第十一話 五つの火

 

 戦った。



 戦った。戦った。



 戦った。戦った。戦った。


 一体を相手に、複数体を同時に、群れに囲まれながら戦った。


 どれくらいの時間が経過したのだろうか。


 外の景色は見えず、時間を確認できるものなど無いこの場所では知る由もない。


 それに加え、連戦に次ぐ連戦。


 時間感覚は、麻痺していた。


 次から次へと襲い掛かってきた生気の無い化け物たち。


 各々が、拳を、足を、尾を、爪を、牙を用いて殺そうと襲い掛かって来た。 だが、一度たりとも反撃することはしなかった。


 回避するのみ。


 牛の化け物のおかげだろう。


 生まれて初めて受けた、殺意が込められた暴力。


 あの時の衝撃に比べれば、他の化け物と相対することなどわけなかった。


 心も麻痺していたのかもしれない。


 動きを見て、躱す。


 何度か動きを読み違えて体に傷を負ったが、何も感じることなく、すぐに再生した。


 恐れることは何もない。


 その心境に至ってからは、回避の上達が早かった。


「……」


 そしてまた、目の前で化け物が血を流しながら息絶えた。


「ヒャッヒャッヒャッ、相手にならんのう」

「無能どもがッ! 少しは畜生の意地を見せろッ! まったく記録が取れん」

「やはりワシが造っただけはあるな、見たか貴様らッ!」

「おいッ! ワシが与えた力をどうして使わんッ?!」


 喧しい魔族たちを他所に、物思いに耽る。


 何故、自分はこんなことをさせられているのか。


 目的は分からないが、分かっていることもある。それは――、


(俺はもう人間じゃない……)


 痛みや、苦しみを一切感じない体。異常な再生能力。そのどれもが、人間の常識から逸脱していた。


 それだけではない。


 身体能力も飛躍的に向上していた。


 これが朝の子の力なのか、魔族たちのせいなのかは分からない。 もっとも、どちらであろうと異常であることには変わりはなく、人間から逸脱していることに拍車をかけていた。


 自分が自分の知っている自分でなくなった。


 心境を正しく言い表せずにいると、次第に気が滅入り始め、ふと目を落とした。


(ん? あれは……)


 目に付いたのは、地面に転がっている土塊。


 その土塊は、化け物が地面を抉った時に剥き出しになったものだった。






 ――あいつらに届くんじゃないか……?






 閃きだった。


 魔族たちは、闘技場から視線を外している。


 今なら、身体能力が向上し、魔族たちの気が他所に向いている今なら、土塊を投げれば当てられるのではないか。


 腹の底が熱くなる。


 気付かれぬよう、土塊を一つ拾い上げた。


(堅い。これなら途中で砕けない……)


 視線を壁の上にいる魔族たちへ向ける。


 この距離なら助走はいらない。この場で投げても届く。


 躊躇いは、微塵もなかった。


 腕を後ろへ引くと、土塊を魔族たちに向かって全力で投げる。



 土塊が砕ける音が、静かな闘技場に響く。



「クソッ!」


 土塊は、魔族たちの立っている壁の下に当たった。


 音に釣られた魔族たちが闘技場に目を向けてくる中、素早く新たな土塊を拾い上げる。


 一体だけでも闘技場に落とせればいい。そうすれば、その魔族を人質に残りの魔族と交渉できるはず。


 そう考え、もう一度投擲しようとした。



 ――だが、



「ああああああああああああああああああああああああ!!!」


 突如、脳を直接締め付けられるような激痛が襲う。


 土塊を手放し、頭を抱える。


「痛い痛い痛い痛いッ!!!」


 余りの痛みでその場に崩れ落ち、のたうち回る。


「あああああああああああぁぁぁぁ!!!」


 口を大きく開口させ、唾を飛ばす。


 息が出来ない。


「あッああああああああああああああァァァ!!!」


 頭の中で鋭利な高音が鳴り響き、 視界が明滅する。


(し、死ぬ……)


 死が脳裏に浮かぶ。が――、


「あ?」


 突然、痛みが引いた。いや、引いたのではない。余韻を残さず、一瞬で消えたのだ。


「な、なん……」


 理解が追い付かない。


 ただ、誰がしたのかということだけは分かった。


 上半身だけを起こし、視線を魔族たちへ向ける。


「ヒャッヒャッヒャッ、何も施されていないとでも思ったのかう」

「少し頭を使えば分かるじゃろッ! 痴鈍がッ!」

「ワシだけが造れば完璧じゃったんだがな、貴様らも関わったからのう」

「土なんぞ使った罰じゃッ! 美しさの欠片もないわいッ!」


(施されてる? 何言ってんだ……。そもそも痛みを感じなくなったんじゃないのか?)


