☆閑話休題~大切なお嬢様~
エレンヌには五人の弟妹がいて、家の生活を助けるため十四歳の時にボードリエ伯爵家に奉公に出された。前伯爵が亡くなって使用人がいっぺんに暇を乞い、人手不足だったので身分は問われなかった。
家でも一通りの家事をこなしていた彼女は、すぐに屋敷の仕事も覚えた。洗濯場や掃除だけでなく、伯爵家の人々と直接関わる仕事も任されるようになる。そこで彼女はなぜ以前までいた使用人が辞めていったのかを知った。
伯爵も夫人も、見栄っ張りで傲慢、加えて気分屋だったのだ。
一方で、前伯爵の忘れ形見であるステラは、元気でかわいらしい女の子だった。妹に年齢が近かったこともあり、エレンヌは彼女の世話をよく焼くようになった。
王太子から婚約を申し込まれたステラが王都へ行く時には、迷わずついていくことを決めた。
勉強に次ぐ勉強の日々で、ステラに以前までの活発な様子は見られなくなった。遊びに行くことは許されず、ひたすら王宮と屋敷の往復の毎日。
それから五年が経ったある日、机に伏せてうたた寝をしているところを見つけ、ガウンをかけてあげようと彼女に近づいた。
「あら? これはグエナエル殿下?」
ステラは勉強道具を机の端に寄せて、一枚の紙に青年の絵を描いていたようだ。
ほぼ描き上がっているその人物は、ずいぶん大人びて見えた。
「たしか殿下は、今、十五歳よね」
それにしては、凛々しく精悍な顔立ちである。
「もしかして、将来はこんな風に……なんて、想像で描いたのかしら」
微笑ましくて、くすりと笑いを漏らすと、ステラがハッと目を覚ましたようで、慌てて紙を裏返した。
「見ないで!」
「申し訳ありません。少し見えてしまいました。とても上手に描けておりましたよ」
正直に答えて頭を下げると、ステラは顔を赤くする。
「上手?」
「ええ、とても。明日それを殿下に見せてさしあげてはいかがですか?」
「……できないわ」
ステラはしゅんと俯いた。
「なぜです?」
エレンヌは首をかしげる。
「だって、どうしてルドヴィク殿下の顔を描いているんだって怒られちゃう」
それを聞いてエレンヌは驚いて目を丸くした。
「ルドヴィク殿下というのは、国王陛下の弟君で、宰相をなさっている、あの……?」
確認すると、ステラは顔を赤くして頷く。
その純粋な反応だけで、彼女は理解できた。
(お嬢様は宰相様に恋をなさっているのね!)
なんとかわいらしいことだ。
(たしか宰相様との歳の差は二十二歳……でも、恋に年齢なんて関係ないわよね)
聞けば迷子になったところを助けてもらい、王宮でもつらい勉強の合間に励ましてくれる優しい人格者のようだ。
だがステラはすでに王太子の婚約者だ。この恋は叶わないだろう。
エレンヌは頑張り屋のステラを不憫に思った。
「それなら、せめて白薔薇隊報にこの絵を投稿してみてはいかがですか?」
「でも……グエナエル殿下は面白く思わないと思うわ」
再び沈むステラを元気づけるため、入会はせずに匿名での投稿を提案した。
それが功を奏し、ステラの描く絵は右肩上がりに人気が出た。
しかし、それに反比例するようにグエナエルとの距離は開き、ついには婚約を破棄された。
それだけでもショックだろうに、こともあろうか伯爵夫妻はステラを除名処分すると言い出した。
王宮に向かったステラを追いかけるように、エレンヌは荷物をまとめ、伯爵たちがドレスや宝飾品を漁っている間に、素早くデッサン画と画材を鞄に詰めて最低限のものを持ってタウンハウスを出てきた。
絶対にステラお嬢様を一人にさせるものですか!
