二章

第1話 何のために


「はァ……はァ……」


 平原を一人で疾走する。


 夕焼けに染まる辺り平原には、人工物は無く、生き物の姿もない。 


 闘技場から出ると、そこは孤島だった。


 魔族の存在が公になれば、大陸レオガルドは震撼する。そのことを危惧した皇女が孤島に実験施設を建て、魔族を隔離したのだろう。


 アルシェさんの力で海を渡り、南西部沿岸に着いたのは正午前。そこから今に至る夕方まで、休むことなく走り続けている。


 一分一秒でも早く、ホリィの元へ辿り着く。


(早く、もっと早く……)


 逸る気持ちが、足を前へ前へと送り込む。


 ’’約束を果たす‘‘その思いを原動力にし、道なき道を駆ける。だが――、


『キルト、今日はここまでだ』


 頭の中に、ラルフさんの声が響いた。


『まだ走れます。仮に暗くなっても、オレなら走れますよ』

『ダメだ』


 低く、響くようなラルフさんの声。


「……」


 という言葉が脳裏を巡る。しかし、ラルフさんはこちらの行動を読んでいたのか、さらに言葉を続けた。


『肩を見てみろ』


 ラルフさんに指摘され、視線を肩に向ける。肩の上にはエノディアさんが座っているのだが、彼女はぐったりとしながら虚空を見つめていた。


 その姿を見て、脚の回転が遅くなる。


「――……ッ! キルト、どうしたの?」


 こちらの視線に気付いたエノディアさんが声を上げる。だが、その声には力がなかった。


 完全に足を止めた。


「……今日はここまでにしましょう」


 エノディアさんにそう言って、一晩過ごすための場所を探すことにした。



 


 

 ◇◇◇◇◇



 


 

 湿った土の匂いと、青々しい草木の匂いは日本と同じ。しかし、夜天には大小二つの月に、まるで宝石を散りばめたように色とりどりの星々が煌めいている。


 レオガルドの夜は、地球とはまったく異なっていた。


「ぷは~、生き返る!」


 エノディアさんが、専用のグラスに注いだ水を飲み干して声を上げた。


「お、いい飲みっぷりだなぁ、エノ。オレも酒が飲みてぇな」

「何言ってるの、鎧が飲めるわけないでしょ~」

「だよなァ。クソ、このからだにまさかこんな欠点があるとは思ってもみなかったぜ。あぁ、酒飲みてぇ~」


 エノディアさん、ラルフさん、アルシェさん、自分の四人で焚火を囲み、集めて来た石や倒木に腰かける。


「そういえばさ、ラルのおっちゃん。なんで、キルトの髪型を変えたの? 走ってる時にさ、ちょくちょく当たるんだよね。この髪型じゃなきゃダメな理由でもあんの?」


 エノディアさんの言うように、ラルフさんの指示で髪型を変えさせられた。しかもそれは、皇国の者たちやラルフさんもしていた襟足だけを長く伸ばし、束ねる髪型だった。


「あぁ、エノは知らねぇか。この髪型はな、かつて勇者が広めた、っつうんだ」

「ぶッ」


 ラルフさんの言葉を聞き、口含んでいた水を吹き出す。


「ちょっとー、汚いよ、キルト」

「ゲホ……、す、すいません……話を続けてください」


 口回りを拭いながら、話を止めてしまったことを詫びる。


(これって、ちょんまげだったのか。……全然違くねぇ? けど、皇国の人は全員してたし、わざわざこの髪型にさせられたってことは、レオガルドじゃあ一般的なのか? 服装も、着物っぽい上着にズボンって、皇国と同じだし)


 さすがに、簡易着のままで移動することはできない。そのため、今は実験施設にあった人間衣服を着ていた。それだけでなく、役立ちそうなものはすべて持ち出している。


(もっと色々知らないと……)


 レオガルドの知識が、あまりにも乏しすぎる。日本人であるということは隠しているのだ。ぼろを出さないように気を付けながら、二人の会話が途切れたタイミングで知識を増やすために口を開く。


「それにしても、ずいぶん静かですね?」 


 生き物がいないわけではない。気配を探ると、遠方に小さな青い火が点々としている。ただ、そのどれもがこちらに気付いた途端に脱兎の如く逃げていく。


 闘技場の時もそうだった。


 しかし、気になったのは魔物ではなく、それ以外の生物である。特に気になったのは虫。手つかずの自然の中にいるのに、虫の鳴き声一つ聞こえないのだ。


「そりゃあ、キルトがいるからだろ。魔物どもがビビッて近づいてきやしねぇ。警守ガードやってた時なんか、夜は交代で見張りをしなきゃならねぇから碌に寝れやしねぇんだ。キルトがいると便利でいいな! ガッハッハッ――」


 ラルフさんが、豪快に笑う。


(……ラルフさんの感じ、虫がいないのはこの世界だと普通なのか?)


