第三話 目の前の光景

 

 光の中は、まるで冷たい水で満たされているようだった。それでも、息苦しさは感じない。感じている余裕がなかったという方が正しいのかもしれない。


 なぜなら、凄まじい速度で落下していたからだ。


 風切り音も、風の抵抗も一切感じないまま、ただひたすらに落ちていく。瞼を閉じていても感じる強い光のせいで、目を開けることも出来ない。


 落下速度は、際限なく上がっていった。そして突然、空中に放り出される感覚が襲う。


 死を覚悟した。 


 だが、いくら待っても衝撃も痛みも訪れなかった。


(ん? 立ってる……?)


 一瞬、死んだのかとも考えたが、靴底から伝わる固い感触、湿っぽい土の匂い、ひんやりとした空気、大勢の人の気配を感じた。


(生きてる……のか?)


 恐る恐る、目を開く。


「――なッ?」


 目に映る光景に、思わず息を呑む。


「どこだ……ここ……?」


 理解が追い付かない。


 さっきまで教室にいた。いたはずなのに……、


 薄暗く、何もない広大々な空間に立っていた。


「どこだ、ここはッ?! なぁッ?」

「俺が知るかるかよ!」

「くそっ、なんでスマホが圏外なんだよ!」


 呆然と立ち尽くしていると、他の生徒たちの怒声や悲鳴が耳に届き、現実に引き戻される。


(教室にいたやつらが、全員いるのか……ッ、秋人、春見)


 二人の後ろ姿を見つけ、駆け寄る。 


「秋人! 春見!」


 二人に声を掛けると、秋人が顔を向けてくる。


「セツ」


 秋人が安堵した表情で話し掛けてくる一方、春見からの応答がない。


「……春見?」


 春見の顔を覗き込むと、青ざめた顔で肩を抱きながら震えていた。


 その様子を見て動きを止めたが、代わりに秋人が答えた。


「舞も平気だ。ほら、舞って絶叫系が苦手だったろ?」


 秋人の言葉で、春見が怖がりだということを思い出す。


「あ、ああ、そうだったな……。一体、何が起こったんだ……」

「分からない……」


 秋人も、力なく呟く。


 春見が落ち着くまで、秋人と二人で状況を確認することにした。


 まずは、体を確認する。


 制服に乱れや汚れはなく、体に傷一つ負っていない。ポケットには、スマホも入ったまま。


 他の生徒達も、見た限りでは学校にいた時と同じ状態だった。


 次に、この場所を見渡す。


 滑らかな石畳の床、窓の無い岩肌で出来た壁、体育館並みの広さを持つ無機質な空間。四方には巨木のような柱が聳え立ち、その柱に取り付けられた寒色の光源が、空間を薄暗く照らしている。


 そして何よりも目を引くのは、閉じられた巨大な門。


(まさか……開くってことはないよな……)


「皆、落ち着くんだ!」


 門を見つめていると、成世がみんなを落ち着かせるために声を上げた。だが、高野が成世に食ってかかる。


「落ち着けだぁ? お前、今の状況を分かってるのか! 俺たち全員攫われたんだぞッ!」

「そ、それは、そうかもしれない。でも、まずは冷静になって、皆で協力を――」


 成世もこの状況に混乱しているのか、いつもの自信に満ちた表情は影を潜めていた。


「協力だぁ?! 命だって危ねぇかもしれねぇのに、とろくさい奴らのことなんか知ったこっちゃねぇだろッ!」

「なッ!? 馬鹿なこと言うな!」


 高野と成世の二人は、声を荒らげて言い争う。


「おい、成世ッ! てめぇは、こんな根暗野郎の力も必要だって言うのかよッ?!」


 高野は、蹲って震えていた深野を指差す。


「こんな根暗野郎に何ができるっていうんだよぉ! ビビって蹲ってるだけの野郎によぉ!」


 高野は、蹲っている深野を罵ると、腹部を蹴飛した。


「ぐぅっ!」


 腹部を蹴られた深野は、床に倒れ、蹴られた箇所を手で押さえながら藻掻く。


「「「「キャアアア!」」」」

「高野ッ!」


 女子生徒たちが悲鳴を上げ、成世が高野に怒号を飛ばす。


 (高野の野郎、ふざけやがって!)


