第3話 黒の写し身
一夜さんから告げられた国の状況は驚いたが、それ以上に気懸りなことがあった。背筋に悪寒が纏わりついているのに、直接的な危険は感じていないことだ。その違和感に固まっていると、ふと最悪な展開が脳裏に過る。
――ホリィが内戦に巻き込まれるのではないか……。
そう考えてしまったら最後、居ても立っても居られなくなり、一夜さんに小夜ちゃんの影と合流するように伝え、すぐに国へと向かう。
人と遭遇する可能性を考慮して避けていた街道に向うと、一気に駆け抜ける。
国に近づくにつれ、平原に変化が現れた。街道の両脇に広がる広大な農地や家畜小屋――国の領土に入ったのだろう。それでも、速度を緩めることなく突き進む。
(ん?)
壁がはっきりと視認できる距離まで近づくと、壁の外側に木材で建てられた粗末な建物が密集しているのが目に付いた。
「キルト様、影の中から――」
「そんなことはどうでもいいです。ホリィはいましたか?」
自分の影から顔を出し、声をかけてきた一夜さんの言葉を遮り、ホリィが見つかったのかを尋ねる。
「申し訳ございません、まだ見つけられていません。ですが、あの建物の中にいないことは確認済みです」
「そうですか」
建物から視線を外し、正面に見える巨大な門を見据える。
「キルト様、門は閉ざされております。ですが、別の入口を見つけておりますので、ご案内いたします。私について来て下さい」
一夜さんが影から飛び出ると、誘導するように門とは違う方向へ走り出す。
「
一夜さんの後を追いながら、安否を尋ねる。
「無事です。今は身の安全を確保しながら、ホリィさんを探しています」
国を囲む壁の高さは、目算で五十メートルほど。正門のほぼ反対の位置まで走ると、一夜さんが立ち止まった。
「こちらです」
一夜さんが指し示した壁には、人一人が通れる穴が空いていた。厚さ七、八メートルほどの白い石壁に空いた、坑道のような穴を迷うことなく潜り抜けると――、
「キルト様」
「如何いたしましょう?」
一夜さんが
(どうする……)
壁の内側には入れたが、国は広大で、こちらの人数は三人と少ない。しかも、時間はあまりかけられない状況なのだ。
『キルト様』
どう動くのが最善か悩んでいると、アルシェさんに名前を呼ばれた。彼女の方から声をかけてきたのは初めてだったため、一瞬思考が止まる。
『……どうしました?』
『一夜様と小夜様に、時計回りと反時計回りに分かれ、外周から渦を描くように家の中を捜索するよう指示を出してください』
(なんだ、いきなり……?)
自分の意見を言わないアルシェさんが、今後の行動を提案してきたことに驚く。
外が見えるように穴を開けているので、中にいる人たちが会話を聞いていても不思議ではない。しかし、アルシェさんの提案ということもあり、逡巡してしまう。
『キルト、聞こえる? あのね、私がアルシェにホリィを探す方法を聞いたの』
『エノディアさんが……』
彼女の言葉を聞き、腑に落ちた。そして、それならば信頼もできる。
『アルシェさん、なんで外周から探すんですか? 中央から探した方が早い気がするんですが。それに、中央に行けば状況も把握できますし……』
『中央は今、内戦の渦中です。そんな場所に、二歳の子どもが一人でいるとは考え難いです。もしこの国にホリィがいるのなら、戦地から遠く、比較的に安全な家の中に隠れている可能性が高いです』
アルシェさんの指摘は、反論する余地がないほどに的確だった。
『ただ、中央にいる可能性も否定できません。ですから、キルト様には中央の捜索をお願いしたのですが……その、危険が……』
急に言葉を言い淀むアルシェさん。それが、自分の身を案じてくれていることが伝わった。
『アルシェさん、心配してくれてありがとうございます。けど、俺のことはどうでもいいです』
そう告げた後、指示を待っている二人に声をかける。
「一夜さん、小夜ちゃん。時計回りと反時計回りに分かれ、外周から渦を描くように家の中を探してください。俺は中央に向かいます」
「ですが、それではキルト様に危険が……」
一夜さんが顔を上げ、眉を顰める。
「俺の事のことより、ホリィのことを最優先にしてください。これは命令です」
尚も食い下がろうとする一夜さんから無視し、中央に向かって走り出した。
(すいません……)
壁付近に建物はなく、畑や家畜小屋がまだ広がっている。しかし、中央に近づくにつれ、踏み固められただけの土の道が石畳へと変わり、石造りの建物が碁盤の目のように立ち並ぶ。
(……ッ)
主通路を走っている最中、中央からけたたましい高音が聞こえてきた。
「この音……」
聞き覚えのある音だった。
それは、闘技場で長身の男と小太りの男が投げてきた青い小石。
(――……ッ、今は考えるな!)
頭を振り、思考を止めて疾走し続けていると、国の中央に大勢の気配を感じ取る。
「あれは?」
国の中央には、城か宮殿がある場所を囲うように、もう一枚壁があった。その前に、開けた場所に人だかりができている。
(ホリィ……)
幸い、人だかりは前方を向ているため、こちらには気づいていない。音を立てずに近寄り、ホリィを探す。
走り寄りながら確認したが、後方にそれらしい姿は見当たらない。
(いるのか……)
俯瞰して見るが、群衆の外側にいなかった。それどころか、子どもは一人としておらず、群衆は高齢の者が多かった。
(いないのか?)