 魔族たちは、土塊を投げた行為に対して怒りを見せるといった様子はない。


 ただただ、先ほどの行動について騒ぎ合っているだけ。


(俺の体は……俺は一体どうなったんだ……?)


 結局、謎のまま。痛みの原因も、自分の体も全てが……。


「ヒャッヒャッヒャッ、貴様は実験体。ワシらに逆らうことなどできん」

「んなこと喋ってないでさっさと次に移れッ! 鈍間がッ!」

「あんなんでも捕らえるのに苦労させられたわい。感謝せい、貴様らッ!」

「畜生以下の下等種では傑作の力なんぞ発揮できんわ、とっとと終わらすぞ」


(いや、違うか……) 


 分かっていることもある。それは、自分が人間から逸脱しているということ。


 そして、新たにもう一つ。


 今後一切、自分が魔族たちに反抗することができないということ。


 絶望感と虚無感が襲い、打ちひしがれる。


(一生ここであいつらの言いなり―――……ん?)


 壁の奥から、新たな火を感じ取った。


(まだ、化け物と戦うのか?)


 感じ取った火は、五つ。


 大きさは大小様々ではあるが、今までの化け物とは比較にならない程に小さかった。


 さらに、火の色が違う。


 今までは青色だったのに対し、今回は赤色だった。


(なんで色が違うんだ? そもそも、今更こんな弱い化け物と戦って何になる?)


 火の足取りは遅い。 まるで、皆で歩調を合わしながら闘技場を目指しているようだった。


(もう、どうでもいい……)


 絶望感と虚無感に打ちひしがれていたためか、闘技場に向かってくる火に対して警戒心を持つことが出来なった。


 さらに、今までで一番弱い火だということもあり、漫然と五つの火の気配を探る。


 五つの火が壁の前に辿り着く。すると、壁が割れて五つの火の正体が露わになった。


「ッ!?」



 ――違った。



 五つの火は、暗闇から明るい闘技場へと移ったせいで目が眩んでいる様子だった。だが、こちらからはしっかりと姿が確認できた。





 

 入って来たのは、人だった。






「どこだ、ここはッ! こんなことして分かってるのかッ!」

「どこのどいつだッ! 出て来やがれッ!」

「あ、あなた……?」

「大丈夫だ」

「……」


 しばらくして目が慣れたのか、闘技場に入って来た五人が騒ぎ出す。


「なッ?! お、おい、アレ……、ま、魔族か……?」


 五人組の中の一人。槍を背負った大柄で、一番火が大きい男性が、壁の上にいる魔族たちに気付いて声を上げる。


「魔族だ? 馬鹿言ってんじゃねぇッ! 魔族なんて千年前の……勇者と同じお伽話の存在だろうがッ!!」

「そうだ! ホラ吹くんじゃねぇぞッ! おっさんッ!」


 薄汚れた衣服を着ている二人の男性が、大柄の男性の言葉を否定した。


(アイツ等、なんで黙ってる?)


 今まで、魔族たちが黙ったことは一瞬たりともない。


 それが、五人が現れた途端、口を堅く結び、蔑視するような眼差しを送っていた。


(何をさせるつもりだ……)


 魔族たちを見ていると、一体が口を開いた。


「ヒャッヒャッヒャッ、ワシらが何なのかそんなことはどうでもいいわい。それより、よう聞けい下等種ども。今から貴様らには、そこにおるワシらの実験体と殺し合ってもらう」


 魔族がこちらを指差し示すと、五人が一斉に目を向けてきた。


(殺し……合う……?)


