第20話 夜明け
土の味が、口の中に拡がる。
(なんだ?)
不審に思い目を開けると、周囲を濃い土煙に覆われていた。
「何が起こった……? ん?」
正面から、冷たい空気が流れ込んで来ているのを感じ取る。
「キルト! 無事かッ?」
状況を把握していると、ラルフさんの声が闘技場に響き渡った。
即座に、大声で応答する。
「大丈夫です! ラルフさん、そっちはッ?」
「無事だ! 三人とも、怪我一つないぞ!」
ラルフさんの返事を聞き、一先ず安堵する。
(……あっちか)
三人と合流するため、感じ取った火の方へ駆け出す。すると、巻き上がっている土煙が薄れていっているのに気付いた。
(土煙は、空気が入り込んでたところから巻き上がってたのか……)
やがて土煙から抜け出し、遠くに立っている三人の姿が見えた。
三人もこちらの姿を捉えたのか、各々が顔を向けてくる。
ラルフさんは腕を組みながら、アルシェさんは姿勢良く立ちながら。ただ、エノディアさんは一瞬だけはこちらを見た後、顔を伏せてしまった。
「あの、一体――」
会話が出来る距離まで走り寄ると、ラルフさんにこの状況を尋ねようとした。が――、
「キルト」
言葉を遮るように、エノディアさんが震える声で名前を呼ばれた。
「エノディアさん?」
視線を向けると、エノディアさんは閉じられた開口部の前に俯きながら立っていた。長い髪に隠れて表情は窺えないが、纏っている雰囲気でただ事ではないことを悟る。
瞬き一つせずに見つめていると、エノディアさんがゆっくりと顔を上げた。
「ッ」
思わず、息を呑む。
エノディアさんは、顔を歪め、沈痛な面持ちをしていた。よく見ると、涙を流した跡もある。
「私、私……」
喋ろうとするエノディアさんの唇は小刻みに震え、言葉も途切れ途切れでしか出て来ない。
(何が……ッ!)
エノディアさんの様子を見て、記憶が蘇る。
「あの魔族に何かされたんですかッ?!」
嗤う魔族の顔が頭に浮かび、全身の毛が逆立つ。
「クソがッ!」
睨みつけるように闘技場を見回すが、魔族の姿はなく、可能な限り気配を探っても青い火は感じ取れない。
(何で気配がない。もしかして、これがアイツの力なのか?)
必死に思考を巡らせ、魔族の気配が感じ取れないわけを考える。ところが――、
「おい、キルト。何やってんだ?」
ラルフさんが、不思議そうに声を掛けてきた。
「あの魔族を探してるんですよ!」
顔は向けずに、ラルフさんへ返事を返す。
「何言ってんだ、魔族はお前が倒しただろう」
一瞬、ラルフさんの言葉が理解できなかった。
「……え?」
数秒の間を置いた後、頭が追い付き、気の抜けた声を漏らす。
「倒した……? 俺が、魔族を……?」
信じられずラルフさんを見るが、大きく頷かれた。
アルシェさんにも確認するが、『倒されました』と明言される。
「キルト、お前覚えてないのか?」
ラルフさんに尋ねられ、一度、記憶を思い返してみる。しかし――、
「思い出せない……」
今まで正確に記憶を思い出せていたにもかかわらず、あの時の記憶は、歪んだ光景と雑音交じりの声でしか思い出せない。
「魔族が突然現れて……激高した魔族の相手をして……その後は……その後は……」
頭を押さえ、必死に思い出そうとするが、同じところで記憶が乱れる。
「キルト」
ラルフさんに名前を呼ばれて我に返り、顔を向ける。
「どこまで覚えてんだ?」
「魔族が、エノディアさんのことを馬鹿にする呼び名で呼んだところまでは思い出せます。ただ、その後がまったく……」
「そうか……」
ラルフさんは、頭を掻きながら唸った後、エノディアさんを見た。
釣られて、目を向ける。
エノディアさんは、目を丸くして固まっていた。
「……キルト、本当に覚えてないの?」
エノディアさんが、絞り出すそうな声で尋ねてきた。
「はい……」
