第十九話 和平大護


「これにも載ってない」


 本を閉じると、積み上げた本の山に置き、隣の山から新たな本を手に取り開く。


 今日だけで数冊、ここ数日を合わせれば、数十冊もの本を読んだ。


 読んだ本は、魔物と植物に関して記された物。


 知識は蓄えられるだけ蓄えたかったが、あまり時間を掛けられないため、二種類に絞った。


 魔物に関しては、命に係るから。そして植物に関しては、植生と毒の有無を知るためだった。


 皇国を脱出した後は、森の中を進む予定である。その際、植物に関して何の知識がないのは自殺行為でしかない。また、食用かどうかの見極めが出来れば、食料の問題も解決できる。


 これらの知識を詰め込むのに、三日も費やしてしまった。が、どうしても知りたい情報が載っている本を見つけられないでいた。


「これもダメか」


 手で顔を覆う。


 知りたいことは、レオガルドの地理。


(昔だと地図は国家機密だったらしいけど、この世界じゃ今でもそうなのか?)


 数日書庫に通っているが、地理に関して記された本は見当たらなかった。結局、講義で説明された大まかな地理でしかレオガルドを把握できていない。


(西の教国は、友好関係を築いている……北の帝国は、協定を結んでるらしいし、皇国の属国が多い南は論外。そうなると、東の共和国に逃げるしかない……)


 ただ、東のどの都市に逃げたら安全なのかが分からない。万が一逃げ込んだ先の都市国家が皇国と同盟を組んでいたなら、知らされてしまう。


 異世界に居るのだ。


 日本にいる感覚で安易に考えていると、命とりになりかねない。悲観的な思考に感化されたのか、あの時の記憶が蘇る。


「う……」


 血の気が引き、身体が小刻みに震え出す。


(早く逃げなきゃ……)


 膨らんでいく不安と焦りのせいで、意識が狭窄していく。


(早――)


 鐘の音が響き、意識が引き戻された。


「……時間か」


 書庫に置かれている、金細工が散りばめられた木製の振り子時計に目をやる。


 時計を見つめていると、ふと脳裏を過った。






 今すぐ逃げ出したほうがいいのではないか……?






 準備に時間を費やしたせいで、皇女に感づかれるかもしれない。






 朝の子という特別な存在なのだ。






 適当に逃げ込んでも、どうとでもなるのではないか……?






 だから――、






「馬鹿か」


 力なく呟き、考えを否定す


 過った考えは、ただの思考放棄であり、楽になろうとしただけの現実逃避。


 今行っている準備は、最低限必要なもの。


 精神的に追い込まれ、弱気になってしまった。


 まだ猶予はあると自分に言い聞かせながら、本を本棚に戻す。


 書庫は、五十人が同時に利用可能なほど広い。金で作られたシャンデリア、彫刻が彫られた壁や柱、重厚な本棚は壁に埋め込まれており、長大のテーブルが並べられている。


 片付け終えると、書庫を出た。


(もう本は読まずに、他のことに時間を割くべきか? 食料が、まだ半分も溜まってない。それに、水と塩。水は最悪、川の水を飲むとして、問題は塩だ。干し肉だけじゃ足りるわけない。やっぱり、何かそれらしい理由を考えて貰うか?)


 向かうのは、宮殿の修練場。


 目的は、武器の扱い方を教わるためである。一般教養を学び終えた生徒達は、武器の扱い方や魔術を学ぶ場を設けてもらった。


 参加は自由であり、決められた時間に、決められた場所で行われる。


(武器の訓練は、今日で終わりにするか。そうすれば、時間が空く。その時間で、足りてない物を集めた方がいいか……)


 武器の扱い方を教わっているのは、魔物と遭遇してしまった場合を想定してのこと。


 本当なら、実戦も経験しておきたかった。


 皇国に残っていれば、実戦を経験できる可能性も高い。しかし、皇国に留まる期間が延びれば、その分だけ気付かれるリスクも上がってしまう。


 悩んだ末、武器の持ち方と振り方だけを覚えることにした。






◇◇◇◇◇






「今日の訓練はここまでです。お疲れさまでした」


 訓練の指導を担当する兵士が終わりを告げ、生徒達に労いの言葉を口にする。


(……まだ、時間があるか。少し早いけど、取りに行くか? それとも、もう一度書庫に行く? いや、それより別のことをした方がいいか?)


 次に何をするか考えるが、頭が重く、上手く働かない。


「和平」


 突然後ろから名前を呼ばれ、体に力が入ってしまう。


 鼓動が、急激に早まる。


 一瞬、無視するという選択肢が浮かんだが、少しでも禍根を残す振る舞いは避けるべきだと思い直した。


 動揺をおくびにも出さないように気を付けつつ、ゆっくりと振り返る。


 そこには、中村が心配げな表情を浮かべて立っていた。


「中村か、何か用か?」 


 平静を装ったつもりだが、普段よりも微かに声が震えてしまう。すぐにそのことに気が付き、鼓動がさらに早まる。


 固唾を呑んで、中村の反応を待つ。


 中村は、言いづらそうに何度か視線を泳がせた後、意を決して口を開いた。


「和平、その、大丈夫か?」

「大丈夫?」


 思わず、身構えてしまう。が――、


「あ、いや、すごい真剣な顔して剣を振ってるなって思ってさ。訓練が終わったら書庫に籠ってるみたいだし、その、顔色もかなり悪いぞ。眠れてないんじゃないか? 余計なお世話かもしれないけど、何か悩んでることでもあるじゃないか?」