残るは、人だかりの中か前方のみ。
およそ百名前後の群衆。その中から子ども一人を見つけるのは難しい。さらに、徐々に群衆は殺気立ち、怒号が飛び交い始めた。
『アルシェさん、見てますか?』
悩んだ末、アルシェさんに助言を貰うことにした。
『はい。キルト様、人だかりの前方へ移動してください』
『ッ、でも、ホリィが混ざってる可能性が……』
『その可能性もございます。ですが、人だかりの中にホリィ様がいるのか現状では不明であり、捜索するのも困難です。今は、できることを行うべきです。前方に移動し、状況を把握すれば、取れる選択肢が増えます』
『……わかりました』
群衆に溶け込みながら、沿うように前方へ移動する。前に出過ぎないように気を付けながら前方が伺える位置まで移動すると、鎧を着た兵士たちと高位な服装をした二人が見えた。
(この二人のどっちか……いや、真ん中に立ってる若い方がトップか。着てる鎧は……どっちも同じ。ってことは、味方同士で争ってるのか?)
味方同士の争い。しかし、両軍には大きな違いがあった。
壁の前で隊列を組んでいる兵士たちは前列を盾持ちで固め、その後ろに槍兵、そして後列にはローブを着た者たちが控えている。一方、群衆のほとんどは兵士ではなく国民であり、武器は農具や木の棒を握りしめていた。
圧倒的な戦力さだった。
(あっちは、あの人がトップか)
最後列の中心、異なる鎧を着た兵士に守られている男。歳は三十代後半で、中肉中背な体格。黒っぽい灰色の髪をしており、襟足を三つ編みにしている。赤いコートは装飾は少ないが質は良く、金色の装飾品が映えていた。
一触即発の気配漂う空気の中、群衆のトップが声高らかに叫ぶ。
「貴方は間違ってる!」
叫び声に呼応するように、群衆が腕を掲げながら声を上げた。ところが、隊列を組む正規軍のトップは動じず、冷めた目で見つめている。
「法に則って裁いたまでだ」
「それがおかしいと言っているんだ! 貴方は国人の声に耳を傾けず、国を変えた。それだけじゃない。貴方が従えているまつろわぬ民たちの蛮行や犯罪の数々。だが、貴方は裁かない! どこが法だと言うのですかッ?」
「そうだ、私の娘はあいつ等に……! 絶対に赦さん! 殺してやる!」
「俺たちは国を取り戻すんだ! そうだろ、皆ッ?」
「「「「おおー!」」」」
(マズい……)
もういつ争いが起こってもおかしくない状況に陥る。だが――、
「ふんッ、コイツら全員、極刑だな」
隊列の奥から不機嫌そうに呟く声が聞こえた。そして、その声の主が姿を見せた瞬間、殺気立ってた群衆が怖気づく。
(あの男の火、他の兵士より……ラルフさん並みにデカい)
『アイツは……』
姿を見せた男を観察していると、ラルフさんが驚いたように呟いた。
『あの男を知ってるんですか、ラルフさん?』
『アイツは、元警守だ』
『えッ?! もしかして、ラルフさんの知り合いですか?』
『いや、知り合いってほどの仲じゃねぇが……まさか、こんなところに居やがったとはな……』
『どんな人なんですか?』
『プライドの高けぇヤツだが、腕は確かだ。近くにいる魔獣や魔物の匂いを嗅ぎ分けられるほど鼻が利くんで、‘‘番犬’’って呼ばれてた。……ちッ、今は見る影もねぇな』
ラルフさんが苛立ちながら、悪態を吐く。
無理もない。かつて番犬と呼ばれた金髪の坊主頭の男は、日常生活に支障をきたすほど、全身にぜい肉が付いているのだ。
『なんで、そんな人が警守を辞めたんですか?』
『アイツは数年前に護衛任務を失敗して、姿をくらましたんだ』
『護衛任務?』
その言葉を聞いて、嫌な予感がした。
脳裏に浮かぶ漆黒の管理者。
『ラルフさん、それって――』
しかし、話を追及しようとした瞬間、
「俺らに反旗を翻したんだ。いいよな、王様?」
「殺すな。法の裁きを下す」
間を置いた王は、冷たく言い放つ。その言葉を聞いて、
「おい」
「へい」
男が声をかけると、番犬と同じ鎧を着た男が縛られた女性を差し出す。
「てめぇら、選べ。とっとと牢にぶち込まれるか、それとも、この女がここで俺らに犯されるか。俺はどっちでも構わねぇぞ」
「ボス! ボスの後はオレが!」
「ざけんなッ! ボスの次はオレだ!」
女性の体を舐め回すように眺めながら、番犬が嗤う。周りにいる者たちも、まるで尻尾振って興奮する卑しい犬のような嗤い顔を浮かべていた。
その顔を見た途端、
「ほら、早くしろッ!」
「あ……」
恐怖に引きつった顔をした女性が必死に逃れようと暴れると、忌まわしき記憶が完全に目を覚ます。
激しい動悸が起こり、滝のような汗が流れ出す。
「……ダメだ」
指先や舌が痺れ出し、上手く息が吸えない。
目の前の現実に耐えられず目を瞑るが、瞼の裏に闘技場の風景が鮮明に浮かぶ。
「あッ!」
慌てて目を開けると、視界の端が黒く、中心は歪んでいた。
『キルト、大丈夫?』
異変に気付いたエノディアさんが声をかけてくる。
ただ、答える余裕はない。
記憶と現実が、交じり合い出す。
それはまるで、夢を見ているようだった。
結末を知る悪夢を。
「はァ……はァ……」
けたたましい耳鳴りのせいで、周囲の音が聞こえなくなっていく。
『キ……ト、……夫……』
エノディアさんの声も遠ざかる。
「止めろ……」
自分という存在が曖昧なものになっていく。
「やめ……ロ……」
手が焼けるように熱い。
「「「「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ――」」」」
直後、心に浮かぶ黒い真球が激情を発する。
「コロス」
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