第二話 終わりの始まり

 

 太陽を覆い隠す暗雲が、空一面に広がっていた。


 八月八日、予報は雨。


 普段よりも早めに、家を出る。


「おはよう、セツ」


 信号待ちをしていると、後ろから声を掛けられる。


 振り返ると、中村秋人が立っていた。


 目を引く精悍な顔つきに、セットされた黒髪。背丈は百八十センチを超えており、引き締まった体をしている。背には、『DAIWA』と刺繍されたサッカー部のバッグを背負っていた。


「おはよう、秋人」

「今日は早いな」

「ん? ああ、雨が降るらしいから早めに来た」


 通学中にセツと会う事が無いので秋人は驚いたが、その理由を聞いて彼は納得した。


 そこから会話が始まり、セツは聴いていた音楽を止める。そして、スマホをポケットに仕舞おうとした。が、上手く仕舞うことができず、地面に落としてしまう。



「――あっ!?」



 信号が青に変わり、人だかりが波のように一斉に動き始める。


 秋人もその流れ乗って歩き出したが、セツがついて来ていないことに気付き、立ち止まって振り返った。


「どうした?」

「最悪……スマホ落としたら、ディスプレイが割れた」

「なんだ、厄日か? レギュラー発表が近いんだから、あんま近づくなよ」

「クソッ、秋人が声さえかけて来なければ……」

「俺のせいかよ!」


 軽口を言い合いながら信号を渡り、学校の正門を通って二階の教室へ向かう。


 




 ◇◇◇◇◇






 教室の中に入ると、すでに半数ほどの生徒が登校していた。


「おはよう、秋人、土雲つくも君」

「おはよう、舞」

「……あぁ、おはよう、春見」


 微笑みながら挨拶してきた女子生徒は、春見舞。


 茶色みがかった髪に、色白の肌。童顔で小柄な体格をしている彼女は、小動物を思わせる雰囲気がある。


「ねぇ? 土雲君は何で暗い顔してるの?」

「あぁ……学校前の信号でスマホ落としてさ、その衝撃で電源が入らなくなったんだよ」

「それは、ツイてないね……」


 春見が視線を送ると、セツが暗い顔をさせながらスマホを眺めていた。


「……はぁ」

「セツ、元気出せって」

「時間が経てば電源が入るかもしれないよ」


 秋人と春見は、セツのことを慰める。


 そんな中、一人の男子生徒が教室に入ってきた。


 それまで思い思いの時間を過ごしていた生徒達が、その男子生徒に気付いた途端、顔をしかめる。


 足音を立てて歩くその生徒は、静かに座っている男子生徒の元にニヤニヤとした笑みを浮かべながら近寄ると、悪声を浴びせた。


「よぉ~、根暗」

「高野君ッ!? な、何でこんな早くに……」

「俺が早く来ちゃ悪りいのかよ、あ?」


 悪声を浴びせた男子生徒は、高野こうの宏器こうき


 常に眉間に皺が寄っており、人相の悪い顔つき。がっしりとした体格をしていて、短く刈り上げた髪型や褐色の肌など、近寄りがたい様相をしている。


「暇なんだ、ちょっと付き合えよ」

「いや、ちょっと……く、苦しい……」


 高野は、男子生徒の首に腕を回して強引に連れ出そうする。


 その光景を目の当たりにしたことで、生徒達の心情や行動に変化が生じた。


 嫌悪感を抱く者。距離を取る者。同情する者。見て見ぬふりをする者。


 生徒たちは、高野の言動に不快感や反感を抱いている。しかし、それを注意する生徒は少ない。なぜなら、自分が標的にされるかもしれないから……



 ――もしくは、



「おい、セツ」

「はぁ……。ったく高野のヤツ、毎回絡みやがって」


 高野の様子を見るなり、秋人はセツに呼びかける。気落ちしていたセツも、そのまま見過ごすこともできず、秋人の呼びかけに応じて席を立った。


「高野の事だからイラつくかもしれないけど、手は出すなよ」

「んなこと、するかっての」


 秋人の注意に、セツは少しムッとした顔で答える。


「アイツと揉めて怪我するとか馬鹿らしいだろ」

「まあな。でも、その心配はなさそうだぞ」


 そう言ってセツは指を差す。


 秋人がセツの差す方向に視線を送ると、一人の男子生徒が止めに入っていた。


「高野、止すんだ」

「あぁ、てめぇには関係ないだろ、成世!」


 高野は首に回していた腕を解き、止めに入った男子生徒に怒声を上げながら詰め寄ると、凄んだ。


 教室内がざわつき、緊張感が高まる。


 大抵の生徒や教員は、高野の凄みに萎縮てしまう。だが、成世と呼ばれた男子生徒は全く動揺した様子を見せない。落ち着き払い、強い眼差しで荒野と視線を交え、再度注意する。


