第12話 純白
宇宙と空が交わる境界に、一人で佇んでいた。
「ここは……」
暗い部屋の中で、殺めてしまった三人と再会した。
思いも寄らぬ再開に、頭が真っ白になり、謝罪することもできずに固まってしまった。
心が、罵られることを恐れたのかもしれない。ところが、罵りも、怨みの一言も浴びせられることはなかった。
変わりに託された
誓いを立てた。命に代えても守り抜くと。
その後、緊張の糸が緩んだことで眠気に襲われてしまい、意識を手放した。
「どこだ……?」
眼前に広がる光景に、理解が追い付かない。
星一つ見えない大気圏の天蓋。だが、果てまで続く宇宙の闇を見渡せるほどに、この場所は明るい。足元には、淡い光に包まれた青い星が見える。
下を見た。足底から硬い感触が伝わってはいるが、足場や床などはない。まるで、分厚いガラスの上に立っているようだった。
これほどの高高度の場所に立っているのに、息苦しさや寒さを一切感じない。
(夢……?)
明晰夢を見ているのかとも思ったが、意識や思考があまりにも現実的過ぎる。
「はじめまして、日本の御方」
不可解な状況に困惑していると、突然後ろから声を掛けられた。
――声を掛けられるまで、存在を認識できなかった。
声からして、女性。
尖った印象を感じさせず、柔らかで、一言一言に優しさが込められているような声。
唾を飲み込む。
常時、火を探ることが習慣付いていた。にもかかわらず、声を掛けられるまで存在を認識することができなかった。
(なんでだ……?)
思考を巡らそうとしたが、すぐに止めた。
状況が不明な今、思考することに意識を割けば、命取りになりかねない。理由はどうであれ、何者かが後ろにいるということを受け入れた方が賢明である。
声に、敵意や害意は感じられなかった。おそらくは、この場所に呼んだ張本人だろう。
警戒をしたまま、ゆっくりと振り返る。
立っていたのは、純白の美麗な女性のような何かだった。
背丈は、百六十後半。着物に似た着衣の上に、古代ローマの服装であるトガのような衣服を纏っている。長い白銀の髪、輝く様な白い肌、純白の衣服と、神聖さが漂っていた。
顔立ちも、体型も、服装も全てが人間の其。しかし、それは側だけであり、中身は全く異なる存在。
面と向かってようやく分かった。
純白の女性の火は、体内に灯っているという規模ではない。まるで、太陽。地平線を照らし、命を芽吹かせる温光そのものだった。
気配を感じ取れなかったわけではない。大き過ぎるあまり、気配として認識できていなかったのだ。
(この場所が明るいのも……)
宇宙の闇すらも払い除ける火だということを認識した瞬間、大きく身震いがした。
今まで見た火とは、明らかに次元が異なる。
規格外の火、そして摩訶不思議な場所での対峙、思い浮かぶ存在は一つだった。
(なんで……)
九分九厘間違いないであろうその存在が、どうして自分の前に姿を見せたのか。その理由を考えようとしたが、すぐに自分の罪が浮かんだ。
顔が強張り、無意識に視線を外してしまう。
(――ッ)
数秒後、自分が取った行動が不自然過ぎることに気付き、表情を元に戻す。
ただ、視線を合わせることはできず、女性の顎先に視線を持っていく。
(頼む、バレないでくれ……。逃るわけじゃないんだ。二人との約束を守るために……だから、頼む)
悶々としながらも、上手く取り繕えたか女性の様子をそれとなく窺う。
「どうかされましたか?」
不意にかけられた言葉に、胸が早鐘を打つ。
だが、まだ判断はできない。
仮に気付かれていなかった場合、ここで女性に返答をしなければ怪しまれる。
気取られないよう細心の注意を払いつつ、女性と目を合わす。
「ッ!?」
背筋に冷たいものが走る。
完璧なまでに左右対称な顔。彫りの深さや高い鼻筋をしているが、幼さや愛らしさも感じさせる顔立ち。そんな女性が、こちらを心配するような表情を浮かべていた。
だが、女性のあるものを目にして畏怖の念を抱かずにはいられなかった。
それは、瞳。
女性の瞳には、感情や生気が宿っていなかったのだ。