 無意識のうちに、高野の方へ一歩を踏み出した。


「セツ!」


 ところが、後ろから秋人に呼び止められる。振り返ると、秋人が真っ直ぐにこちらを見つめていた。


「舞。悪いけど、深野の様子を見てきてくれないか?」

「うん、わかった」


 冷静さを取り戻した春見は、秋人の頼みを聞いて深野のもとへ向かう。


「セツ、落ち着け。荒野が許せないのは分かるけど、お前まで感情的になったら収拾がつかなくなる。みんながパニックを起こしたら、最悪、怪我人が出るぞ」


 秋人の言葉を聞いて、頭に上っていた血が徐々に冷えていく。ダメ押しで、深呼吸をして気を落ち着かせた後、口を開いた。


「悪い、秋人。頭に血が上ってたみたいだ」

「気にすんな。アイツがやったことが許せないのは俺も同じだしな」


 秋人は気にした様子も見せず、笑みを返してくる。


「成世と高野の方も、何とかなったみたいだな」


 成世と高野の方へ視線を向けると、二人は他の男子生徒たちに引き離されていた。


「秋人」


 声に釣られて顔を向けると、春見が戻ってきた。


「舞、深野は?」

「うん。最初は苦しそうだったけど、今は落ち着いたみたいで、もう平気だって」

「そうか、それなら良かった。舞も、頼んで悪かったな」


 秋人が礼を告げると、春見は『ううん、大丈夫』と返事をしながら微笑む。


 そんな二人のやり取りを見ていて、ふと疑問を抱いた。

 

「なぁ? 秋人は、何でそんなに冷静なんだ?」

「私も思った。目が覚めてすぐ、私を気遣ってくれたし。どうして、秋人は平気なの?」


 春見も、秋人に問いかける。


「二人して、そんな目で見るなって。……試合中でミスする時ってさ、焦ってプレーした時なんだよ。視野が狭くなって、いつもできることができなくなるんだ。だから、普段からふとした時に、『冷静』って言葉を思い浮かべるようにしてるんだよ。そしたらさ、焦った時に『冷静』って言葉が浮かぶようになったんだ」


 秋人は誇張や自賛もなく、淡々と語る。


「ま、たまにはサッカー馬鹿も役に立つってことだな」


 そう言って、秋人は精悍な顔をにっと破顔させた。


「……そういうところだよ、秋人」


 秋人を見つめる春見は、大きな瞳を潤ませて、頬を赤めながら小さく呟いた。 


「ホント、マジ助かった。で、これからどうする? あの門が開――ん?」


(なんだ……?)


 天井を見上げる。光源が乏しいせいか、暗闇が広がっていて何も見えない。


 「どうした、セツ?」

 

 秋人が、不思議そうに声をかけてきた。


「あ……いや、悪い、なんでもない」


 咄嗟に笑顔を浮かべ、謝罪を口にする。


(誰かに見られてた……?)


 確信が持てない。


 だが、どうしても後ろ髪を引かれる。しかし――、


「セツ!」


 秋人に切羽詰まった声で名前を呼ばれ、思考は中断させられた。


 慌てて、秋人を見る。


 秋人は険しい表情で、ある方向を見つめていた。


 視線を辿る最中、金属が軋む音が響く。


「な……」


 音の正体は、巨大な門。


 門が、少しずつ開かれていく。


 がらんどうな空間に木霊する、重々しい開閉音。


 息することも忘れ、門を凝視する。


 やがて、人が通れる隙間ができると、一人の男が入ってきた。


「ようこそ、お越しくださいました。朝の子であられる



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る