14.ルニーネ杯
ひと騒動あったものの、その後は滞りなく王家主催の舞踏会は幕を閉じた。
「正式に婚約が認められたのだ。明日からは離宮ではなく、本宮殿の方に部屋を用意させよう」
人々の喧騒から遠ざかり離宮へ戻る途中、ルドヴィクがそう言ってきた。
「明日ですか? 今のままでも特に不自由はありませんよ」
彼の隣に並び歩きながら、渡り通路を進んでいく。この奥にある薔薇の庭園を抜ければ離宮に到着する。
「これは私のわがままだが、少しでも近くに君の存在を感じていたいのだ。許されるなら、今夜だって帰したくない」
甘く蕩けそうな言葉に動揺して、ドレスの裾を踏んづけてしまいそうになる。
「お、大人が、わがままを言ってはいけませんよ」
「君の前では一人の男だということを忘れないでくれ。年齢など関係ない」
そういえば、さきほどから歩みを緩めているのは、着飾った私に考慮しているからかと思ったが、帰すのが名残惜しいということなのだろうか。
(私だって離れたくありません)
でも、もしそうなったら緊張しすぎて、口から魂が抜けていきそうで怖い。
部屋に二人きりで見つめ合っているシーンを想像しかけて、ぶるぶると頭を左右に振った。
(どうしよう。こんな状態で結婚なんてできるのかしら)
自分の恋愛耐性のなさにがっかりする。
「だが、一番大切なのは君の気持ちだ。無理はしなくていい」
私の心を読んだかのように微笑まれて、その優しさをかみしめながら小さく頷く。
春の夜風が、じんわりと火照った頬に心地いい。
もうすぐ渡り通路が終わるというところで、ルドヴィクが足を止めた。
「どうされ――」
顔を上げて尋ねようとした時、前方の柱の陰から人のシルエットがゆらりと出てきて、私はぎくりとする。
「舞踏会は楽しかったですか、叔父上?」
「こんな所で何をしている、グエナエル」
「ステラが戻ってくるのを待っていたんですよ」
元婚約者は唇の片端を吊り上げた。
酒でも回っているのか、妙に座った目つきが不気味で、私はルドヴィクの上着の袖をぎゅっと掴む。
「なぜ?」
ルドヴィクも、さりげなく私を庇いながら半歩前に出た。
「ステラと復縁しようと思いまして」
その台詞の持つ意味を考えたが、一つしか思いつかない。
元鞘に収まるつもり?
私は呆れて返す言葉が見つからなかった。
「叔父上も、茶番はもうやめにしませんか?」
「茶番?」
「ステラと婚約したのは、俺に発破をかけるつもりだったと父上から伺いましたよ。つまり、彼女に気を持たせるようなことはもうしなくていい、ということです」
グエナエルの言葉に、私は少なからず瞳が揺れた。
「俺は心を入れ替えます。だからステラを返してください」
「自分から婚約破棄をしておいて、勝手な言い草だな」
ルドヴィクは軽蔑するように目を眇めた。
「失ってはじめてわかるもの、というんですか? 歳が離れすぎて叔父上の手には余るでしょうし」
グエナエルはふんと鼻で笑った。
私は右手を震わせながら、グエナエルを睨みつけた。
「悪いが、ステラとの婚約を撤回するつもりは毛頭もない。心を入れ替えたというなら、他のことで示せ」
ルドヴィクは、にべもなく甥の提案を跳ねのけた。
「叔父上こそ、他にいくらでも女はいるではないですか。どうしてそこまでステラにこだわるのですか?」
「大切に想っているからだ。彼女以上に愛すべき存在はどこにもいない」
「ははっ、いい歳をした人が。冗談でしょう?」
グエナエルはおかしそうに腹を抱えて笑いだす。
「……だったら、ステラを賭けて勝負しませんか?」
「理解できかねる。彼女を物扱いするな」
「今度、ルニーネ杯があるでしょう? そこで勝った方がステラと結婚できる……どうですか?」
