第十三話 アエリアナ・ユニヴァス宮殿


『……なってしまう……。……左の御方が……、――



「うわッ!」


 男子生徒が、ベッドから飛び起きる。


「はァ……はァ……」


 全身は汗で濡れており、意識が覚醒し始めると共に体が震え出す。


「早く、この国から逃げないと……」






◇◇◇◇◇






 土雲切が失踪してから数日、生徒たちは宮殿内で教育を受けていた。半年とは言え、異世界で過ごすにあたって最低限の教養や常識は身に付けなければならないからだ。


 ただ、生徒たちの大半は学習に積極的だった。異世界の文化、武器、魔術など理由に違いはあるが、今でしか学べないことを学ぶために進んで勉学に勤しんだ。


「―――……魔物が生息しています。そのため、レオガルドでは小規模な集落は存在せず、高い壁で囲われた都市国家だけが存在しているのです。ここまでで何かご質問はございませんでしょうか?」


 教育担当である壮年の男性臣下が、生徒たちに問いかけた。座学を受けている場所は、宮殿内の講堂。扇状の形をした講堂は、生徒たちが全員座っても尚、席が余るほどに広かった。


「魔物は、壁を壊して国の中に入って来たりはするんですか?」


 怯えた表情の女子生徒が、臣下に尋ねる。


「ご安心ください。壁は硬い石材で築かれていますので、魔物でも壊せません。もっとも、壁上に配置された兵士によって、壁に近づく前に撃退されます」

「そうなんですね、よかったぁ」

「ねぇ、話を聞いて不安になっちゃった」


 臣下の答えに、女子生徒は安堵の息をつく。話を聞いていた他の生徒たちも同様で、皆が胸を撫で下ろしていた。


「あの、それは皇国も同じなんですよね?」


 そんな中、一人だけ硬い表情を崩していない男子生徒が臣下に問いかける。


「もちろんでございます。皇国の壁の堅牢さは、他国にも決して劣りません。それだけでなく、細部にまで施された彫刻は他に類を見ない美しさをも兼ね備えています」

「そうですか……」


 臣下の答えを聞いたにもかかわらず、男子生徒は硬い表情のままだった。そんな男子生徒の様子を見て、臣下はさらに言葉を続ける。


「皇国の壁は、美しく、堅牢。ですが、皇国にはそれ以上の、レオガルドで知らぬ者がいないと断言できるほどのものがございます」

「それは、何なんですか?」

「勇者様が張ってくださった結界でございます。偉大なる結界の名は、‘‘日輪”。この結界は、勇者様が人類を守るために張ってくださったものでございます。恐怖に、絶望に、死に怯えながら生きていた人類に与えられた安住の地。人類がレオガルドで繁栄できているのもこの結界のおかげであり、千年の時を経ても変わらぬ皇国の、いえ、人類の至宝なのです」


 結界の説明を終えた臣下は、おもむろに右拳を天高く掲げる。その後、頭上で一度完全に手を開き、数秒経ってから人差し指と親指でL字をつくると、額、左胸の順に右手を降ろした。


 臣下が行ったのは、レオガルドにおける祈りの所作だった。


「「「「……」」」」


 祈りを捧げる臣下を前に、生徒たちは何とも言えない表情となる。


 レオガルドに来て数日、生徒たちは皇国の者達の信心深さを身を以って理解させられた。


 毎朝祈りを捧げられ、感謝の言葉を伝えられる日々。


 歴史を考慮すると、その行動は理解できた。さらに、皇国の人たちの世話になっている。そのため無下にできず、都度対応した生徒たちは辟易していたのだ。


「あの、すいません……、質問いいですか?」


 生徒たちが苦笑い浮かべる中、男子生徒が再び質問を行おうと声を上げた。


「ん? ああ、大変失礼しました。どうぞ」

「結界が張ってあるってことは、人の出入りはできないってことですか? あ、いや、もしそうなら、不便かなって思っただけなんですけど……」

「その点は問題ございません。結界は人ならざるものの侵入を拒むものであり、人であれば行き来は自由に行うことが可能でございます。ですが、ご安心ください。壁に設けられた門は、壁にも引けを取らぬ程の頑強さでございます。さらに、門番が昼夜問わず警備に当たり、門の開閉自体も時間によって決められています。決して不埒な者は侵入できません」