「ふ~ん、それなら魔物を気にせずガンガン進めるね」

「あ? 景色が見たいって肩に座って、クタクタになってたヤツが言うセリフじゃねぇな」

「むー、しょうがないでしょー! キルトの足すっごく速いし、休憩もなかったんだからー!」

「あ、えっと、すいません……」


 この会話の流れも、既に一連となっていた。


 エノディアさんとラルフさんが言い合い、それに自分が巻き込まれ、アルシェさんが微笑みながら眺める。


「ガッハッハッ――……あぁ、ただ、気にせずガンガンってぇのは止めた方が良いな」


 和気あいあいとした雰囲気の中、ラルフさんが呟く。その声は、穏やかだが、強い意志が込められていた。


「どうして? キルトより強い魔物はいないんでしょ?」


 エノディアさんが小首を傾げ、ラルフさんに疑問を投げかける。


「いねぇな。けど、それは魔物にはって話だ」

「ん? それって、人ならキルトを倒せるってこと? ウソでしょ?」


 確かに、正直信じられなかった。そのため、ラルフさんを見つめてしまう。すると、視線に気付いたのかラルフさんがそのわけを話し出す。


「確かに、キルトに勝てるヤツは俺の知る限りではいねぇ。いねぇけど、それはあくまで一騎打ちで、だ」

「えー、何人いても変わんないと思うけど?」

「もちろん、そこいらのパーティーじゃあ話にならねぇ。そうだな……最強の警守≪桃姫とうき≫のパーティーに、帝国軍、それと≪金光鳴ニワトリ≫を筆頭にした処刑衆ども、あとは、教国の東方聖十二騎士団。ここらの連中なら五分だろうな」


 ラルフさんが指を折りながら、つらつらと名を挙げた。


「でも……う~ん、やっぱり無理だと思うけど?」


 どうしても納得できないエノディアさんに対し、ラルフさんは顎先を撫でながら考え込み出した。


 暫くして、ラルフさんは考えが纏まったのか口を開く。


「なぁ? 武には何が必要だと思う?」

「武に必要なもの……?」


 唐突な問いかけだが、言われるがままに考えてみる。


「そんなのカッコ良さに決まってるでしょ!」


 一切間を置かず、エノディアさんは声を上げながら拳を突き出すようなポーズを取った。


「ガッハッハッ――、確かにそれも大事だな」


(いや、関係なくね……)


 二人のやり取りに、思わず心の中で本音を零す。


「キルトはどうだ?」

「……我慢強さとか、忍耐ですかね?」


 武と聞いて、最初に浮かんだのは修行。長きに渡る厳しい修行を経て、武を極める。そんなイメージがあった。


「え~地味~」


 エノディアさんが口を尖らせ、つまらなそうに呟く。


「普通、そんな感じじゃないですか……。アルシェさんはどう思いますか?」


 会話に混ざらずに黙っているアルシェさんへ話を振ってみた。


「私は……申し訳ございません。何も思い浮かびません」


 微笑みを浮かべていたアルシェさんは、話を振られた途端に笑みを消し、僅かに目を伏せた。


「お嬢には、畑違いの話だろうな」


(ッ、お嬢……)


 明らかに、何かを知っているような発言。目だけをアルシェさんに向けてみるが、彼女の表情からは何も読めない。


(変に追及したら怪しまれるか……)


 ラルフさんの発言は気になったが、不用意な発言は控えるべきだと判断した。


「さっきの質問は、どういう意味なんですか?」


 代わりに先ほどの問いかけについて尋ねると、ラルフさんはおもむろに薪を焚火の中へ放り込んだ。


「知ってるとは思うがよ、昔の人間は魔獣にすら太刀打ちできねぇほど弱かった。けどな、それを良しとしねぇ人たちが、勇者に教えを乞うたんだ。いいか、武っていうのはな、強ぇヤツと戦うために人が得たモンだ」