「止せと言っているだろう。深野君が嫌がっているじゃないか」

「嫌がってる? おいおい、俺たちは仲良しだぜ! なぁ、深野?」


 成世を睨んでいた高野はそう言うと、深野に声をかける。


「……そ、それは」


 しかし、深野は何も答えずに、おどおどとしてしまう。


「深野! そうだよなッ?」


 返事を返さないことに、高野は苛立つ。体からは怒気を発し、表情は徐々に険しくなっていく。


「おい、根暗!」


 我慢の限界に達した高野は、深野に迫ろうとした。だが、セツと秋人によって阻まれる。


「嘘をつくにしても、もう少しマシな嘘つけよ、高野」

「いい加減しろ、高野」


セツは呆れた表情を浮かべながら否定し、秋人は真顔で咎める。


「……ちッ」 


 さすがの高野も三人相手では分が悪いと判断したのか、机を蹴り飛ばし、深野を睨みつけてから離れていった。


「大丈夫かい? 深野君」


 成世は、先ほどの強い眼差しとは打って変わり、柔らかな笑みを浮かべる。


「……へ、平気だよ、ありがとう成世君」


 乱れた制服を元に戻しながら深野は、小さな声で礼を言う。


「それなら良かった」


 助けたことに対して、気にした様子を見せない成世は、セツと秋人にも感謝の言葉を口にした。


「土雲と秋人も、ありがとう。二人が来てくれて助かったよ」

「俺らはなんもしてないって」

「ああ、成世一人でも何とかなっただろ」


 問題も起こらずに事態が収束した。教室内に漂っていた重苦しく険悪な空気が和らぎ、周りで様子を伺っていた生徒たちは心の中で安堵の声を上げる。


 生徒たちは、不快感や反感を抱いても何もしない。その事に罪悪感を覚えはするが、止めたことで自分が標的にされたらと考え、行動を起こすことはしないのだ。


 もしくは、成世達がいると、成世達の邪魔をしないためだと、自分を正当化する。



 被害者からすれば、傍観者も加害者と同じだとは知らずに……



 高野が立ち去ったことで、遠巻きに様子を窺っていた女子生徒二人が近寄ってくる。その最中、深野と彼女たちの目が合った。


「ッ!?」


 深野は息を呑んだ。


 彼女達が深野に向けた目は、蔑む目と冷たい目だったからだ。


 その目に耐えられず、深野は俯く。


 そして、必死に堪える。爪が食い込むほど拳を握り締め、微かに体を揺らしながら。


 女子生徒二人は、自分たちの視線でさえ怯え、視線を逸らす深野を心底軽蔑した。が、それも一瞬であり、すぐに満面の笑みを浮かべて成世の言動を称賛する。


「さっすがヨウくん、かっこいい」

「ええ、とっても素敵」


 成世太陽。

 

 端正な容姿に、百八十を超える身長。性格は真面目で、物腰は柔らかく、誰とでも気さくにコミュニケーションを取る。そのため、複数人の女子生徒から好意を寄せられるクラスの中心人物。


 成世太陽はクラスの頂点であり、誰もが羨む存在。 


 その真逆の位置にいるのが、深野ふこうの康気こうき


 平均的にもかかわらず、姿勢が悪いせいで低く見える身長。病的に白い肌と、痩せた体型は頼りなく、押せば倒れてしまいそうである。


 荒野康気はクラスの底辺であり、誰もが哀れみを抱く存在。


 そんな認識を、ほとんどの生徒がしていた。そして、それはこれからも変わらないだろうと思っていた。



 ――しかし、日常は終わりを告げる。



(……なんだ、あれ?)


 初めに異変に気づいたのは、俯いていた深野だった。


 教室のちょうど中心の床に突然、光の点が現れたのだ。


 深野が驚きながら顔を上げると、光の点が一瞬にして床一面に広がった。


 突然足元が光だしたことで、生徒たちが驚愕の声を上げる。



 ――だが、次の瞬間。



 生徒たちは、光の中に落ちていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る