第23話 東へ


 着々と、脱出の準備は進んだ。


 武器の扱いを習得し、必要な知識を頭に叩き込み、物資も八割方集った。ただ、心身共に限界が近かった。


 その理由は、不安や恐怖から来る心労。


 ここ最近は一睡もできず、止むことのない頭痛に苛まれ、体は鉛のように重い。


 それでも、体に鞭打って準備を進める。


「時間か……」


 置かれている時計は、十五時を指そうとしていた。重い足取りで自室へ戻ると、保管していた包みを手に取り、宮殿の庭園へ向かう。


 サッカーコート程の広さがある、太陽を模した庭園。


 計算されて植えられた暖色の花々。陽光を再現した白い煉瓦の通路。太陽の位置に設けられた赤い屋根のガゼボには、大理石で作られたベンチが備え付けられている。


 そのベンチに、一人で座っている小柄な女の子の姿を見つけ、駆け出す。


「百夜さん」


 彼女に近づき、声を掛ける。


「和平君」


 名前を呼ばれた彼女は、セミロングの黒髪をなびかせながら振り返り、柔らかな笑みを浮かべた。


「ごめん、待たせちゃったかな?」

「ううん、私も今来たところだよ」


 百夜さんは微笑みを浮かべ、小さく頭を振った。


 隣に腰かけ、暫くは談笑を楽しむ。


「あ、そうそう、コレ。今回のは、自信作だって」


 頃合いを見て、持ってきた包みを開く。


 中に入っているのは、みたらし団子。


「そうなんだ。それじゃあ、いただきます……あッ、本当だ! 今までで一番おいしい!」


 一口食べた彼女が、目を見開き、控えめながらも興奮した様子で味の感想を口にする。


 頬を緩ませながら、百夜さんは一心に食べ続ける。


(何か、ハムスターっぽいな……)


「あぁ、幸せ。異世界で、おいしい和菓子が食べられるなんて……あッ、ごめんなさい、私ばっかり、和平君も食べて」


 頬を染めながら、百夜さんが包みを差し出して来る。


「ううん、喜んでもらえて良かった。一本貰うね……ほんとだ、うまい」


 百夜さんに笑いかけると、彼女も笑みを返して来た。


 談笑しながら、団子を食べ進める。


 完食後は、別の和菓子のことや皇国の甘い物について語り合った。そして、日が暮れ始めると、百夜さんに切り出す。


「百夜さん。また、お願いしてもいいかな?」

「うん」


 百夜さんが、こちらに手を翳す。


「はい、終わったよ」

「ありがとう。いつも頼んじゃってごめんね」


 肩を縮こませ、謝罪の言葉を口にする。


「そんな顔しないで、和菓子を食べさせてもらってるんだし」


 まったく気にした様子を見せずに、百夜さんはそう言ってくれた。ただ、空になった包みを一瞬だけ目にした百夜さんが、言いづらそうに口を開く。


「ねぇ? 少しだけでもいいから、部屋に持っていっちゃダメかな?」

「ごめん。他の皆が欲しがったら、仕事に支障をきたしちゃうらしいんだ」

「そっか……織ちゃんにも食べさせてあげたかったんだけど……」


 そう呟きながら、百夜さんは宮殿へ目を向ける。


「ごめんね、無理言っちゃって。ごちそうさま」


 向き直った百夜さんは笑いながら礼を口にし、宮殿へ戻って行った。


(……ごめん、百夜さん)


 影が射したような暗い笑みを浮かべた百夜さんの顔が、頭から離れない。


(他人を気遣ってる余裕はないだろう……)


 頭を振る。


 命が掛かっているのだ。


 利用できるものは、誰であろうと利用する。でなければ、自分が消されてしまう。


 自分にそう言い聞かせた後、別の通路から宮殿へ戻る。


(準備は、だいだい出来た。後は、いつ出ていくか……早い程いいけど、居なくなったら騒動になる。きっと捜索もされる。……やっぱり、脱出するなら日暮れ、か。明るくなるまで時間が稼げる。それまでに、東の森林部に入る……)


 最大の関門だった宮殿からの脱出は、百夜さんの天賜に頼ることで解決した。


 もちろん、懸念点もある。


 その最たるものが、勇者が張った結界。


 魔を拒む結界だと説明されたが、もしかしたら、結界内の人数や出入りする者達を把握することが出来るかもしれない。


 図書室で調べてみたが、皇国の最重要機密であろう結界について記された本は置かれていなかった。


(クソッ、最後の最後は運か……)


 宮殿内の通路を歩きながら、物思いに耽る。


 さらに、心労のせいで注意が散漫になっていた。だから――、


「和平様」


 声を掛けられるまで、後ろに人がいることに全く気付かなかった。


「……」


 背筋が凍る。


 口元の震え、鼓動が煩いくらいに高鳴る。


 呼びかけられた際に、足を止めてしまった。


 もう無視は出来ない。


(走って逃げるか……?)


