13.愛に守られて

「きっとご友人もおられないのでしょうねえ? することがないからこんな描き散らしに没頭して。恥ずかしくて仕方ありませんわよねぇぇ」

 カミーユの言葉が胸に突き刺さる。


 そうだ。ルドヴィクのことを考えている時間だけが、心の支えだった。


 でも王太子の婚約者として、本音を明かすわけにはいかなかった。だから親衛隊に入ることもせず、ただ一心に彼の絵を描くようになった。


 エレンヌに上手と言われて、親衛隊の人たちから絵の複製を売ってほしいと言われて、私は思い上がっていたのかもしれない。


 一人の男性の絵だけを描き続けるなんて、正気じゃないわよね。


 陰気で気味が悪いと思われても仕方ない。


 ルドヴィクだって幻滅したに決まっている。


 ――だから、内緒にしていたのに。


 目の奥から熱いものが溢れてくる。


「浮気されたグエン様がおかわいそう。皆さんだって……」

 カミーユは、周囲に聞こえるように一拍おいた。


 しん……とその場が静まり返る。隣の大広間から聞こえてくる優雅な音楽は、この場の空気にそぐわない。


「同じ思いで――」


「あなたが神絵師だったのね!」

 同意を求めたかったらしいカミーユの声を遮って、突然、一人の女性の声が響いた。


 あまりにも大きな声だったので、糾弾されたのだと思って私は咄嗟に肩をすくめる。


「ご本人にお会いできる日が来るなんて嬉しい!」


「貴重なラフ画もあるわ!」


「隊報に載っていないアングルも!」


「大事な原画を一枚残らず集めて!」

 談話室がわっと黄色い声で溢れて、令嬢や婦人、それに混じって若い令息までもがステラめがけて押し寄せた。


「え?」

 目に涙を湛えたまま、私は手を離して顔を上げた。


 四方八方から人々が迫ってきて軽い恐怖を覚えたが、ルドヴィクにぎゅっと肩を抱かれて、一気にそれは薄らぐ。


「そこ、どいてっ」


「きゃんっ」

 デッサン画を手にした令嬢の一人に突き飛ばされ、床に尻もちをついたカミーユは子犬のような悲鳴を上げた。


「ステラ様! 私、あなたのファンなんです!」


「まあ、抜けがけはずるいわ。ステラ様、こちら拾ってまいりました。ご査収ください!」


「どんな素敵な方が描いているのか、隊員の間ではもちきりだったのですよ」


「今度、複製原画にサインをいただけませんか?」


「先日投稿された眼鏡姿のデッサン、至高の領域でした!」

 てんやわんやの騒ぎになり、大広間の方からも、こちらを気にする人々の視線が感じられる。


「き、気持ち悪いと思いませんか……?」

 声を震わせ尋ねると、全員が迷うことなく即座に大きく首を横に振った。


「とんでもない! これからもルドヴィク殿下の麗しいデッサン画を心待ちにしておりますね」


「あ……りがとうございます」

 私は唖然としたまま、それぞれが拾ってくれたデッサン画を一枚ずつ受け取る。


「なっ……なんなんですのよー! そんなのただの落書きでしょう?」

 輪に弾かれて床に座り込んだまま、きぃっとカミーユが喚いた。


「この素晴らしい絵の価値がわからないの?」

 集まっていた人々の目がギラリと光り、一斉にカミーユを睨みつける。


「どう見たって愛と憧れと尊敬の念が伝わってきますわよ」


「俺は王宮の登用試験で、ポケットに忍ばせていったら無事に合格できた」


「甘い物を我慢できるように壁に貼っていたら、理想の体型に近づけたわ」


「つらい時もこれを眺めていると、自然と笑顔になれるの」


「私なんて高熱で生死をさまよっていた時に、この絵を枕元に置いて励まされて奇跡的に生還できたのよ」

 みんな口々にデッサン画の複製の効果について熱弁を振るうので、カミーユが目を回した。


「ステラ様を傷つけることがあれば、王弟親衛隊ならびに神絵師応援団の私たちが相手になりますわ!」

 ずらりと顔を並べた中には、公爵や辺境伯など大きな力を持つ家の令嬢や令息もいた。


「親衛……応援……? い、意味がわからないですわ……」

 顔にかかった乱れた黒髪をかき上げて、カミーユは片頬を吊り上げる。


「カミーユ・フルマンティ」

 ステラのそばをゆっくり離れたルドヴィクが、真っ直ぐにカミーユのもとへ歩いていく。示し合わせたように、さぁっと人の波が左右に音もなく割れた。


「君は、これをどこで手に入れた? ステラが自ら渡したわけではないことは明白だが」

 彼女を見下ろすサファイヤの瞳は、今までに見たことがないほど万年氷のように冷え切っていた。


「離宮の前で、拾ったんですわぁ」

 カミーユはへらっと口角を緩ませた。


「嘘です!」

 談話室の壁際から女性の声が挙がった。


「ステラ様がご不在の時に入室を許してしまいました。お茶を用意している間にいなくなったので特に用事がないのかと思い、ご報告を怠りました。申し訳ありません!」

 深く頭を下げた侍女が肩を震わせ、隣にいたエレンヌが彼女の背中をさすりながら慰めている。


「つまり、誰もいないのをいいことに居室を漁り、盗み出したというわけだ?」


「もうステラ様の手に戻ったのですから、いいことにしません?」

 カミーユは両掌を合わせて、にこりと笑い、首を傾けた。


「窃盗だけではない。ステラに対する誹謗中傷の言葉は侮辱罪に当たる。いや彼女はすでに王族の関係者なのだ、不敬罪でもかまわないな」


「まあ、そんな怖いお顔をなさらないでくださいませ。新聞屋の時みたいに許してくださるのでしょう?」

 カミーユが黒目がちな瞳を細めた。


 新聞屋?