表情や言動こそ、こちらを気遣う仕草ではあるものの、その実は違う。ただ単に、真似ているだけ。まるであらかじめプログラミングされた動きを、状況に応じて取る機械のようにだった。
思い浮かべた存在が、確信へと変わる。そして同時に、誤魔化せるかもしれないと思った自分がひどく浅ましく思えた。
(馬鹿か、俺は……)
一度、深呼吸を行う。
気持ちが落ち着くと、姿勢を正し、口を開いた。
「すみません、大丈夫です。その、あなたは……神様、なんですか?」
おずおずとした口調で、女性に尋ねる。
「私はこの世界の管理者であり、神ではありません。ですが、地球に当てはめて言えば、神ということになります」
目の前にいる女性は、曇りも光も無い目をこちらに向けて確かに言った。
神である、と。
ここまでは、想定内である。
「そう、ですか。なら、どうして神様が? ……罰を、与えに来たんですか?」
固唾を呑んで、純白の管理者の審判を待つ。
超常的な力や魔族が存在する異世界。罪を犯した者を罰するために、神が降臨することも無いとは言い切れない。
三人と再会する前まであれば、むしろ望んでいた。ところが、今は違う。二人の前で誓ったのだ。娘を見つけ出し、守っていくと。
「安心してください、貴方に罰を与えることはしません」
純白の管理者は、微笑みを浮かべながら朗らかな声で告げた。
誰もが見惚れてしまうであろう天上の笑みを見た瞬間、心が反応する。
神は知っているのか。
知っていて、言ったのか。
知っていて、笑ったのか。
見逃されたのだ。
二人との約束を果たせる。
堪えろ。
自ら墓穴を掘るな。
拳を握りしめながら、自分に言い聞かせる。しかし、理性が決壊している状態では心を止められなかった。
もう、二度と会えない……、
笑う顔も、泣いた顔も、怒った顔も見れない……、
手を繋ぐことも、頭を撫でることも、抱きしめることもできない……、
俺が奪った……、
これから過ごすはずだった家族の時間を、これから築くはずだった家族の思い出を……、
鼓動の高鳴りと共に、抱いた感情は急速に膨れ上がっていく。
「なん……で……」
口を衝いて出る言葉。
「どうして、ですか……?」
感情の発露。
「あの人達を見捨てたんですか……?」
全身が熱を帯びていく。
「なんで、笑ってるんですか……?」
殺人という罪を犯した自分に対し、神は罰を与えないと美しい顔で言った。
懺悔した自分に対して罪を問わないという神の慈悲、もしくは慈愛なのかもしれない。
しかし、だ。
ならば、神にとってあの人達とはなんだったのか。
救いを求めたあの人達は取るに足らない存在だというのか。
「ふざけるな……」
そんなことは無い。
あの人達は、罪を犯した人間を許すことのできる慈悲深い人達だ。
殺した相手を気遣い、子どものために頭を下げた愛情深き人達だ。
「ふざけるな」
それをあろうことか、神がぞんざいに扱った。
「ふざけるなァああああああああああああああ!!!」
怒りが吹き出し、全身が逆立つ。
「なんで、あの人達を助けなかったッ! 神なんだろッ!? 見捨ててんじゃねぇよッ!」
大声を上げながら、怒りを吐き散らす。
「俺は違う世界の人間だッ! だけど、あの人達はこの世界の住人だろッ! 助けを求めただろッ?! 助けろよッ! 千年前は助けたんだろッ! ならなんで、あの人達は助けないッ?!」
管理者を指差し、睨みつけながら烈火の如く吠える。
「なんでだよッ!」
勢いのままに全て吐き出していると、次第に埋もれていた本音が露わになる。
「どうしてだよ」
神の存在を信じてはいなかった。
異世界に渡ってくる際も会わず、
神は居ない。
居ないのだから、縋っても無駄なのだ。
それが、自分で出した答え。
「なんで……、今更出て来るんだよ……」
ところが、答えを覆された。
概念のようなものではなく、尋常ならざる力を宿した神が眼前に現れたことで。
答えを出すために捨てた様々な思いが、這い上がってきた。
「遅せェんだよ……」
今言ったことは、すべて自分勝手な言いがかり。罪を犯したのは自分であり、神はあの場に姿を見せなかった。
それが、現実。
