!」

「あ? 俺はなんもしてねぇぞ?」

「顔が怖いの。ほら、離れて離れて」


 エノディアさんがラルフさんの顔の前に飛び出し、両手を交差させながら止めに入った。その後、小夜ちゃんの前まで移動して優しい声で話しかける。


「小夜、大丈夫だよ。ラルのおっちゃんは悪趣味だけど、気の良いおっちゃんだから噛みついたりしないよ」

「……う、うん」

「ひでぇ言われようだな、おい」


 エノディアさんはいつも通りの冗談だろうが、小夜ちゃんは本気で怯えていた。


(まぁ、無理ないよな)


 小夜ちゃんは、一夜さん以外と関わったことがない。そして、ラルフさんの見た目。慣れるまで、しばらく時間がかかりそうだった。


「ん?」


 エノディアさんが、こちらを見ながらラルフさんを指差す。


 意図を理解し、頷いてからラルフさんに声をかける。


「小夜ちゃんは、自分の影に意識を移すことが出来るんです」

「意識を移す?」

「はい。影に意識を移して、影を動かせるみたいです」

「そいつぁ面白れぇな! 意識は共有できんのかッ? さっき言ってた半分ってのは何だッ? 一夜の能力は何なんだッ?」

「ちょっ、ラルフさん落ち着いてください」


 ラルフさんが顔を近づけながら、口早に質問してくる。それを手で静止し、一つずつ答える。


「半分っていうのは、意識の配分のことです。小夜ちゃんは好きな分だけ影に意識を移せるので、今回は半分だけ分けたみたいです。ただ、影が得た情報は本体に戻らないと共有できないそうです。それと、一夜さんの能力は見た通り、影に潜る能力なんだそうです。だよね、小夜ちゃん?」


 自分の説明に間違いがないか、小夜ちゃんに確認を取る。一応、まだ怖いだろうと思い、ラルフさんが見えないように体で遮っておいた。


「……はい、キルト様の説明で合ってます」

「ほう、なるほどな。なぁ、何で小夜は意識を分配なんかするんだ? リスクでもあんのか?」


 ラルフさんが声を上げると、小夜ちゃんの肩がびくっと跳ねた。ただ、ラルフさんの姿が見えていないこともあり、おずおずと質問に答える。


「その、影にいの……意識を移し過ぎると、私の体が、えっと……寝ぼけたみたいになるんです。だから、半分半分がちょうどいいんです」

「寝ぼけた? じゃあ意識をすべて影に移すと、小夜ちゃん本体は動けなくなるってことかな?」

「……そうです、キルト様」


(デメリットもあるんだな……)


「ならよ、小夜が安全なところにいれば問題ないな!」


 ラルフさんが頭を突き出し、小夜ちゃんを見つめた。


「ひッ!」

「ラルのおっちゃん、顔見せないで!」

「うるせぇ、好き勝手言いやがって。ここまで言われて黙ってられっか、てめぇら二人とも食ってやる!」


 そう言いながらラルフさんが両腕を振り上げ、小夜ちゃんに向かって走り出す。


「きゃー、食べられる! 小夜、逃げてー!」


 エノディアさんが小夜ちゃんの頭に乗り、ぽんぽんと頭を叩いて叫ぶ。


 そして、今度は三人で鬼ごっこが始まった。


 始めの内は顔を青くして真剣に逃げていた小夜ちゃんも、次第に笑顔を浮かべながら楽しそうに逃げ回っていた。






 ◇◇◇◇◇






(ラルフさんって子供好きなんだな……)


 瞬く間に小夜ちゃんと打ち解けたラルフさん。


 三人が楽し気に遊んでいる光景を眺めているとは、一夜さんが戻って来た。


「キルト様、お待たせしました」

「一夜さん、お疲れ様です。どうでしたか?」


 数秒の沈黙の後、一夜さんは重々しく口を開く。


「あの国は今、内戦が起こっています」

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