第一章
第1話 終わりの始まり
太陽を覆い隠す暗雲が、空一面に広がっていた。
八月八日、予報は雨。
普段よりも早めに家を出る。
「おはよう、セツ」
信号待ちをしていると、後ろから声を掛けられる。振り返ると、中村秋人が立っていた。
目を引く精悍な顔つき、セットされた黒髪、背丈は百八十センチを超えており、引き締まった体をしている。背には、『DAIWA』と刺繍されたサッカー部のバッグを背負っていた。
「おはよう、秋人」
「今日は早いな」
「ん? ああ、雨が降るらしいから早めに来た」
秋人は、通学中にセツと出会うことが無いので驚いたが、その理由を聞いて納得した。セツは聴いていた音楽を止める。そして、スマホをポケットに仕舞おうとした。が、上手く仕舞うことができず、地面に落としてしまう。
「――あっ!?」
信号が青に変わり、人だかりが波のように一斉に動き始める。秋人もその流れ乗って歩き出したが、セツがついて来ていないことに気付き、立ち止まって振り返った。
「どうした?」
「最悪……スマホ落としたら、ディスプレイが割れた」
「なんだ、厄日か? レギュラー発表が近いんだから、あんま近づくなよ」
「クソッ、秋人が声さえかけて来なければ……」
「俺のせいかよ!」
軽口を言い合いながら信号を渡り、学校の正門を通って二階の教室へ向かう。
◇◇◇◇◇
教室の中に入ると、すでに半数ほどの生徒が登校していた。
「おはよう、秋人、
「おはよう、舞」
「……あぁ、おはよう、春見」
微笑みながら挨拶してきた女子生徒は、春見舞。
茶色みがかった髪に、色白の肌。童顔で小柄な体格をしている彼女は、小動物を思わせる雰囲気がある。
「ねぇ? 土雲君は何で暗い顔してるの?」
「あぁ……学校前の信号でスマホ落としてさ、その衝撃で電源が入らなくなったんだよ」
「それは、ツイてないね……」
春見が視線を送ると、セツが暗い顔をさせながらスマホを眺めていた。
「……はぁ」
「セツ、元気出せって」
「時間が経てば電源が入るかもしれないよ」
秋人と春見は、セツのことを慰める。
そんな中、一人の男子生徒が教室に入ってきた。
それまで思い思いの時間を過ごしていた生徒たちが、顔を
「よぉ~、根暗」
「高野君ッ!? な、何でこんな早くに……」
「俺が早く来ちゃ悪りいのかよ、あ?」
悪声を浴びせた男子生徒は、
常に眉間に皺が寄っており、人相の悪い顔つき。がっしりとした体格をしていて、短く刈り上げた髪型や褐色の肌など、近寄りがたい様相をしている。
「暇なんだ、ちょっと付き合えよ」
「いや、ちょっと……く、苦しい……」
高野は、男子生徒の首に腕を回して強引に連れ出そうする。その光景を目の当たりにしたことで、生徒達の心情や行動に変化が生じた。
嫌悪感を抱く者、距離を取る者、同情する者、見て見ぬふりをする者。
生徒たちは、高野の言動に不快感や反感を抱いている。しかし、それを注意する生徒は少ない。なぜなら、自分が標的にされるかもしれないから。
――もしくは、
「おい、セツ」
「はぁ……。ったく高野のヤツ、毎回絡みやがって」
高野の様子を見るなり、秋人はセツに呼びかける。気落ちしていたセツも、そのまま見過ごすこともできず、秋人の呼びかけに応じて席を立った。
「高野の事だからイラつくかもしれないけど、手は出すなよ」
「んなこと、するかっての」
秋人の注意に、セツは少しムッとした顔で答える。
「アイツと揉めて怪我するとか馬鹿らしいだろ」
「まあな。でも、その心配はなさそうだぞ」
そう言ってセツは指を差す。秋人がセツの差す方向に視線を送ると、一人の男子生徒が止めに入っていた。
「高野、止すんだ」
「あぁ、てめぇには関係ないだろ、成世!」
