3.夢じゃなかった
「さ、宰相閣下……!?」
叔父の素っ頓狂な声が耳に飛び込んできた。
「嘘……っ、どうしてうちに……?」
金切り声とはまた違う、一オクターブ高い音を上げたのは叔母だ。
「先触れもなく、突然に訪問してすまない」
至近距離から聞こえるその声は、紛れもなくルドヴィクのもの。
ぎゅっと肩を抱く手に力がこめられ、私は悲鳴を上げそうになる。
(感情が……感情が追いつかない――!)
悲しみの色に染まった涙が、春の温かな風に流されて散っていった。
「一応、取り次いでもらうよう頼んだのだが」
ルドヴィクが言うと、叔父は後方に固まっている使用人たちの中にいる執事に目を留めた。
「なぜ、私に報告しないのだ!」
「伝えようと思ったのですが、旦那様が口出しは無用とおっしゃいましたので」
執事が慇懃無礼に頭を下げると、叔父は顔を真っ赤にした。
「くっ……そ、それで、この度はどのようなご用事でいらっしゃったのでしょうか? ステラとグエナエル王太子殿下の婚約破棄について、考え直していただけるということですか?」
通常ならねちねちと説教が始まる所だったが、少しは理性が残っていたらしい叔父は、こちらに向き直ってへこりと頭を下げた。
「それはない」
ルドヴィクが間髪入れずに答える。
ところで、ずっと肩を抱かれたままなのですけど、これはいつになったら離してもらえるのでしょうか。
憧れの人の手が体に触れているだけで、平静でいられなくなりそうなのですが。
(また白昼夢でも見ているのかしら?)
本当の私は、階段から落ちて意識をなくしているのかもしれない。
「そう……ですか」
叔父は落胆して肩をがっくりと落とす。
「時に、ステラを除名処分すると、外まで聞こえてきたのだが本当か?」
「ほ、本当です。新聞によればグエナエル王太子殿下に失礼な態度をとったのだとか。私どもは何も知りませんでした。きちんと躾をしてきたのに、どこでどう間違えたのか……王家の皆様には謝っても謝り切れません。せめてボードリエ家から名前を除さなければ示しがつかないでしょう」
伯爵家から私を切り離し、王家からなんらかの責任を問われた場合も、世間から批判を浴びたとしても、関係ないと逃れるつもりだろう。
世間体を気にする叔父らしい考えだ。
「そうか、わかった。では今日中に書類にサインして王宮に届けさせよ。最優先事項として受理する」
ルドヴィクのその発言を、私は信じられない気持ちで聞いた。
(つまり、殿下も私に非があるとお考えに……?)
彼の顔を振り仰ぐが、逆光でよく表情が見えない。
「か、かしこまりました。よろしくお願いいたします」
「あの、それで、宰相閣下はどんなご用事でいらしたんですの?」
叔母が遠慮がちな笑みを浮かべてルドヴィクを見つめる。
「本日、王宮に来るようにとステラと約束したはずが、いつまで経っても来ないので様子を見にきたのだ」
「へ?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
「その様子では、すっかり忘れられていたようだな」
ルドヴィクが苦笑する。
「まあ! ステラ、あなたはグエナエル王太子殿下だけでなく、宰相閣下にもとんだ無礼を――」
カッと目を見開いた叔母の言葉を、ルドヴィクが手を挙げて制した。
「婚約を破棄されて、ステラも混乱していたのだろう。無理はない」
「申し訳ありません。昨日はその、いろいろと考えがまとまらなくて、何を話したのか覚えていなくて……」
正直に答えると、ルドヴィクは軽く首を横に振った。
「王宮にある君が使っていた部屋に本など荷物が残っているだろう。それを取りに来なさいと話したのだ」
そんなこと言われたっけ?
ルドヴィクとの約束をすっぽかすなど、なんと罰当たりなことをしてしまったのか。自分の頬をひっぱたいてしまいたい。
こうなると、彼から結婚してほしいと言われたことも、やはり何かの聞き間違いと考えざるを得ない。
(それに、よ。私はこれから伯爵家を追い出されて平民になるの。結婚なんて言われても身分違いも甚だしい所だわ)
家格は関係ないとかグエナエルはドヤっていたが、ルドヴィクはそこまで愚かな人間ではないだろう。
彼がこれまで結婚しない理由はいろいろと噂されているが、一番は後継者争いから退くためと言われている。
(だんだん、昨日のことが妄想にしか思えなくなってきた……)
自分はどこで選択を誤ってしまったのだろう。
泣きそうになって喉を詰まらせると、ルドヴィクの唇が耳に寄せられた。
「このまま話を合わせなさい」
それは私にしか聞こえない程度に潜められた優しいテノール。
叫び出しそうになるのをこらえたら、顔がかあっと熱くなった。囁かれた余韻でくらくら眩暈を起こしそうになる。
「あ……あ、はい。そう、でした」
へたくそなマリオネットのように、かくかくと頷く私を、叔父夫妻は胡散臭そうに見つめた。
「除名ということは、ステラの私物はこの屋敷に不要だろう。書類と共にすべて王宮へ届けてくれ。必要ならこちらで馬車を用意させる」
「し、承知いたしました」
叔父がハッとしたように慌てて叩頭する。
「では行こうか、ステラ」
「は、はい」
肩を抱かれたまま回れ右をして、馬車回しに待たせている王家の紋章が入った黒檀の馬車に向かって歩き出す。
ちらりと肩越しに振り返れば、安堵したような叔父の顔と、不満げにハンカチを噛む叔母の姿が見えた。その手に嵌めている指輪の一つがなんなのかを私は知っている。
ルドヴィクのファンの集い――王弟殿下親衛隊の入隊記念でもらえる物だ。私はグエナエルと婚約していたから、入隊することは叶わなかったけれど。
叔母の悔しそうな顔を見て、少しだけ心が晴れた。
それにしても緊張で足がもつれてしまいそうだった。グエナエルとだってこんなにくっついて歩いたことなどなかったのだ。
「ルドヴィク殿下。あの、一人で歩けますので」
やんわりと手を離してほしいと訴えてみる。
「昨日、君が上の空だったから改めて話をした方がいいと思って来たのだが、少々予定を変更することになりそうだ」
私の言葉を無視して、ルドヴィクの眉が軽く寄せられた。
聞こえなかったのかな?
「わ、私のせいでご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「何も迷惑だと思っていない。それより君は昨日の話を本当に覚えていないのか?」
「私と結婚して、なんて言ったり……?」
「そこは覚えているのだな」
おそるおそる聞いたのに、あっさりと認められて心臓が跳ね上がる。
「夢ではなかったのですね」
そうすると、ますます謎だ。
「私と結婚するメリットなんてありませんよ?」
「君の望みを叶えると言ったはずだ」
馬車に乗り込み、向かい合わせに腰かけるとルドヴィクは優雅な笑みを浮かべた。
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