 それは、あまりに不自然過ぎる。何かやましいことがあると、自ら自白しているようなものだ。


(どうにか、やり過ごすしかない)


 覚悟を決め、振り返る。


「シスルさん……」


 立っていたのは、世話役である侍従のシスルさんだった。


 年齢は、二十代前半。背丈は百七十前後で、腰まで届く、赤紫の長髪が印象的な女性。肌の露出が少ないメイド服を着ており、手や顔は、まるで太陽に当たったことがないかのように白い。


「何か?」


 平静を装いながら、声を掛けて来た理由を尋ねる。


「はい。和平様がここ最近、あまりお休みになれていないと中村様から伺いました」

「中村が……」

「はい。皆様の世話役を仰せつかっているにもかかわらず、和平様の不調に気付けなかったこと、誠に申し訳ございません。どうぞ、こちらをお使いください」


 深々と頭を下げたシスルさんは、小瓶を差し出して来る。


「これは?」

「睡眠薬でございます。お休みになられる前、ハンカチに沁み込ませて、吸い込んでください。副作用はごぜいません。ただ、即効性の高い物になりますので、必ず、ベッドの上で横になりながらお使いください」

「あ、ありがとうございます。今夜にでも、使ってみます」


 何も質問をせず、礼を言いながら小瓶を受け取り、そそくさとその場を後にする。


 曲がり角まで進むと、壁にもたれ掛かりながら安堵の息を漏らす。


「良かった……」


 緊張の糸が切れたのか、足が震え出した。


 (気付かれたわけじゃなかった……)


 受け取った小瓶に目をやる。


(即効性が高いね。……中村に受け取ったことを伝えた方がいいな)


 小瓶をポーチに仕舞い込み、今度は周囲に注意しながら談話室へ向かう。ところが、談話室に中村の姿は無く、部屋にもいなかった。


 本当ならば自室に籠っていたいが、伝えるのを後回しにしてシスルさんや他の侍従が騒いだら大事に成りかねないので、談話室の隅で中村を待つ。


 談話室には、何人か生徒がいた。


 暖炉の前で輪になって会話するグループや、テーブルに座って雑談するグループなど思い思いに寛いでいる。


「ふぅ」


 背もたれに寄りかかり、息をつく。


 侍従や臣下がほとんど訪れない談話室は、心が休まる場所の一つ。


 バルコニーへと続く窓が開いており、そこから心地良い風が流れ込んでくる。






「アレかな?」






 バルコニーから声が聞こえて来た。


 目を向けると、数名の女子生徒が何やら騒いでいる。


 何気なしに、耳を澄ます。






「ふっふ~ん、私に任せなさい。どれどれ……なんか、コロッセオっぽい?」

「コロッセオ? それって、古代ローマの?」

「そうそう。やっぱり、あそこみたいだよ。兵士さん達が訓練してるし」

「すごッ、ここから見えるのッ?」

「すごいでしょ、私の天賜」

「はいはい、すごいすごい。あぁ~、早く魔術を使ってみたいなぁ~。せっかく覚えたのに、おあずけなんて~」

「しょうがないでしょ。中庭で魔術を使って、もし宮殿に当たっちゃったらマズいし」

「それはそうだけど~」

「ちょっと!? 聞き流さないでよッ」






 会話の内容は、魔術に関する話だった。


 最初は魔物対策として魔術の習得も考えたが、習得するまでに時間を要してしまうので断念した。


「ん?」


 ふと、何かが引っ掛かった。


 直感に近い。


 ただ、極限状態だからこそ、感じ取れた気がした。


 先ほど聞いた会話を、吟味するように頭の中で咀嚼する。


(コロッセオ、兵隊、中庭じゃ使えない、ここから見える……遠い――ッ)


 立ち上がり、バルコニーに出た。


 遠方にあるコロッセオは、東側の壁に隣接するように建造されている。


(イケる……いや、まだ早まるな)


 浮かんだ可能性の確証を得るため、行動に移す。


 談話室に来た中村に礼を伝え、図書室でコロッセオについて調べた。


 分かったことは、コロッセオは皇王が建造させたということ、その目的は兵士達の訓練や魔物との戦闘を娯楽にするためであるということ。そして何より、一番知りたかったことも判明した。


(よしよしッ、イケるぞ!)