グエナエルはこちらの意見を無視して話を進める。
ルニーネ杯というのは、昔からこの国にある四大馬術大会の一つだ。速さだけでなく、障害物の多い林の中を駆け抜ける技術なども必要とされる高度なもので、国王が主催の春の大会である。
「簡単でしょう? それとも自信がないですか? 体力的には俺の方が圧倒的に有利ですもんね」
グエナエルはドヤっと胸を張る。
自分に有利だとわかっていながら勝負を持ち掛ける時点で、十分不公平でモラルにかける行為だ。
「そんなの卑怯です!」
強い口調で私が言い返すと、グエナエルは肩をすくめた。
「叔父上にちょっと優しくされたぐらいでコロッといくなんて、ステラも案外頭が悪かったんだな。ま、少しくらい馬鹿な方が付き合いやすくていい」
それを聞いて、体に流れる血が沸騰しそうなほど頭にきた。
「それ以上、ステラを侮辱するな。お前の言う勝負、受けてやろうではないか」
「ルドヴィク殿下!?」
私は目を丸くして、彼の顔を見上げる。
「さすが叔父上。そうこなくては」
「だが、条件が一つある。もし私が勝ったなら、将来の為に心を改め、これまでの行動を反省するのだ」
「はいはい。もし勝ったら、なんでもいたしますよ」
自信にあふれた表情でグエナエルは目を細めた。
「では、その時までに馬のご機嫌でも取っておくことですね」
肩を揺らして笑いながら、グエナエルは本宮殿の方へ歩いていった。
「ルドヴィク殿下……」
私の心配する視線に気づいて、彼が優しく頭を撫でた。
「大丈夫。私は負けないよ」
「でも……」
「さあ。あまり外にいると体が冷えてしまう」
離宮まで送り届けてくれたルドヴィクの背中を見送りながら、私は何もできない自分を腹立たしく思った。
「浮かない顔をなさって。何かあったのですか?」
寝室に移動した後、着替えを手伝っていたエレンヌが声をかけてきた。
「ええ。実はグエナエル殿下にお会いして――」
私はさきほどのやりとりを聞かせた。
「なんて度量の狭い男なのでしょう!」
話をすべて聞き終えた彼女は眉を吊り上げ、むぅっと頬を膨らませた。
「馬術大会はもう来週の予定よ。ルドヴィク殿下が馬に乗れないわけはないと思うけれど。ずっと王宮で文官として働いてきた人が、いきなり障害物のある馬術大会なんて、怪我でもしたらと思うと心配で……」
はなから勝負なんてどうでもいいが、彼が痛い思いをするかもしれないと考えただけで胸がモヤモヤしてくる。
はあ。大きなため息しか出ない。
「せっかくご婚約が決まった夜にお嬢様にため息をつかせるなんて、最低な男ですわ」
エレンヌは鼻息を荒くしながらドレスを片付けると、その動きを止めた。
「どうしたの?」
私は首をかしげる。
「馬術大会となると、宰相様もお着替えなさいますわね?」
「……乗馬服をお召しになるということ?」
ぴしりと引き締まった無駄のないデザインの乗馬コート、足のラインが綺麗に見える細身のパンツに長い脚をさらに引き立てるブーツ。それらをルドヴィクが身に着けるのだ。
「ああ~! 心配なのに、そんな麗しい姿を一目拝みたい。そんな心が二つある~!」
私は、編み込みを解きかけたぼさぼさの頭を抱えて叫んだ。
「うふふ。いつものお元気が出て、ようございました。それでこそステラお嬢様です」
エレンヌはにっこりと笑いながらも、てきぱきと夜の支度を進めていく。
「宰相様を信じるしかありませんわ」
「ええ。そうね。私が不安がっていたら、かえってルドヴィク殿下に失礼よね」
彼は約束を守ってくれる人だ。
薬指に光るサファイヤを撫でながら、祈るように両手をぎゅっと握り合わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます