第二十三話 名前


白銀の女性アルシェさんの助力を得られることになった。


 この場所でやらければならないことは全て終えたので、出口へと向かう。


「……」


 一歩前に進む度に、鼓動が早くなっていく。


 出口に向かっている途中、鳥籠の彼女が 『闘技場に行かないといけない』と言ってきた。『白銀の女性アルシェさんに運んでもらうから、待っていてもいい』とも。


 しかし、自分も闘技場へ向かうことを選んだ。


「ふぅ――」


 薄く、深く息を吐く。


 冷や汗が止まらず、無意識に手を緩めては握り締める。


「ッ?」


 通路の先に、一つの青い火を感じ取った。距離的に、おそらく闘技場だろう。さらに、金属同士がぶつかり合う音も聞こえてくる。


(なんだ……?)


 警戒心を強め、通路の先を見据えていると、鳥籠の彼女も音に反応した。


「あ、やってるね~」


 鳥籠の彼女は警戒する素振りを見せず、まるで音の正体を知っているような口ぶりだった。


「なんの音ですか?」


 鳥籠の彼女に声をかけると、彼女は止まり木に座ったまま上半身だけをこちらに向けてきた。


「う~と……」


 鳥籠の彼女は、顎に指を当てて小首を傾げた。


「口で説明するより、見た方が早いかな」


 そう言って、鳥籠の彼女は正面に向き直る。


「そう……ですか」


 一瞬さらに追及しようかとも思ったが、通路の先の青い火に悪意や敵意はないため、通路の先に視線を戻して歩を速めた。


 やがて、暗闇に包まれた通路に煌々とした光が差す。


 闘技場を前にして、忌まわしき記憶に溺れてしまうと思っていた。が――、


「……誰ですか?」


 闘技場の中央に佇む存在を目にし、思考は状況を理解することに割かれた。


「ん? おお、来たか!」


 鳥籠の彼女が答えるよりも前に、闘技場の中央に佇んでいた存在がこちらに気付き、走って近づいて来る。


 金属音を鳴らしながら近づいてくるのは、全身が黒い金属で覆われた鎧。


「待って――、なぁッ?!」


 走っている途中で足をもつれさせた鎧が、頭から転倒し、大きな音と共に目の前でバラバラに散らばった。


 (空……)


 散らばった鎧の中に、本来いるはずの人の姿がない。にもかかわらず、鎧から声が零れる。


(胴体から聞こえる? というか、この声……)


「やっぱり、それ止めたら?」


 鳥籠の彼女が、呆れた目を鎧に向けながら声をかける。


「嫌だ」


 鳥籠の彼女の言葉を、鎧は聞き入れる間を一切置かずに突っぱねた。


「やめた方が良いって。悪趣味だよ、それ……」

「カッコいいだろッ!」

「えー、ぜんっぜん意味わかんない。ねぇ? そう思うでしょ?」


 鎧と会話する光景に面を食らっていると、不意に鳥籠の彼女が話を振って来た。


「あ、えーと……」


 話を振られ、改めて散らばっている鎧に目をやった。


 頭部は猿の顔をしており、威嚇するように口が開けられ、その中に肉食獣のような口がもう一つ付いている。


 暗黒騎士を彷彿とさせる姿。そして何より――、


「百歩……千歩譲って、なんでそれなの?」

「だ・か・ら! これがカッコいいんだろうがッ!」

「そのせいで、走れてないじゃん」


 興奮する鎧を他所に、鳥籠の彼女は冷静に鎧のある個所を指差す。彼女が指差したのは、鎧の下半身。鎧の上半身は人型なのだが、下半身は二本足ではなく、四本足なのだ。


(ケンタウロスみたいだな。というか、やっぱり……)


 喋り方と声が、大柄の男性と一致する。


「まったく、このカッコ良さが分かんないのかよ。なぁ? あんちゃんなら分かんだろ?」


 鳥籠の彼女からの共感を得られなかったため、鎧はこちらに話を振ってきた。


「あの、あなたは……」

「ん? ああ、すまんすまん。そういえば、言ってなかったな。あんちゃんの想像通りだ、さっきぶりだな」

「そうでしたか。でも、なんでそんな姿に……もしかして、それが頼んだっていう?」


 再会した時、大柄の男性に叶えて欲しいことはないか尋ねると、鳥籠の彼女に頼んだから無いと言われたのを思い出す。


「おう。そこの嬢ちゃんに頼んで、魂? よくは分からねぇけど、それをこの鎧に入れてもらったんだぁ」


 大柄の男性の話を聞き、視線を鳥籠の彼女に向ける。すると、視線に気付いた鳥籠の彼女は説明をしてくれた。


「ビックリだよね、鎧の体が欲しいなんて。ほら、胸の魔石が見えるでしょ? アレに魂を入れたの」

「そう……なんですね」


 とある事が気になって、鳥籠の彼女の話が途中から頭に入ってこなかった。


 それは、決してそのままにしておけない事。


 唾を飲み込み、覚悟を決めると、大柄の男性に視線を向けて尋ねた。


「なんで、鎧に魂を入れたんですか?」 


 気付かれない程度に、小さく身構える。


 もしも、だ。もしも、鎧に魂を入れた理由が自分に復讐するためだったら……。


 内々で緊張感が高まっていく一方、大柄の男性は一瞬黙ったかと思うと、堰を切ったように大声を出して笑い出す。


「ガッハッハッ――、理由なんて、特にねぇよ。死んだのに生きてたから、新しい体を手に入れたまでだ。まぁせっかくだから、カッコいいコイツを選んだがなぁ」

「悪趣味だよ~」

「また言いやがったな、ちっこいのッ!」

「ちっこいって言うなー!」


 二人が声を張り上げる中、大柄の男性の言葉を聞いて息が詰まった。


(気にしてない……)


 命を奪った相手を目の前にして、大柄の男性は憎悪の欠片も抱いていない。


「あんちゃんは、カッコいいと思うだろッ?!」

「悪趣味だよね?!」


 考え込んでいると、二人が同時に賛同を求めてきた。


「あぁ?」 

「はぁ?」


 二人のじゃれ合いを見ていると、どうしても日本の記憶が呼び起こされてしまう。


 拳を握り締め、思考を止める。


「あの、まず鎧を直した方が……」


 目の前に意識を向けるように、大柄の男性へ話しかけた。


「ん? あぁ、そうだな。あんちゃん、悪りぃけど、鎧を直してくんねぇか?」

「はい」


 四方に散らばった鎧を集め、記憶を頼りに組み立てる。


 蛇を模した尻尾、ボロ布や鎖、鋭い棘といった装飾品が鎧のどの箇所なのか判明させるのに苦労したが、二人と相談しながらどうにか組み立て終えた。


「あんがとな、あんちゃん。そう言や、まだ名乗ってなかったな。俺は、ラルフ・Eアーミン・ソーラってんだ。あんちゃんは、何て言うんだ?」


「あ、えっと……」


 何の気兼ねなしに名前を尋ねられ、言い淀んでしまう。


 ラルフさんは気にした様子を見せていないのに、命を奪った張本人が罪悪感で言葉に出来ない。


 いや、違う。


 名前を口にしないのは、そんなことではない。本当は――、


「あ~、無理しなくていいぞ」


 投げかけられた言葉に思考が停止し、呆けた顔でラルフさんの方を見る。


「まぁ、生きてりゃ、色々あるからな」


 野太くも、こちらを気遣うような穏やかな声。


「……すみません」

「ガッハッハッ――、気にすんな。人には、他人に言えねぇことの一つや二つあるもんだ」


 笑い声を上げながら、ラルフさんが頭を乱暴に撫でてきた。


「それはそうと……あんちゃん、えれぇ美人さんを連れてんな。隅に置けねぇなぁ、この色男」


 三歩後ろで姿勢良く立っている白銀の女性アルシェさんの方を見たラルフさんが、撫でていた手で頭を掴み、左右に揺する。


「なッ!? ち、違います!」


 頭を掴む手を腕で弾き、ラルフさんの誤解を解こうと声を上げる。


「そうか、そうか。ガッハッハッ――」

「……」


 ラルフさんの雰囲気から反論したところで無駄だと察し、鳥籠の彼女に声を掛ける。


「ラルフさんを迎えに来るのが目的だったんですよね?」

「そうだよ」

「なら――」











「うん。ここで、お別れだね」











 鳥籠の彼女は、静かに、しかし確かにそう言った。


「え……」


 唐突に告げられた別れの言葉に、理解が追い付かず固まってしまう。


「私は、ここに残るよ」


 鳥籠の彼女は、微笑みを浮かべる。


「残る……どうしてですか?」


 どうにか声を絞り出し、鳥籠の彼女に問いかける。だが、彼女は顔を伏せてしまい、目を合わせてくれない。


 片手で持っていた鳥籠を両手で掴み、顔の正面に持ってくる。


「皆出ていくんですよ? 魔族だっていないし、自由なんですよ? なのにどうして?」


 自分の事を気に掛けてくれた鳥籠の彼女は、一緒に付いて来てくれると思っていた。


「アルシェさんだって、気にしてないって言ってたじゃないですか?」


 仮について来てくれなくとも、この場所に残る理由はないのだ。


 喋っていく内に理解が追い付き、感情が高ぶる。


「なん――」

「も~、そんな顔しないでよ」


 鳥籠の彼女がぱっと顔を上げ、言葉を遮って来た。


「何? そんなに私が離れるのが寂しいの? 困ったなぁ、ほんっとに私の魅力は罪だよねぇ~。大丈夫だよ、ここに来れば私に会えるから」


 普段通りの笑顔と声。しかし、彼女の言葉が胸を突く。


「も~、しょうがない。それなら、君が寂しくならないように私の名前を教えてあげる。私の名前はね、エノディア・クロウって言うの。……ねぇ? 君の名前も教えてくれないかな?」


 浮かべていた笑みを消し、真っ直ぐな目を向けてくる鳥籠の彼女エノディアさん


「名前……」 


 日本の記憶を思い浮かべると、すぐに忌まわしき記憶も浮かび上がる。それどころか、黒は白を浸食していく。


(わかってる……)


 白を、心の奥に仕舞い込む。











 ――そして、











「俺の名前は……キルト、です」


「キルト……」


 名前を口にした鳥籠の彼女エノディアさんは、また顔を伏せ、口を閉ざす。


 鳥籠の彼女エノディアさんは、まるで記憶に刻み込むように偽りの名を口にした。


(すみませ――……ん?)


 心の中で謝罪するが、後ろめたさは増していき、耐え切れずに目線を落とした。すると、膝の上に置かれた鳥籠の彼女エノディアさんの手に力が入っていることに気付いた。


「――あの、ね……」


 鳥籠の彼女エノディアさんが、顔を伏せたまま小声で呟く。


「はい?」


 聞き間違いとも思えるほどの小さな声だっため、確認するように相槌を打つ。


「あ……」


 鳥籠の彼女エノディアさんの肩が、小さく跳ねる。


 その反応は、まるで鳥籠の彼女エノディアさん自身が言葉を口にしていたことに気付いていなかったようだった。


「――……手を、触らせてくれないかな?」


 ゆっくりと顔を上げ、おずおずとした口調で鳥籠の彼女エノディアさんそう言ってきた。


「手、ですか?」


 突然の申し出に、思わず反芻してしまう。


 ただすぐに、自身の手は穢れているということに思い至る。


「いや、俺の手は――」

「お願い」


 断ろうと口を開いたが、鳥籠の彼女エノディアさんは真剣な眼差しでもう一度懇願してきた。


「でも……」

「……」


 鳥籠の彼女エノディアさんは、真っ直ぐに見つめて来て、微動だにしない。


「ほんとに――」


 言葉は徐々にか細くなっていき、最後には空気となった。 






 次に、この場所へ訪れるのはいつになるのか分からない……。






 もしかしたら、これが最後になるかもしれない……。






「わかりました」


 鳥籠の開閉部は狭く、中に手は入りそうにない。


 片手で鳥籠の持ち、開閉部を開く。


 開閉部の縁に手を密着させ、鳥籠の彼女エノディアさんが触れられるようにする。


 鳥籠の彼女エノディアさんは、開閉部が開くと、静かに止まり木から降りた。


 胸の前で手を組み、鳥籠の彼女エノディアさんが近づいて来る。


 強く握り締められた手や強張った面持ちから、緊張しているのが見て取れる。


 さらに、鳥籠の彼女エノディアさんは頻りに頭を左右に動かす。


(……警戒してる?)


 鳥籠の彼女エノディアさんの行動は、まるで何かに怯え、警戒しているように見えた。


 ゆっくりと歩く鳥籠の彼女エノディアさんが、手に触れられる位置にまで辿り着く。


 手を見つめ、鳥籠の彼女エノディアさんは立ち止まる。


 そして、恐る恐る手を伸ばす。


 最初は、指先で一瞬だけ。次は、指の腹で。最後に、ぴったりと掌を密着させる。


「あったかい……」


 鳥籠の彼女エノディアさんの呟きは、消え入りそうでありながらも、深く、重みがあった。


 小さくも確かに感じる、鳥籠の彼女エノディアさんの手の感触と体温。それどころか、感じるはずのない彼女の鼓動すらも伝わってくるように思えた。


 鳥籠の彼女エノディアさんの目は手に向けれているのだが、どこか遠くを見つめているようだった。


(ずっと、独りだったのかな……) 


 ふと、沸いた疑問。






 鳥籠の彼女エノディアさんは、いつからこの場所に居るのか……。






 鳥籠の中で、どれほどの時間を過ごしたのか……。






 答えは分からないが、鳥籠の彼女エノディアさんが満足するまでこのままでいようと思った。



 ――その時だった。



 全身に電流が走る。


「……来る」

「え?」


 鳥籠の彼女エノディアさんが声に反応して顔を上げたのとほぼ同時、闘技場の壁が轟音と共に吹き飛んだ。


 立ち込める土煙の中に立つ、三つの影。


「あぁ……いやぁああああああ!!!」


 絹を裂くような叫び声を、鳥籠の彼女エノディアさんが上げる。


「エノディアさんッ?!」


 鳥籠の彼女エノディアさんは叫び声を上げた後、肩を抱き抱えながらその場で蹲った。


「大丈夫ですかッ?!」


 顔面を蒼白とさせ、鳥籠の彼女エノディアさんは体をガタガタと震わせている。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

「エノディアさん、大丈――」

「キルト! 目を逸らすなッ!」


 ラルフさんが、声を張り上げる。


 声に釣られて目を向けると、ラルフさんは臨戦態勢を取っていた。


「――……クソッ」


 鳥籠の彼女エノディアさんのことは気がかりではあるが、ラルフさんが正しいので視線を土煙に戻す。


 次第に土煙が晴れていき、三つの影が露わになる。


「まったく、あの雑魚共が」


 土煙から現れたのは、三体の魔族だった。

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