どうしてエノディアさんが驚いているのか分からないが、正直に答える。
「そう」
一言呟くと、エノディアさんが徐々に真顔になっていく。
元々人形のようなエノディアさんが、真顔のせいか、本当に人形のように見えた。
能面のような表情となったエノディアさんが、重い口を開く。
「キルト、見える?」
エノディアさんが、簡易着を下げ、胸元を見せてくる。
(あれは……)
禍々しい青い火を宿す魔石。
「この魔石のせいでね、私と一緒にいると不幸なことが起こるの。ううん、不幸なんて生易しいことじゃない、死んじゃうんだ……」
胸元を正し、エノディアさんは語り続ける。
先ほど浮かべていた沈痛な面持ちが嘘のように、無表情のまま平坦な声で。
その様変わりを目の当たりにして、心がざわつく。
「魔族が現れたのも私のせい。この魔石は、私の周りに不吉を撒いて、死を咲かさせるの。……沢山死んじゃった。ううん、私が殺した。改造した魔族も予想外だったんだろうね、この鳥籠を用意したの。この中にさえいれば、死は芽吹かない……」
(……あ、だから鳥籠から出るのを嫌がったのか……)
エノディアさんは、手を強く握り締め、その手を見つめながら微かに震える。
「分かってた……分かってたはずなのに……」
握り込んでいた手を解き、エノディアさんは深々と頭を下げた。
「みんなを危険に晒して、ごめんなさい」
頭を上げた後は、三人の顔を順々に見て、別れを口にする。
「私がいると、みんなが死んじゃう。だから、私はここに残るね」
そう言い終え、エノディアさんは小さく微笑んだ。
だめだ……。
「嫌です」
口を衝いて出た言葉。
「え?」
エノディアさんが、呆気に取られたように目を見開いた。
「嫌って、そんな……」
呆けた顔のまま、エノディアさんが呟く。
「一緒にいると死ぬって、俺は生きてますよ。それなのに、さよならなんて納得できるわけないです。一緒に行きましょう、エノディアさん」
エノディアさんへ、手を差し伸べる。
記憶がないからか、どうしても実感を持てないのだ。たとえ、エノディアさんの話が本当であったとしても。
だから、簡単には引き下がれない。
「……言ったでしょ、私は行けない。私がいたら、また命の危険に晒されるんだよ……」
差し出した手を見つめていたエノディアさんが、顔を歪めたかと思うと、俯いて断る。
「もしそうなったら、その時は俺がエノディアさんも周りにいる人も守ります。だから、行きましょう」
「……だめ」
ほとんど空気のような掠れた声で、エノディアさんが拒絶する。そして、そのまましゃがみ込んでしまう。
「私は、皆に迷惑を掛けたくないの……」
「迷惑なんて、誰も思ってないです」
ラルフさんやアルシェさんに顔を向けると、二人も口を揃えて肯定してくれた。
その声が聞こえたのか、エノディアさんの体がさらに小さくなる。
「私は、誰にも死んで欲しくないの……」
「なら、約束します。俺は絶対に死にません」
額を膝に付けたまま、エノディアさんは頭を左右に振る。
「もっと怖いことが、起こるかもしれないんだよ……」
「そんなの平気です。エノディアさんも知ってるでしょ? 改造された俺の体は丈夫なんです。ちょっとやそっとじゃ死にません」
エノディアさんの手の力が強まっていく一方、声はどんどん小さくなっていく。
そして、最後に――、
「――ジニア……」
そう呟いた後、口を閉ざしてしまった。
小さく、丸くなって動かないエノディアさん。
(どうすればいい……)
エノディアさんを残しては行けない。
今の彼女の姿を見て、残して行くなどという選択を取れるわけがない。
しかし、エノディアさんは手を取ってくれないのだ。
(何て言ったら、エノディアさんはついて来てくれる? どうすれば、助けられ――)
思考を巡らせていると、自分自身の思い違いをしているのに気付いた。
俺が助ける?