 私は眉をひそめた。


「グエナエルとステラの婚約破棄ついて、虚偽の情報を流すように金を渡して取引したものか。あれは許したのではない。王太子の婚約者になるということで更生の機会を与えただけだ」

 ルドヴィクがため息をつく。


(あ。訂正記事――)

 私は息を呑んだ。


 新聞屋が過ちに気づいて謝罪したのだと思ったけれど、ルドヴィクが真実を伝えるように話をつけたのか。


 本当に、いつも私のことを助けてくれる。


 嬉しくて泣きそうになりながら、手袋の上から左手の薬指を反対の手で撫でた。


 揺るぎない愛の証――


「だが、それも無駄だったようだ。先の罪に賄賂罪も付け加え、国外追放の命を言い渡す。二度と我が国の地に足を踏み入れてはならない!」


「わ、わたしは次期王妃になるのですわ。いくらルドヴィク殿下だって、わたしを裁けるわけがありませんわ」

 ふふんと、カミーユは自信たっぷりに笑う。


 周囲の人間がそれを聞いて「この女、頭は大丈夫か?」と失笑した。


「では、『次期国王』の意見も聞いてみようか?」

 ルドヴィクは、厳しい視線をカミーユの後方へと向ける。


「え?」

 彼女は床に手をついて振り向き、談話室の入り口に立ち尽くしていたグエナエルの姿を捉えた。


「グエン様! わたし、何も悪くありませんわよね?」

 カミーユはきゅるんと瞳を潤ませ、婚約者を見上げた。


「何をやっているんだ、お前は!」

 グエナエルはわなわなと拳を震わせ、頭ごなしに怒鳴りつける。


「何って……ステラ様の秘密を暴露してさしあげたのですわ。恥をかいたらもう人前には出てこられないでしょう? 早く王宮から出ていってほしくて、わたし一人で頑張ったんですのよ。褒めてくださらないの?」

 なぜ彼が怒っているのかわからないようで、カミーユは困ったように眉を寄せた。


「……恥をかいたのが誰なのか、わからないのか?」

 グエナエルは声を低め、鼻の頭に深い皺を刻む。


「ステラ様です。泣きだすところを見ていたでしょう?」

 カミーユは満面の笑みを浮かべた。


「はあ……もういい。馬鹿な女との婚約は取りやめだ!」

 グエナエルはぐしゃぐしゃと自身の髪をかきむしると、踵を返して談話室を出、大広間からも出ていってしまった。


「グエン様!? どうして? 全部あなたのためにしたことなのに!」

 伸ばす手を取る者は誰一人としていない。


「連れていけ」

 ルドヴィクが近くにいた衛兵に命じると、呆然としているカミーユは談話室から引きずられるように連れ出されていった。


「ステラ。不愉快な思いをさせてすまない」

 輪の中に戻ってきたルドヴィクはそう言って、目元の涙を指で掬ってくれた。


「い、いえ……もとはと言えば、私が殿下の絵を黙って描いていたせいで――」


「君は何も悪くない。もっと早くあの娘に罰を与えるべきだった。私の責任だ」

 壊れ物を扱うように優しく抱きしめられ、私は彼の胸に頬を押しつけた。耳に響くのは彼の温かい鼓動の音。


「でも一人で何枚も殿下の絵ばかり描いて、私のこと悪趣味だと思いませんでしたか?」

 ぎゅっと彼の上着を掴む手に力が入る。カミーユみたいに突き放されたくない。


「私の絵を描く人がどんな人なのか興味があった。きっと誠実で、芯の通った人物で、優しいステラと気が合いそうだと思っていたのだ。まさか本人だったとは」

 ふっと穏やかに笑んで、頭を撫でられる。


 子供じゃないのに――


 でも、この手にずっと励まされて、守られて十年間を過ごしてきたのだ。


「これからは何時間でもモデルになってあげよう。気が済むまでそのエメラルドの瞳に私を映してほしい」

 ルドヴィクの言葉に、周囲からは悲鳴に似た歓声が沸き起こる。


「な、な、何時間もだなんて……無理です」

 せっかく元に戻った体温が、恥ずかしさでまた上昇した。


「それは残念だ。私は、そばにいてずっと君を見つめていたいのに」

 顎を指で掬われて、否が応でもルドヴィクの端正な面立ちが目の前に飛び込んでくる。


「わ……、あ……っ」

 もう言葉にならなくて、あわあわしているとルドヴィクは嬉しそうに笑みを零した。


 もしかして、私が照れるのをわかっていて、わざとやっていません!?


 国王が挨拶で述べた通り、今夜の舞踏会のことは今後も長く語り継がれていくことになる。


 それはまだこれからの話――



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