 最も知りたかったこと、それはコロッセオが結界の外にあるということ。


 兵士の訓練や魔物との戦闘を行う際、国に被害が及ばないようにするため、そして壁が損傷してしまわないようにするため、結界を壁にしているのだ。


「魔術の訓練は……」



 ――明日。



 明日、脱出を決行する。






◇◇◇◇◇






 翌日は、曇りだった。


 荷物の最終確認を行い、部屋を後にした。


 魔術の訓練は、午後。


 時間的にも、最適である。


 魔術の座学は受けていないが、見学は可能だということは昨日の内に確認しておいた。


 廊下を進み、段取りを確認する。


(頼み込めば、百夜さんは付いて来てくれる。後は、魔術の訓練が終わったに隙を見てコレを使って、百夜さんに天賜を掛けて貰って逃げる。問題は、隙があるかどうかだけど、最悪、力づくで……)


 庭園に辿り着くと、既に百夜さんがベンチに座っていた。


「百夜さん」

「…………」


 百夜さんからの返事がない。


「ん?」


 不審に思いつつも、そのまま百夜さんに近づく。ただ、隣に立っても百夜さんは虚空を見つめていた。


「百夜さん?」

「……和平、君? あ、ごめん、ちょっとぼーとしちゃってた」


 間近で声を掛けられて、ようやく百夜さんは反応を示した。


 百夜さんが浮かべた笑顔。


 それが作り物だということは、一目見た瞬間に分かった。


 なぜか、針で刺されたような痛みが胸に走る。


「あ、ううん。俺が遅れちゃったせいだよね、ごめん」


 気付いた笑顔も痛みも無視し、百夜さんの隣に座って普段通りに話しかける。しかし、百夜さんは心ここにあらずといった様子で会話が弾まない。


 嫌な予感が、急速に膨れ上がっていく。


 焦燥感を押し殺しながら、会話を盛り上げるため大げさに話してみたり、頻繁に話題を振ってみたりもしたが、百夜さんの反応は鈍いままだった。


(どうしたんだよッ、大事な日なんだ。頼むから、しっかりしてくれ)


 想定外の事に、体が浮つき、焦燥は次第に苛立ちへと変化していく。だが、こちらの気持ちとは裏腹に、その後も百夜さんはうわ言のような相槌を打つか、返事を返してこない状態が続いた。


 脱出を数時間後に控えていて、気が高ぶっていた。


 だからか、その反応に我慢できず、感情を露わにしてしまう。


「百夜さん!」


 思わず、大声を出してしまった。


 直後、後悔が押し寄せる。


(しまった。これで、逃げでもしたら……)


「あ、ごめんなさい。……えっと、何かな?」


 困惑したように、百夜さんは首をかしげた。


 抱いた後悔は、杞憂に終わる。


 ただ、見過ごすことのできない別の問題で頭を悩ますことになった。


(一体、どうしたんだ……)


 百夜さんは、遠い目をしながら花を見つめている。


「…………」


 手はある。


 しかし、想像しただけで寒気に襲われた。


 手が震え、奥歯が音を鳴らす。


(……ここまで準備して来たんだろ。もうすぐ、逃げられるんだ)


 震える手を握り締め、自分自身を鼓舞する。


「ふぅ」


 深く息を吐くと、百夜さんに目を向けた。






 ……嫌………織ちゃんに四日も会えてない………怖い………楽しかった………怖い………おいしかった………怖い………安心する…………お母さん……お父さん………『黒の契約書も偽れたのか?』………怖い…………嫌だ……『監禁しろ』………怖い……もう会えなくなる……嫌だ嫌だ……助けて……ダメ……怖い………いつも気遣ってくれた……ダメ………怖い…………怖い……離れたくない…………ダメ…………………………和平君………助けて………………、






 時が止まったような気がした。


(百夜さん……)


 助かるために行動していた。


 そのためならば、他人を利用することも厭わないと思っていた。


 自分を正当化するつもりはない。


 ただ、死にたくなかった。


 ところが、百夜さんはそんな自分との時間を大切に思っていてくれていた。


 これまで百夜さんに言った自分本位の言葉がフラッシュバックして、まるで鈍器で殴られたような衝撃が全身に走る。


(俺は……)


 吐き気を催すほどの自己嫌悪に苛まれながら、百夜さんに目をやる。


 彼女は、風に揺れる花を静かに眺めていた。


(なんで……? なんで、そんなに思ってて、口に――)




 俺のため?