「そう……なんですね……。それなら安心です。ありがとうございました」


 二度三度と質問を行った男子生徒が、ようやく笑みを浮かべた。そして、臣下に礼を述べると視線を切る。


(国からは出られる。けど、高くて頑丈な壁。頑強な門。一応、時間で開閉されるらしいけど……門番がいる。正面からは出るのは厳しいか。それに、魔物の対策も……)


 思考を巡らす男子生徒は、魔物の図鑑に目をやる。植物の繊維で作られた図鑑は、やや粗い質感ではあるが、地球の本と遜色ない。


 内容も似ており、手書きで描かれたであろう魔物の絵が載せられ、さらに、分類と系統、体長から群れの有無、生息地帯や弱点など事細かく記載されていた。


(ん? ……これ? なんでだ?)


 皇国から逃げ出せた場合、次に問題になるのが魔物の存在。必要な情報は全て頭に叩き込もうと図鑑に目を通していると、とある部分の不可解な点に気が付いた。


「あの、すみません――」

「質問ばっかだな、和平。少しは落ち着けって」


 もう一度、質問をしようとした声を上げた。だが、何度も質問することを他の男子生徒に囃し立てられ、笑いが起こった。


「皆様、お静かにお願いします。和平様、お気になさらず何なりとご質問ください」


 臣下から質問を促され、未だ微かに聞こえる笑い声を無視して質問する。


「配られた図鑑に載っている魔物の名前。何故、魔物はこの名前なんですか?」

「ん? それは一体、どういう意味でしょうか?」

「哲学かよ」


 臣下は困惑し、先ほどの男子生徒はまた茶化す。が、気にせず言葉を続ける。


「日本にも、架空の物語などで魔物に似た存在がいます。もしかして、魔物の名前は過去に訪れた日本人が名付けたんですか?」


 笑っていた生徒たち何人かが、面を食らう。そして、食い入るように図鑑を確認し出す。


「マジだ!」

「コイツとか……あッ、コイツも!」

「これってゲームのなの?」

「さぁ」


 騒ぎ出した生徒たちを再び鎮めた後、臣下が和平の顔を見ながら答える。


「和平様の仰る通り、魔物の名をお決めになられたのは勇者様でございます」

「やっぱり。でも、普通この世界の生き物ならこの世界の方達が名付けますよね? どうして勇者が魔物の名前を決めたんですか?」

「それは、勇者様でしかできない理由があったためでございます」

「勇者でしかできない理由?」

「はい。ただ、そのことについてお答えするには、魔素と瘴気についてご説明しなければなりません」

「ん? 瘴気はさっき聞きましたけど、魔素っていうのは?」

「魔素と瘴気の講義は、後日予定されています。ですので今は、簡単にご説明させていただきます」


 そう言うと、臣下は講堂の正面中央に設置された黒板に三角形を描く。その後、三角形の中に二本の線を引いて三分割した。


「この三角形は、レオガルドの生態ピラミッドでございます。上段には人類、二段目には動物、三段目には植物が位置しています。ここまでは、皆様の世界の生態ピラミッドと近しいことは存じ上げています。ですが、レオガルドにはさらに―――」


 臣下は、三角形を囲むように円を描く。


「この円が魔素でございます。レオガルドの万物は魔素を含み、死して魔素へと還るのです」

「は、はぁ……?」

「魔素が無ければ生態系が成り立たない、そうご理解ください」

「分かりました」

「ありがとうございます。では、次に――」


 今度は先ほど描いた三角形の底辺の線に二本の線を足し、逆向きの三角形を描く臣下。


「我々の生態ピラミッドの下に存在する逆さの三角形。これは、魔族の生態ピラミッドでございます。先端には魔族、二段目には魔物、三段目には魔植物、と魔族の生態系は人類の生態系を逆さにした形となっています。この関係性から人類の生態系を‘‘正天”、魔族の生態系を‘‘逆天”と名称されています。そして、正天を魔素が包むように逆天を包むものこそが――」

「瘴気……」

「その通りでございます。魔素が正天の源であるように、逆天の源になっているのが瘴気なのです。ここまでで何かご質問はございませんでしょうか?」


 一度話を切って、臣下が生徒たちに尋ねる。が、手を挙げる者はいなかった。


「ご質問がないようですので、話を続けさせていただきます。正天と逆天は、もともと分かたれていました。しかし、魔族が侵攻して来た際に二つが交わってしまい、様々な影響を及ぼしたと言われています。その一つが、動物の魔物化です」