(――……ッ、いなかったけど……)
己の不甲斐なさや、無力感に打ちひしがれていた時だった。
感情を溜め込まずに吐き出したことで頭が回転したのか、ふと、ある可能性に思い至ることができた。
神であるならば、五人を生き返らせることも可能ではないか。
胸の奥に、希望が芽吹く。
残酷な現実を無かったことにできるかもしれないという一筋の光明が、芽吹いた希望を少しずつ花開かせていった。
希望を見出しことで、思考が加速する。
鳥籠の彼女は、死者は生き返らないと言った。
彼女の言葉は、おそらく嘘ではないだろう。しかし、それはあくまで規格内に収まる者達の話であり、規格外の存在である神は別のはず。
現に改造されて無比の強さを手にした自分が、神の火を前にして圧倒されたのだ。
徐々に光明が大きくなっていき、胸の奥が温かくなっていく。
(生き返る……)
頭が逸る気持ちを自制しようとするが、五人が蘇った時のことを心が想像してしまう。
生き返ったとしても、五人を殺めてしまったことが消える訳じゃない。
生き返ったとしても、誠心誠意謝罪をする。
生き返ったとしても、他の罰を受ければいい。
生き返ったら――、
生き返る――、
五人が――、
「あの――」
「それはできません」
先んじるように、響いた声。
それはあまりにも無慈悲で、鋭く、突き刺すような声だった。
予想だにしないタイミングで浴びせられたため、呼吸が止まる。肺が限界を迎え、空気の循環を再開すると共に、言葉も一緒に飲み込む。
膨らんでいた眩い希望は、音もならさずに萎んだ。
跳ね上げるように顔を上げ、純白の管理者に目をやる。
「なッ!?」
純白の管理者は微笑みを消し、その表情を厳しいものへと変えていた。
表情の豹変ぶりに気後れするが、どうにか絞り出すような声で聞き返す。
「で、できない……?」
「申し訳ありません」
間を置かず、真顔な表情を浮かべながら純白の管理者は謝罪の言葉を口にした。
できない。
神ですらできない。
生き返らない。
戻ってこない。
会えない。
脱力感に苛まれ、再び醜い感情に支配される。
三人と再会したことで、罪を背負い、歩んでいく決意を固めた。
その決意が、神との邂逅で揺らいでしまった。
五人が生き返るのではないかという希望を抱いてしまった。
「私があなたをここにお呼びしたのは、お話したいことがあってのことです。どうか――」
心地良いはずの声は耳障りな雑音へと変わり、たまらず、耳を塞ぐかのように自分の中に閉じ籠る。そして、一から決意を固め始め出した。
神との対峙など、無かったことにすればいいと自分に強く言い聞かせながら。そんな時だった―――、
「私からもお願いするわ」
純白の管理者の声が響く。
始めは反応せずにいたが、徐々に声の違和感を覚え、最後には思考を止めてしまう。
(今、声が……)
聞こえた声を、頭の中で思い返す。
すると、懇願をしてくる純白の管理者の声に被せるように、同じ方向から純白の管理者の声がもう一つ聞こえてきたことに気付く。
しかも、だ。その声は、純白の管理者と同じでありながら受ける印象はまったく異なっていた。
まるで、知性ある生き物を魅了し、誑かすような甘い声。
声が異なっている理由について、おおよその察しは付いた。
人がいて、魔族がいるのだ。
(なんで……)
だからこそ、どうして今更になってという憤りを抱かずにはいられない。
このまま、無視を決め込むことも考えた。ただ、この場所の時間の流れが現実と同じなのかが気懸りだった。
もし仮に時間の流れが同じだった場合、時間を無駄に費やすことになってしまう。 それはつまり、約束を果たせないということ。
一刻も早くこの場所から去るために、顔を上げた。
「ふふ……はじめまして、美しい子」
純白の管理者の隣、微笑みを浮かべる女性と目が合う。
容姿も、服装も、声すらも同じ。
唯一違うのは、色。
新たに現れた女性は、純白の管理者と対を成すように漆黒を纏っていた。
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