 トクンッ、と小さく心臓が鳴り、体から血の気が引いていく。


 突然の魔族の発言に、五人は口を塞ぐ。


「い、いきなり、なに言って――」


 我に返った薄汚い衣服を着た長身の男性が、声を上げようとした。しかし――、


「ヒャッヒャッヒャッ、殺し合わないなら、お前らに用はない。今すぐ殺すかのう」

「とっとと始めろッ、下等種のゴミ屑どもがッ!」

「殺るなら取り分は、ワシが二人じゃからな。良いな、貴様ら」

「醜い生き物が喚ているのう、声まで品がない」


 男の声に被せるように、魔族たちが思い思いの言葉を口にした。


 五人はまた口を噤み、闘技場内に不穏な沈黙が流れる。


(ふざけな!)


 魔族たちの理不尽な要求に、怒りが込上げた。そしてすぐに、戦わないと叫ぼうとした。が、三人の男性の纏う空気が変わったことに気付く。


「……そいつを殺せば俺たちはどうなる?」


 槍を背負った大柄の男性が、低い声で魔族に尋ねた。


「ヒャッヒャッヒャッ、殺せればここから逃がしてやるわい」


 魔族は満面の笑みを浮かべて答えを返した。


「ッ! 全員聞けッ! 俺はAランクの警守ガードだ。ここから出るまでの間だけでいい、俺の指示に従えッ!」


 大柄の男性が背負っていた槍を手に取ると、声を張り上げた。


「ちッ!」

「クソッ!」


 薄汚れた服を着た二人は悪態を吐きながらも、各々が腰に括り付けていた剣を引き抜き構えを取った。


「おい、あの二人はどうする?」


 長身の男性が、壁付近で抱き合い震えている男女に触れる。


「あの二人は戦力にならない、俺達三人で殺るぞ。俺が正面、お前らは左右から。常に三人同時に仕掛けることだけ頭に入れておけばいい、確実にいくぞ」


 やり取りを終えると、三人が警戒しながら半包囲する形で展開し始めた。


「「「……」」」


 こちらの出方を伺う三人。


「……」


 自分が取る行動は一つだった。三人を刺激しないようにゆっくりと体の向きを変え、目を閉じ、静かに三人へ語りかける。


「俺は何もしません。俺のことは気にせず、俺を殺してください」


 再び、闘技場に沈黙が流れた。


(俺が死ねば五人は助かる。俺はいい。人間じゃなくなったんだ。それにこのままあいつらの言いなりになるくらいなら、死んだ方がマシだ。父さん、母さん、みんな、今までありがとう)


 感謝の思いを抱きながら、死を待つ。



 ――しかし、



(動かない?)


 決意を固め、その思いを告げたにもかかわらず、半包囲したまま動く気配がない三人。


(なんで……?)


 躊躇いが生じたのか、もしくは何か不測の事態が起こったのか。時間がかかれば、決意が揺らいでしまうかもしれない。


 目を開き、三人に目をやる。


 三人とも、何故か奇怪そうな表情をさせていた。


「何か――」

「てめぇッ! 何意味わかんねぇ言葉を喋ってやがるッ!」


 長身の男性から怒号が飛ぶ。


「……え? は?」

「ッ!? もしかして、てめぇかッ?」


(は? 鬼? 何んで突然、鬼? ッ!? 言葉が通じてないッ?!)


 晴天の霹靂だった。


 この世界に来てから会話をした人数は多くはないが、言葉が通じなかったことはなかった。


 自分は向こうの言葉を理解できる。だが、向こうはこちらの言葉を理解できない。


 思ってもみなかったことに虚をつかれ、呆けてしまう。


「その顔、図星かッ! 言い伝えはホントだったってことか。まぁなんだっていい、てめぇをぶっ殺して、とっととここから出ていってやる!」

「おう!」

「おい、勝手に……、ちッ!」


 長身の男性が駆け出し、小太りの男性が後を追う。 二人を止めようとした大柄の男性も、なし崩し的に動き出す。


(良かった。あとは、じっとしてればいい……)


 三人が動き出したを見て、心の中で安堵した。


(ん? あの人?)


 大柄の男性の火が、烈しく燃え盛り出す。 そして、燃え盛った火から発せられた光が、両腕に移動していく。


(火を……光を操ってるのか?)