 パチパチと音を鳴らしながら燃える薪とラルフさんの声が、物静かな夜の闇に沁み込む。


「自分より強い相手に挑むのが武……だから、人はキルトに勝てるってこと?」

「ちぃっと違う。一流の武人ってぇのはな、勝つことは二の次で、負けねぇことに徹するんだ。出来る限り立ち回りながら相手の弱点を探して、見つけたら一旦逃げる。で、作戦立てて、適任のヤツを集めて、叩く。これが一流の武人だ」


 エノディアさんが、眉を顰める。


「なんかズルくない?」


 言葉を濁さずに、エノディアさんが思いを口にした。


「ズルい? あったりめぇだろ。生き物人間、命あっての物種だ。やれ英雄だ、やれ勇者だっつって命張るヤツは、死にたがりの馬鹿だ。一流の武人ってぇのはな、決死で戦うんじゃねぇ、死なねぇように必死で戦うんだよ」


 ラルフさんの口から出た死という言葉を聞き、思わず顔を強張らせてしまう。しかし――、


「キルト。お前気にし過ぎだぞ。あん時は、俺がお前より弱かったってだけだ。あとは……まぁ、こりゃあ今はいいか……。とにかくだ。誰が悪りぃっていうなら、それは弱かった俺だ。いつまでも気にすんな」


「……」


 たとえ本人から言われても、「はい」などとは口が裂けても言えなかった。気の利いた返しも思いつかず、次第にいたたまれなくなって顔を伏せる。


「はァ……ったく、クソ真面目だな。しんどいだろ」

「そこが良いところじゃん」


 エノディアさんが、こちらに顔を向けて満面の笑みを浮かべてくれた。


「話が逸れたな。要はだ。キルトに勝てるまで、何度でも挑むんだ。仮にそいつ等が死んだとしても、残った仲間たちが受け継ぐ。そしていつの日か、必ずキルトを倒す」

「ふ~ん。ならさ、キルトも武を習えばいいんじゃない? そうすれば、敵なしになるじゃん」


「……」


 焚火の音だけが静かに響き、火の粉が舞う。


「ダメなの?」


 エノディアさんがもう一度声を上げた。すると、ラルフさんは先ほどよりも声を落として喋り出す。


「いや、ダメってわけじゃねぇ。ただ……武には何が必要か、そこが大事になってくる」

「さっき言ってたことだよね? 結局、何なの?」

「心だ。武には『心』がいる」

「心?」

「そうだ。武はな、暴力じゃねぇんだ。何のために、誰のために使うのか。それを心に刻んで、初めて力が武になるんだ」


 静かだが、力が込められたラルフさんの声。


「武の道を歩んできた先人たちはな、地道に積み重ねていったんだ。そして、それを次の世代に、後世に受け継いでいった」


 ラルフさんの声が徐々に真剣さ帯びていき、自然と姿勢を正した。


「ほとんどの人間はな、越えられねぇ壁にぶつかるんだ。そん時の絶望は、計り知れねぇ……。でもな、それでも武の道を歩み続けるんだ。先人たちから受け継いだものを、途絶えさせねぇために。そうやって連綿と受け継がれていく中で、稀に現れる壁を越えれるヤツが、先人たちの心に触れて、武を更なる高みに引き上げるんだ」


 ラルフさんが、ゆっくりとこちらを見つめてくる。


「だからよ、ただ武を習えばいいってわけじゃねぇんだ。もし武を習いてぇなら『何のために』『誰のために』武を使うのか、いっぺん考えてみろ」

「何のために、誰のために……」

「キルト。もうお前には、力がある。とてつもねぇ力がな。だからよ、ちゃんと向き合って答えを出してみろ。武を習うのは、それからだ」






 ◇◇◇◇◇






 朝日が、もやを薄橙色に染め上げる早朝。


「それじゃあ、行きますか」

「おー!」


 一晩寝て、エノディアさんの元気も満タンのようだった。


「ま~た穴の中か。はァ……ランプはあるがよ、暗くて、息が詰まんだよな~」

「どうにかしますから、今はすいませんけど、我慢してください」


 そう言いながら、黒い穴を出現させる。


「魔族に仲間って勘違いされる鎧で、外なんか走れないでしょ~。どうする? 今からでも、普通のに変える?」

「嫌だ!」


 ラルフさんが声を張り上げ、勢い良く穴の中に飛び込む。それに続くように、アルシェさんも穴の中へと入っていった。


「それじゃあ、しゅっぱーつ!」


 アルシェさんの掛け声のもと、駆け出した。






 そして何度か休憩を挟みつつ、太陽が傾きかけるまで走った頃――、






「あれは……?」


 遠方に、聳え立つ壁が現れた。

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