 打ち明けたら、俺に迷惑がかかるから、




 だから言わないのか?




 胸が締め付けられ、思考が止まる。


 もう一度、百夜さんを見た。


「ぁ……」


 綺麗だった。


 曇天の空の下、百夜さんだけが黄色く色付いて見えた。まるで、柔らかな後光が差してるかのようだった。


 それと同時に、頭の中に百夜さんの笑顔が浮ぶ。


 作り笑顔ではない、本当の笑顔が。



 ……守りたい。



 そう思った直後、体が勝手に動いた。


 百夜さんの前で片膝を着き、百夜さんの手を取る。


「……えッ?! ちょっ、和平君。いきなり――」

「百夜さん、一緒に逃げよう」

「ッ!?」


 百夜さんが、目を見開く。


 彼女の手を握りしめ、冗談だと思われないよう真剣な表情で、言葉の一言一言に思いを込めて伝える。


ここ皇国は、危険だ」


 立ち上がり、百夜さんの手を引いて立たせた。


 すると、百夜さんの瞳に涙が溜まる。


「俺が君を守る。だから、二人で一緒に逃げよう」

「……はい」


 百夜さんは、溢れんばかりの涙を流しながら微笑んだ。

 





◇◇◇◇◇






「今日の訓練は、これで終了です。皆様、お疲れさまでした」 


 空が夕焼けに染まり出した頃、魔術の訓練が終わった。


 参加した生徒達は、続々と出口へ向かう。


 その生徒達の最後尾に、百夜さんと並んで歩く。


 コロッセオの中にいる皇国の者達は、六人。


 生徒を引率するローブを着た者が四人に、最後尾に護衛の兵士が二人。


 不自然にならないよう注意しながら、前方の集団と距離が開くようにゆっくりと歩く。


 焦ってはいけない。が、遅すぎてもいけない。


 遅すぎるあまり、前方の集団が止まってしまったら失敗なのだ。


 そうやって徐々に距離を開けた後、頃合いを見て立ち止まり、後ろの二人に声を掛ける。


「すいません。ちょっと落とし物をしてしまったんですが……?」

「なんとッ!? 直ぐに探してまいります!」

「その、とても小さくて、口で説明するのが難しい物なので、自分で探します」

「いえいえ、たとえ小針の先だったとしても、必ずや見つけ出してみせます!」

「えっと……じゃあ、お願いします。落としたのは、小さな装飾品です。場所は、あそこの壁際です」

「かしこまりました。私が見つけてまいります」


 場所を伝えた途端、声を掛けていない方の兵士が駆け出し、四つん這いになって探し出す。


「お前ッ!? 私が必ず!」


 もう一人の兵士も、後を追うように四つん這いになって探し始める。


 指差したのは、魔物を搬入するために用いられる鋼鉄製の出入り口、その隣にある分厚い木製の扉。


 前方にいる集団を確認するが、こちらには気付いていない。


 百夜さんに視線を向ける。


 視線に気付いた百夜さんは、無言で頷き返してきた。


 四つん這いになっている二人に近づく。


「ん? どうかしましたか、和平さ――」


 二人の兵士の口を、ハンカチで塞ぐ。


「「う……」」


 ものの数秒で、二人の兵士が崩れ落ちた。


「すいません」


 謝罪の言葉を口にし、兵士の腰に下げていた鍵と剣を取る。


 そして、鍵を使って木製の扉を開けた。


 扉を開けた瞬間、風が吹き込んでくる。  


「行こう、百夜さん」

「うん」


 差し出した手を百夜さんが手を握ると、こちらに手を翳す。


 その後、百夜さんの姿が完全に消えた。


 ただ、手には百夜さんの温もりを確かに感じる。


 手を握ったまま、二人で東へ駆け出した。

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