15.勝負の行方

 ルニーネ杯の日はあっという間にやってきた。


 王都から少し外れた広い草原が馬術会場になっている。


 最初の直線コースではスピードが重視されるので馬の能力によるところが大きいが、林の中の障害コースは騎手と馬の信頼関係が重要で、息を合わせないとスムーズに進めないという。


 倒木を飛び越えたり、でこぼこ道を怪我なく回避したり、手綱を操る正確な技術が求められるらしい。林の中を一周してから再び同じ直線を通って、スタート地点がゴールとなる。


 大会で優勝した者には黄金の杯が贈られるほか、報奨金も出る。名誉を得るために騎士団の者や乗馬に自信のある貴族も数人参加していた。


 開けた場所には天幕が張られている。国王夫妻がレースの行方を見届け、優勝者に黄金杯を渡すことになっていた。


 そのそばに、出場する者たちの関係者が、それぞれ支柱に天幕を張り、強い日差しを避けている。


「お天気になってよかったですわね」

 エレンヌが青空を見上げて、降り注ぐ陽光に目を細めた。


「ええ。そうね」

 そう返答しながらも私は落ち着かない。用意された椅子に腰かけ、目の前を通り過ぎる人々をきょろきょろと見ていた。


「おなか痛くなりそう」

 緊張してはいけないと思いながらも、鼓動は逸る。


「優勝にはこだわらなくて、あくまでも二人のどちらが先にゴールするかを競うだけだから、無茶はしないと思うんだけど……」


 観客席にもたくさんの人々が集まってきている。彼らの目当てはルドヴィクだ。彼が出場するという話は瞬時に王弟親衛隊に広まり、おかげで馬術会場は入場制限を設けなくてはならなかったようだ。


 普段と雰囲気の違うことを敏感に感じ取っている馬の嘶きや、人々が談笑する声などがこちらの天幕まで聞こえてくる。


「まだレースはこれからですわよ。せっかくおめかししたのですから、目線を上げてくださいませ」

 エレンヌが苦笑いして自分の口角に指を添え、笑顔を作るジェスチャーをしてみせる。


「う、うん……」

 淡いすみれ色のドレスは、純白のレースとフリルをふんだんに使った可愛らしいデザインで、揃いの帽子には白薔薇のコサージュがリボンと一緒に飾られている。


 着心地も軽い素材で作られていて、長時間の外出にも向いているようだ。首元には共布のチョーカーが巻かれ、チュールのリボンがついていた。


 その時、会場がざわついたので、私はどきりとしてそちらの方を向いたが、歩いてくる人物を見てジト目になる。


「ああ、ステラ。俺の勝利する姿を特等席で見られることに感謝しろ」

 乗馬服を着たグエナエルが、ニヤニヤと笑いながら天幕の前で足を止めた。


「まだ、あなたが勝つと決まったわけではありません」

 私は扇子をぱらりと開いて表情を隠す。妃教育で習得した偽りの微笑である。


「おまえが俺の妃に戻ると言うなら、勝負は取りやめにしてもいいのだぞ。叔父上に恥をかかせたくないだろう?」

 そんなことをわざわざ言うために来るとは性格が悪い。


 まったく心を入れ替えていないじゃないの!


「恥をかくのはグエナエル殿下かもしれませんわ」

 意味ありげに目線を逸らしてみせれば、彼はムッとしたように鼻の頭に皺を寄せる。


「一度婚約破棄したぐらいで拗ねているのか? 子供だな」

 ははっと笑い飛ばし、突然私の手首を掴む。


「さっさと俺の妃になれよ」


「は……なして!」

 私は、無理やり立ち上がらせようとするグエナエルを睨みつけた。


「グエナエル!」

 その時、横からさっと大きな手が伸びてきて、グエナエルの手首を力強く握りしめた。黄色い歓声が私の後方の席から聞こえてくる。


「痛……っ」

 顔をゆがめたグエナエルは慌てて私から手を離し、制止したその手を振り払った。


「ルドヴィク殿下!」

 私は瞳を輝かせた。そこには星やらハートやら、やたらキラキラしたものが浮かんでいたに違いない。


「ステラは私の婚約者だ。許可もなく触れるな」

 金のボタンがついた漆黒のジャケットに、純白のアスコットタイが品を添えていた。白のジョッパーズを履いた長い脚には、磨かれた乗馬ブーツを装着している。


 上着と揃えた黒のシルクハットが、蕩けるような金髪によく映えた。


 ――神様。溺れるほどの萌えをありがとうございます!


 日差しの角度も相まって、ルドヴィクの頭上から天使が舞い降りてきそうである。


「ステラはもともと俺の妃になる女ですよ?」


「今は私と結婚することが決まっている」


 バチバチに睨み合う二人の構図をどこかで見た気がするのだけれど、あれは夢だったかな?


「それをお決めになるためにいらしたのではないのでしょうか?」

 二人の間に冷静に声をかけたのはエレンヌだった。


「ステラお嬢様をあまり困らせないでくださいませ」

 恭しく頭を下げるエレンヌに、男性二人はふっと肩の力を抜いた。


「ふん。侍女のくせに生意気な。気が削がれてしまった」

 そう言ってグエナエルは踵を返していった。


「ステラ。少しばかり甥のわがままに付き合ってくるよ。ここで帰りを待っていてほしい」

 跪いたルドヴィクは私の左手を取って、手袋越しに口づけた。


(ぴ!)

 なんとか悲鳴を上げるのを堪えると、エレンヌがよしよしと頷く。


「む、無理はなさらないでください。お気をつけていってらっしゃいませ」

 するりと離れていく手が名残惜しくて、去っていく背中が恋しくて、縋りつきたくなった。


 自分からそうしたいと思うなんて、以前だったら妄想だけで済ませていたのに、今はその衝動を抑える方がつらく感じるなんて。


「どうやら、皆さんもステラお嬢様と感性は近いようですわね」

 苦笑して観客席を眺めているエレンヌにつられてそちらを見れば、一様に両手で顔を覆って肩を震わせていた。


「推しと推しの尊い瞬間を目撃してしまいました……」


「素晴らしい瞬間に立ち会えて感無量です……」

 女性たちは静かに興奮を抑えているらしい。その中には王弟親衛隊を設立したフランソワ侯爵夫人の姿もある。


 応援投票でもしたら、圧倒的にルドヴィクに軍配が上がるのに!


「では、そろそろお時間になります」

 進行役の貴人が声を上げると、出場する男性陣はシルクハットから狩猟帽に着替え、身だしなみを調整してから自分たちの馬に跨った。


「あれが宰相様の馬ですか。美しい白馬ですねえ」

 鬣までも雪のように白く、神々しい。


 一方グエナエルの騎乗している馬は青鹿毛で、長い尾をせわしなく振っている。


「無事に戻ってきますように」

 私は両手をぎゅっと胸の前で組み、祈りを込めた。


「では、はじめ!」

 スタートを知らせる鐘の音と共に、騎手と馬たちが一斉に林をめがけて駆け出した。


 この時点ではほぼ差はないように見える。問題は林の中のコースだが、ここからでは遠すぎてまったく見えない。


「大丈夫ですよ」

 こわばる私の背中をさすりながらエレンヌは微笑んだ。


「……ええ。殿下を信じているわ」


 祈りが天に届きますように――


 どれくらい待っただろうか。やがて先頭の馬の姿が見えてきて歓声が上がる。どうやら騎士団の若き副団長のようだ。彼がそのままトップでゴールし、続いて他の男性陣も戻ってくる。拍手喝さいが起こっていた。


「ルドヴィク殿下は……?」

 私は眉を八の字に寄せ、立ち上がってゴール付近へ足を向けていた。


「宰相閣下でしたら――」

 その中の一人が口を開きかけた時、観客席からわっと歓声が上がる。


 林の方角へ視線を飛ばせば、光を弾くような真っ白な馬がこちらに向かって駆けてくるところだった。


「殿下……!」

 私は目を輝かせた――が、何か違和感を覚えて伸ばしかけた手をひっこめる。


「どうして……グエナエル殿下が、ルドヴィク殿下の馬に跨っているの!?」

 金色の髪を風になびかせながらゴールしたのは、涼しい顔をした王太子だった。


「俺の勝ちだな」

 ドヤっと勝ち誇った笑みを浮かべたグエナエルは、馬から降りてこちらへやってくる。


 ルドヴィク殿下はどうなさったの――?


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