ったく、何をカッコつけてんだ、俺は……。
「わかりました」
一言呟くと、エノディアさんの体が小さく跳ねる。そして、手に込められていた力もゆっくりと緩んでいった。
「……」
エノディアさんが、ほんの少しだけ目線を上げ、こちらの顔を覗き込んでくる。
「俺を助けてください」
「――……はぁ?」
間の抜けた声を漏らし、エノディアさんは目を見開く。
そんなエノディアさんを他所に、姿勢を正し、深々と頭を下げる。
「遅くなっちゃいましたけど、三人に再会させてくれて、ありがとうございました。俺、生きてちゃいけないって、ずっと思ってました。そんな俺に、エノディアさんは生きる理由を、歩むべき道を示してくれたんです」
死ぬことこそが唯一の償いであり、死を渇望していた時に、エノディアさんと出会った。そして、三人と再会させてくれた上、謝罪の場を設けてくれた。
「エノディアさんのおかげで、俺は生きようって思えたんです。エノディアさんと出会ったから、死ぬのを止めたんです。エノディアさんは、命の恩人なんです」
エノディアさんは、死から解放してくれた。
それだけではない。
絶えず聞こえていた幻聴が、再会を果たした後には聞こえなくなった。
心までも、救ってもらったのだ。
頭を上げ、エノディアさんの目をしっかりと見ながら、もう一度手を差し出す。
「俺は、死んで罪から逃れようと考える弱い奴です。もしかしたら、また死のうとするかもしれません。だから、エノディアさん。お願いします、これからも俺の傍で俺を導いてください。エノディアさんが一緒にいてくれれば、俺は生きようって思えるんです」
これは、我儘だ。
自覚している。
だけど、情けなくとも、カッコ悪くとも、これがありのままの本音だった。
その思いを手に込め、エノディアさんへ伸ばす。
手を取るのではなく、手を取って貰うために。
「……」
エノディアさんは口を閉ざしたまま、微動だにしない。
ただ、顔を背けずに話を最後まで聞いてくれた。
闘技場が静寂に包まれる。
――闘技場に、風が吹く。
青々しい草木の匂いを運ぶ、心地良い風。
風は土煙を払い除け、エノディアさんの髪を揺らし、表情を露わにした。そして風が止むと、今度は淡い橙色の光がエノディアさんを照らす。
「あ……」
光に照らされたエノディアさんの瞳が揺らぎ、徐々に表情が破顔していく。だがそれは、眩しかったからでも、負の感情の発露でもない。
エノディアさんは、愛おしそうな笑みを浮かべながら口元を手で隠す。
「――……ふふ、何それ。プロポーズ?」
エノディアさんが、朗らかな声で尋ねてきた。
「え……あッ?! 違います! これは、その、えっと……」
「ふふ、冗談だよ」
エノディアさんが、悪戯っぽく笑う。
その笑顔も声も取り繕ったものではなく、正真正銘、彼女本来のものだった。
「しょうがないなぁ~。そこまで言うなら、助けてあげる」
エノディアさんは髪を撫でつつ、はにかみながら答えた。
「ッ!? ありがとうございます!」
感謝の言葉を告げ、エノディアさんに笑顔を向けた。
そして、鳥籠の開口部に手を掛ける。
「あ、このまま――」
「一緒にっていうのは、鳥籠の中にいるエノディアさんじゃないんです」
俺の手を触れた時のエノディアさんの顔。
助けて欲しい、導いて欲しい。
だけど、エノディアさんも救われて欲しいのだ。
「行きましょう! 二人なら……皆なら、大丈夫です!」
視線を向けると、それに応えるように、ラルフさんは胸を叩き、アルシェさんは頷く。
エノディアさんに視線を戻し、もう一度、声を掛ける。
「皆で一緒に行きましょう、エノディアさん!」
「うん!」
エノディアさんが答えると、鳥籠を開けて、手を出す。
その手に、エノディアさんは飛び乗る。
そして、肩にエノディアさんを座らせると、
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