そう意気込んで彼女のいる離宮に通されると、信じられないことにルドヴィクから求婚をされたというのだ。
正確にはステラの方から申し出たようだが。
まさか了承してもらえると思っていなかったようで、ステラは彼の真意がわからないと困惑している。
たしかに、急すぎる話ではある。
運よく侍女として雇ってもらえることになったエレンヌは、ルドヴィクの本心を見極めようと決心した。
ステラを騙したり、利用したりする気配がないか注視していたが、どうやら怪しい様子は見えない。むしろ好意的すぎるくらいである。
余裕のあるルドヴィクの態度に、純情可憐なステラは悶絶し、その可愛らしい姿を眺めるのは本人には申し訳ないが楽しかった。
しかしながら、ときめきパラメーターの針を振り切る出来事があったらしく、彼女はルドヴィクを避けるようになっていた。
「エレンヌ。ステラに仕えて長いのだろう? 聞きたいことがある」
ある日ルドヴィクに声をかけられ、足を止めたエレンヌは少し警戒する。
「なんでしょうか?」
「ステラの好きなものを教えてくれないか? 行ってみたい場所ややりたいことでもかまわない」
静かな声で尋ねる瞳は真摯で、裏があるようには見えなかった。
好きなものは今、私の目の前に――
そう零しそうになるが、こういうことは本人の口から言わないと心には響かないだろう。
「そうですね……お嬢様はこことお屋敷の往復だけでしたから、王都での買い物やカフェに行ってみたいと申しておりました。孤児院へ行く時は王都を通っていくようなのですが、決して馬車を停めてはもらえないようでした」
「カフェ?」
「『ミエル・ド・ロワ』という半年先まで予約で埋まる人気店です」
「ああ……王家に献上されている蜂蜜を使っているという」
「そうです。あとは、歌劇も観てみたいとおっしゃっておりました」
答えると、ルドヴィクは何やら思案顔になる。
「あの、一つだけ確認しておきたいことがあるのですが」
エレンヌはすうっと息を吸い込んだ。
「無礼を承知で申し上げます。ルドヴィク殿下は、償いのつもりでお嬢様とご結婚なさるおつもりでしょうか?」
「償い?」
「王太子殿下の婚約破棄の責任を代わりにお取りになる心積もりなのであれば、そんな義務や同情で優しくするのは間違っているのではないかと」
グエナエルとは仕方なく結婚するつもりだっただろうが、好きな相手から義務感で結婚されるのは傷つくと思ったのだ。
「私の大切なお嬢様には、絶対に幸せになっていただきたいのです」
言葉が過ぎると解雇されるのを覚悟で、エレンヌは自分の思いをぶつけた。
「ステラのそばにいるのが、君のような優しい人でよかった」
ルドヴィクは春の日差しのような温かさで微笑んだ。
なるほど。ステラが悶絶する気持ちがよくわかる。
納得の面持ちでエレンヌは頬を染めた。
「君の心配するようなことは何一つ起きない。私だってステラの幸せを願っている。この手で幸せにしたいと考えている」
そう語るルドヴィクの耳は真っ赤だった。
この方になら、安心してステラお嬢様を任せられる――
エレンヌは深く頭を下げた。
「たとえステラがグエナエルのことを愛していても、一生をかけて私の方に振り向かせてみせる」
ルドヴィクの決意に、エレンヌは目が点になった。
「王太子殿下のことを愛していらっしゃる……?」
「十年もそばにいたのだ。その愛は深いものだろう。だが、私は私なりの愛で彼女を幸せにする」
おっと、これはお互いに勘違いをしているのでは?
エレンヌは口を開きかけたが、やめた。
(こういうことは、当人同士で時間をかけて気持ちを寄せていかないと、うまくいかないものだわ)
「陰ながら応援しております」
エレンヌは仕事モード全開の粛然とした笑みを浮かべて、恭しく頭を下げた。
それから二人は想いが通じ合って、婚約発表まで済ませた。
頭のねじが緩んだ令嬢も退場したことだし、あとは幸せな結婚に向かって突き進むのみ。
今まで以上に肌や髪、爪の先まで手入れに気を遣い、ステラが結婚式で突然「ぴ!」と叫び出さないように教え込むのも忘れてはいけない。
大団円とはこういうことをいうのかしら。
でも、何か忘れているような?
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