高野は首に回していた腕を解き、止めに入った男子生徒に怒声を上げながら詰め寄ると、凄んだ。
教室内がざわつき、緊張感が高まる。
大抵の生徒や教員は、高野の凄みに萎縮てしまう。だが、成世と呼ばれた男子生徒は全く動揺した様子を見せない。落ち着き払い、強い眼差しで荒野と視線を交え、再度注意する。
「止せと言っているだろう。深野君が嫌がっているじゃないか」
「嫌がってる? おいおい、俺たちは仲良しだぜ! なぁ、深野?」
成世を睨んでいた高野はそう言うと、深野に声をかける。
「……そ、それは」
しかし、深野は何も答えずに、おどおどとしてしまう。
「深野! そうだよなッ?」
返事を返さないことに、高野は苛立つ。体からは怒気を発し、表情は徐々に険しくなっていく。
「おい、根暗!」
我慢の限界に達した高野は、深野に迫ろうとした。だが、セツと秋人によって阻まれる。
「嘘をつくにしても、もう少しマシな嘘つけよ、高野」
「いい加減しろ、高野」
セツは呆れた表情を浮かべながら否定し、秋人は真顔で咎める。
「……ちッ」
さすがの高野も三人相手では分が悪いと判断したのか、机を蹴り飛ばし、深野を睨みつけてから離れていった。
「大丈夫かい? 深野君」
成世は、先ほどの強い眼差しとは打って変わり、柔らかな笑みを浮かべる。
「……へ、平気だよ、ありがとう成世君」
乱れた制服を元に戻しながら深野は、小さな声で礼を言う。
「それなら良かった」
助けたことに対して、気にした様子を見せない成世は、セツと秋人にも感謝の言葉を口にした。
「土雲と秋人も、ありがとう。二人が来てくれて助かったよ」
「俺らはなんもしてないって」
「ああ、成世一人でも何とかなっただろ」
問題も起こらずに事態が収束した。教室内に漂っていた重苦しく険悪な空気が和らぎ、周りで様子を伺っていた生徒たちは心の中で安堵の声を上げる。
ほとんどの生徒は、自分が標的にされたくないと考える。だが、それでは見捨てたことになってしまう。そのため、成世たちの邪魔をしないためだと、自分を正当化するのだ。
被害者からすれば、傍観者も加害者と同じだと思われているとは知らずに……。
高野が立ち去ったことで、遠巻きに様子を窺っていた女子生徒二人が近寄ってくる。その最中、深野と彼女たちの目が合った。
「ッ!?」
深野は息を呑んだ。彼女達が深野に向けた目は、蔑む目と冷たい目だったからだ。 その目に耐えられず、深野は俯いた。そして、必死に堪える。爪が食い込むほど拳を握り締め、微かに体を揺らしながら。
女子生徒二人はすぐに深野から視線を外すと、満面の笑みを浮かべて成世の言動を称賛する。
「さっすがヨウくん、かっこいい」
「ええ、とっても素敵」
成世太陽。
端正な容姿に、百八十を超える身長。性格は真面目で、物腰は柔らかく、誰とでも気さくにコミュニケーションを取る。そのため、複数人の女子生徒から好意を寄せられるクラスの中心人物。
成世太陽はクラスの頂点であり、誰もが羨む存在。
その真逆の位置にいるのが、
平均的にもかかわらず、姿勢が悪いせいで低く見える身長。病的に白い肌と、痩せた体型は頼りなく、押せば倒れてしまいそうである。
荒野康気はクラスの底辺であり、誰もが哀れみを抱く存在。
そんな認識を、ほとんどの生徒がしていた。そして、それはこれからも変わらないだろうと思っていた。
――しかし、日常は終わりを告げる。
教室のちょうど中心の床に突然、光の点が現れたのだ。
光の点は一瞬にして床一面に広がり、 そして生徒たちは声を上げることもできずに光の中へ落ちた。
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