「魔物……」


 和平は、ついさきほど聞いた話を思い出す。


(動物が瘴気に蝕まれて魔獣になって、最後に魔物へ変異するんだっけ……)


「魔物とっては、人間も捕食対象だったのです。ですが、当時の人類は魔物と戦えるだけの力を有してはおらず、結界の外へ出ることができませんでした。そんな中、勇者様は人類を守るために、御一人で魔物と戦ってくださったのです。それだけではありません。勇者様は後世の者達が魔物に対抗できるようにと、知識や記録を残してくださったのです。そのため、魔物の名が皆様の知る名となっているのです」


 話を締めた臣下が、もう一度視線を和平に向ける。視線に気付いた和平は、口を開く。


「説明ありがとうございました。納得できました。それと、今日の講義に関係ないことを説明させてしまったみたいで、すみません」

「謝罪の言葉など不要でございます。この世界の事を知っていただくための講義なのですから、疑問になられたことは何なりとご質問なさって下さい」

「はい! 人が瘴気に蝕まれることってあるんですか?」


 和平と臣下の会話を聞いていた別の男子生徒が、臣下へ疑問を投げかけた。


「人類には、神の恩寵がございます。そのため、瘴気に蝕まれることはございません。ご安心ください」

「そうなんですね。なんだァ、俺らは関係ないだァ」


 男子生徒の口から安堵の言葉が零れた。他の生徒達も、弛緩した空気を漂わせる。



 ――ところが、



「皆様」


 臣下のたった一言で、弛緩した空気が一瞬にして張り詰めたのだ。


 突然のことに生徒たちは困惑し、口を噤む。


 それだけではない。


 生徒たちに対し、常に温和な表情を浮かべていた臣下が、重々しい表情へと豹変した。そのあまりの迫力に、生徒達はたじろいでしまう。


 つい先ほどまでの穏やかな雰囲気が嘘のように、講堂内に重苦しい沈黙が流れる。


 そんな重苦しい沈黙を、臣下がおもむろに破った。


「一つ、心に留めていただきたいことがございます。‘‘欲に溺れず、比べず、純潔であれ’’この言葉は、金色の夜明け教が最も重んじる教えであり、決して犯してはならない禁忌です。この教えを、ゆめゆめお忘れなきようお気をつけください。もしも禁忌を犯すことがあれば、たちまちに神の恩寵は失われ、瘴気に身を蝕まれてしまいます」

「ッ!? そんな……、さっき関係ないって……」


 臣下から告げられたことに、先ほど質問をした男子生徒が反応する。しかし、臣下に気圧され、顔を伏せてしまう。


「……」


 男子生徒の一部始終を、和平は見ていた。和平自身も臣下に圧倒されていた。が、今瘴気について聞いておかなければ、皇国から逃げ出した後で瘴気に蝕まれた場合、対処することができない。


 両の拳を握りしめ、おずおずと声を上げた。


「人が、瘴気に蝕まれたらどうなるんですか?」


 声を上げた瞬間、射抜く様な視線を臣下に向けられ、思わず体が竦む。


「瘴気に蝕まれた場合、いつ終わるとも知れぬ苦痛に苛まれて絶命します」

「な……」


 対策のしようがない答えを聞き、全身に込めていた力が勝手に抜けていった。


 話を聞いていた他の生徒たちも絶句し、固まってしまう。臣下は、そんな生徒たちを顔をゆっくりと見ていく。全員の顔を見回し終えた臣下は正面に向き直ると、表情を和らげた。


「朝の子の皆様。確かに、瘴気に蝕まれることは恐ろしいことです。しかし、恐れることはありません。禁忌を犯さず、日々を正しく生きれば、魂は魔素の円環へと還ることができるのです。神は禁忌を犯す者、つまりは、堕落した者を忌み嫌います。神が創造せしレオガルドを、穢す存在だからです。そればかりか、善なる者を誑かし、堕落へと引きずり込む。神の意思に背く、赦されざる悪しき存在――……」


 反応を示さない生徒たちを気に留めず、臣下は講義の時間が終わるまで語り続けた。



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