 全ての光が両腕に移動し終えると、外に放出され、槍全体を包み込む。


 大柄の男性が持つ槍。柄は長く、穂の部分も長大で太い。まるで、中世ヨーロッパで騎兵が使用した槍のようだった。


 光は、最終的に槍先へと集約した。そして、バチンッと弾ける音と共に火花が散る。火花は何度も生じ、回数を重ねていく度に大きくなり、ついには放電をし始めた。


「余所見たぁ、余裕だなッ!」

「なめてんじゃねぇ!」


 大柄の男性に夢中になっていると、左右から怒鳴り声を浴びせられた。


 視野を広げると、左右から振り下ろされる刃が目に映る。二人は勢い良く腕を振り抜き、上半身に十字を刻み込む。



「お前らどけえェッ!!!」



 力強い声を上げながら、大柄の男性が突進してくる。


 声を聞いた二人は、左右に別れて道を開けた。すると、入れ替わる様に大柄の男性が雷を帯びた槍を突き出してくる。


 槍は胸部を貫き、闘技場に雷鳴が轟く。


 大柄の男性は突き刺した槍をすぐに引き抜くと、低く跳ねながら距離を取った。


「殺した!」

「ああ、奴はおしまいだ!」


 一部始終を見ていた二人は歓声を上げ、警戒を解く。


「お前ら、気を抜くなッ!」


 警戒を解いた二人に対し、大柄の男性が怒声を上げる。


 距離を取った大柄の男性は、一切警戒を解いていなかった。


「おい! もう一度、囲むぞッ!」


 大柄の男性からの新たな指示。だが――、 


「何言ってやがるッ! あの鬼は死んだ!」

「そうだ! 確実に殺した!」


 先ほどは素直に指示を聞いた二人が、今度は反論し出す。


「よく見てみろよ、おっさ――……なッ!?」


 長身の男性は、新たな指示は不要であるということを証明しようとこちらに目を向けて来た。そして、言葉を詰まらせた。


(ダメだ。この程度の攻撃じゃ……。これじゃあ、死なない)


 斬られた箇所も、貫かれた箇所も見る見るうちに再生していく。


「う、嘘だろ……。な、なんで傷が……?」

「ひッ! 化け物!」

「お前ら、下がれッ!」


 二人の後で構えている大柄の男性が、大声を上げる。


 大柄の男性は構えたまま、睨むような視線を向けてきていた。ただ、槍を持つ手が微かに震えている。



 前哨戦は終わった。



 黙っていた魔族たちが騒ぎ出す。


「ヒャッヒャッヒャッ、あの程度の攻撃で殺せたと思うとはおめでたいのう」

「痴愚生物がッ! その程度で実験体が死ぬかッ!」

「貴様らのように、めでたい奴らじゃのう」

「ゴミ屑がワシの傑作に触れおって、万死に値するわッ!」


 魔族たちから、嘲笑や侮辱する言葉が降り注がれる。


「クソッ! どうなってやがんだ!」

「な、なあ、逃げるか……?」


 苛立ちを露わにする長身の男性。一方、小太りの男性は攻撃が効かなかったことに怖気づき、逃走を口にする。


「どこに逃げる? 周りをよく見てみろッ! 出口なんてどこにもないだろッ!」


 弱音を吐く小太りの男性に、大柄の男性が声を荒らげる。


「殺るしかないんだッ! それに、再生する魔物もいる! あの鬼も、きっとそれと同じだッ! いいか、再生するにも限度がある! このまま攻撃し続ければ、必ず殺せる。俺達三人なら絶対に殺れるッ! 怖気づくなッ!」


 そして、二人に発破をかけ、奮い立たせる。


「ヒャッヒャッヒャッ、いいぞ。そうでなくては面白うないわい。……それにしても、やはり実験体は死を選んだのう。今までと一緒じゃな」

「それが分かってるなら、早うやれッ! 慣れさせるのが目的じゃろう、頓馬がッ!」

「まったくもって意味が分からん行動じゃのう、まるで貴様らのようじゃわい」

「せめて散る際には、美の欠片くらいは見せて欲しいもんじゃ」


 魔族たちの言葉。


(あいつ等、今度は何を……?)


 嫌な予感がした。


(ッ!?)


 その予感は的中してしまう。


(か、体が動かない!?)


 突然、金縛りにあったように微動だにしない体。



 ――そして、



 「「「「さあ、決死で抗え下等種どもッ!!!」」」」


 魔族たちの声が闘技場に木霊した。


 


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