 中村が心配して声を掛けてきたのだと分かり、肩の力が抜ける。


「あッ、ああ、悪い。ちょっと、やってみたいことが多すぎて寝不足なだけなんだ。オレ、ゲーム好きでさ。だから、自分がゲームみたいな異世界にいるって思うと興奮しちゃってなかなか寝付けないんだよ、はは……」


 それらしい理由を、思いつくままに答える。


「そうか……。ならいいんだけど、もし、悩んでることがあったらいつでも相談に乗るからな」


 一応は納得したのか、中村は『ちゃんと寝ろよな』と言い、宮殿へ戻っていった。


(中村……――ッ!? 余計なことは考えるな! 次はオレかもしれないんだぞ!)


 中村から視線を外し、別の通路から宮殿に戻る。


(マズい、必死過ぎたか?! 中村が気付いたってことは、侍従の人達も気付いたかもしれない。もし、それを皇女に伝えてたら……)


「うッ?!」


 突然眩暈に襲われた。立っていられず、近くの柱にもたれ掛かる。


 指摘された通り、土雲が消されてから、ろくに睡眠を取っていなかった。


 準備や知識を蓄えることに時間を割いていたということもあるが、それ以上に寝るのが怖かったのだ。


 寝ている間に、自分も連れ去られてしまうかもしれないという恐怖。目を閉じることが、暗闇が恐ろしかった。


 ただ、睡眠不足のせいで脱出が失敗したら目も当てられない。


 その為、昼間に仮眠は取ってはいる。しかし、必ず悪夢にうなされ、目が覚めてしまっていた。


「これくらいなんともない、オレならやれる……」


 眩暈が治まると、再び歩き出す。


 向かう先は、厨房。


 塩の件もそうだが、ある物を貰いに行くことにした。


 本来、生徒が足を踏み入れていい場所ではないが、どうしても調理師の一人と仲良くなっておかなければならなかったために隠れて通っていた。


 歩いていると、次第にいい香りが漂ってくる。そのまま匂いを辿り通路を進めば、広々とした石造りの厨房に辿り着く。


「こんにちわ」


 厨房の中には入らず、入口から挨拶する。


「これはこれは、和平様」


 厨房から、調理服を着た恰幅の良い男性が出てきた。


「もう出来上がっております。どうぞ、中へ」


 恰幅の良い男性は、笑顔を浮かべ、恭しく厨房の中へと招き入れる。


「すいません。訓練の後に直接来たので、汚れてて……」

「そうでしたか。では、お持ちしますので、少々お待ちください」

「はい。あと、お願いしたいことがあるんですが?」

「ッ!? それは、もしや……?」


 和やかな態度だった恰幅の良い男性が、こちらの言いたいことを察したのか、目に見えて興奮し出す。


「はい。別の物の作り方を思い出しました。それで、それには塩を使うんですが、この世界の塩が日本の物と同じかどうかまず確かめたいんです。なので、塩を分けてもらえませんか?」

「塩ですねッ! 何種類かございます。少々お待ちくださいッ!」


 恰幅の良い男性は、脱兎の如く、厨房の奥へと消える。


 数分後、三つの小袋と小包を持って戻って来た。


「お待たせいたしました。まずは、こちらを。今回は、今までで一番の出来と自負しております。今度こそは、和平様がおっしゃていた物を完全に再現できたと思います。それと、こちら小袋が塩になります。もし、少しでも日本の物と違うと感じましたら、遠慮なくおっしゃってください。違う塩を取り寄せますので」

「ありがとうございます。それと、夕食の準備で忙しいのに、わざわざすいません」

「いえいえ、和平様には日本の料理について教えていただいております。料理人にとって、日本の料理について知れるのは至上の喜び。お気になさらず、いつでもお越しください」

「ありがとうございます。今日はこれで失礼します。あと、念を押すようで申し訳ないんですが、くれぐれもこのことは口外しないようお願いします」


 発覚した際の言いわけは考えているが、発覚しないのであればそれに越したことはない。


 男性に再度礼を言い、早々に厨房から離れる。


(本当は、直接貰うのは避けたかったけど、仕方ない。何にせよ、塩は手に入れた。武器の扱い方も覚えたし、順調だ)


 貰った小袋と小包を、腰に括り付けていたポーチに仕舞い込む。


「やっぱり、すごいな……コレ」


 腰に括り付けているポーチは、革製の縦横十センチほどの正方形。


 このポーチは、生徒全員に配られた物である。 


 見た目は、何の変哲もないポーチ。が、ポーチを開くとそこには闇が広がっていた。そしてこの闇こそが、このポーチの要。


 闇が、物を飲み込むのだ。


 ポーチの口に対し、三倍までの大きさなら飲み込ませることが可能。取り出したい時は、闇に手を入れ、取り出したい物を頭で思い浮かべると物が手中に収まる。


(ざっと調べた感じ、小さい物置ぐらいは入る。皇国でしか作れないって皇女が言ってたけど、色々準備した物を手ぶらで持っていけるのはありがたい)


 着々と、準備は整いつつある。


 逃げ出すためなら、自分が助かるためなら、他人を利用することも厭わない。


 たとえそれで、後ろ指を指されようとも、罵られようとも。


 突き進むのだ。


 死なないために。

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