11.色気の暴力

 ラフォルカ王家主催の舞踏会の日がやってきた。


 春の温かい空気がまだ漂う夕暮れの空の下、王宮には続々と国中の貴族達が集まってきていた。


「新しいドレスが間に合ってよかったですね」

 支度を手伝ってくれたエレンヌが目を細め、嬉しそうな表情を浮かべる。


「ありがとう。仕立屋のブランシュの提案のおかげだわ」

 私は鏡の前に立って、ドレスのスカート部分を軽く摘まみ上げた。


 仕立屋で見た時はただの桃色のベルスリーブのドレスだった。だが今はそれに白いチュールレースを何枚も重ね、気品と優雅さが加わっている。


 パニエで膨らんだスカート部分には白薔薇やスミレの花を模した飾りがいくつも縫いつけられ、腰の部分には共布で作られた大きなリボンがついていた。


 また、金糸で細やかな刺繍と宝石が散りばめられており、ドレスを揺らす度にキラキラと光を弾く。


 ミルクティー色の髪は耳から上の部分を編み込み、大部分はゆるやかに流していた。


「この真珠と白薔薇の髪飾りが、お嬢様の魅力をさらに引きたてておりますわ」

 優しく波打つ髪は、侍女たちの毎日の手入れの賜物だ。艶やかに磨き上げられたそれを眺めて、エレンヌたちはうんうんと満足そうに頷く。


「そんなに褒めないで」

 私はかすかに頬を染めて笑った。


 ドレスと一緒に購入したダイヤのネックレスとイヤリングは、目も眩むほど上質なものだ。


「もうすぐかしら」

 化粧を終え、レースの手袋を胸元に当てながら呟いた。


 あんまり気合いを入れ過ぎて、ルドヴィクに引かれたらどうしよう。


 そわそわしながら居室で待っていると、扉がノックされた。


「ステラ。迎えにきた」

 入ってきたのは、礼装姿のルドヴィクだった。


「『ぴ』は、こらえてくださいね、お嬢様」

 すかさずエレンヌに耳元で囁かれ、震える唇をなんとか弧を描くように動かした。


(無理、無理、無理~! かっこよすぎる!)

 こちらにゆっくりと近づいてくるルドヴィクに、完全に目が釘付けになる。


 白のジュストコールの襟や袖口には、細やかな金糸の刺繍が入っていた。シャンパンブルーのクラヴァットタイを留めているのは、宵口の空を閉じ込めたような美しいサファイヤ。ウエストコートは誠実なロイヤルブルーのものが使われている。


 ボタンの一つ一つはダイヤでできており、胸元には白薔薇を模した共布の飾りがついていた。


 ルニーネ国の宰相の最上級の礼装だった。


 穢れなき政を行うという誓いを込めて、白を基調としている。これがルドヴィク王弟殿下親衛隊の情報紙『白薔薇隊報』の名前の所以である。


 背中どころか部屋中に純白の花が咲き乱れております――


「とても綺麗だ。美の女神も嫉妬するほどに」

 彼に見惚れていたら、信じられないようなことを言われて飛び上がりそうになる。


「ルドヴィク殿下こそ……すごく素敵です……」

 うつむきがちで返答すると、もにょもにょと語尾が窄まっていった。


 それを聞き逃すまいと、彼が体をかがめて顔を寄せてくる。


「もう一度聞かせてくれ」


「すごく、素敵です……」

 彼のつけている洗練されたフレグランスがふわりと香って、くらくらと眩暈がした。


(ひぃぃぃ~!)

 意識が飛びそう!


 先日、歌劇に出かけた時は前髪をすべて上げていて、色気がだだ洩れすぎたので、今夜は少しだけ前髪を下ろしてほしいと事前にリクエストしていたのだが、かえってだめだった。


(その髪型もよくお似合いです!)


 片側だけを整髪料で上げ、反対側は軽く下ろしている。そのはらりと下ろした前髪がとんでもない色気の暴力だった。


(いいえ、ステラ。今夜のルドヴィク殿下のお姿を目に焼きつけて、次の白薔薇隊報に投稿するのよ)

 己にしか通用しない理由で自身を奮い立たせ、ゆっくり顔を上げると彼に微笑まれた。


「あちらへ行く前に、君に贈りたいものがある」

 手袋を外してと言われて、私は左手のレースのそれを取った。


「ステラ。永遠に続く愛の証にこれを」

 薬指に嵌められたのは、プラチナの指輪だ。そこにはサファイヤが輝き、薔薇の細工が彫られている。


 かつてグエナエルから送られたものは純銀ではあったが、ちんまりとダイヤが埋め込まれただけものだった。それでも高価であることに変わりはなかったけれど、さて、あれはどこに仕舞ったんだっけ?


 たぶん今頃は、叔父たちに売り払われて、質屋にでも並んでいるかもしれない。


「こんなに素晴らしいものをいただいてもいいのですか?」


「もちろんだ。できれば肌身離さず身に着けて、私を思い出してほしい」

 ルドヴィクは眉を八の字に曲げて微笑した。


 これは、照れている時の顔かしら。


 常に自信と落ち着きをもって的確な判断力と決断力を備え、日々の努力と研鑽を怠らない自分に厳しい人、というのが以前までのイメージだった。冷静で、感情的になることはない、と。


 しかしながら、最近は少しずつ彼のことがわかってきた。


 ずっと年上の大人の人だと思ってきたけれど、私がドキドキするみたいに、ルドヴィクだって私にときめいてくれているのだ。そこに年齢なんて関係ない。


「嬉しいです。ずっと大切にしますね」

 指輪の光る左手をぎゅっと握り込んで、顔をほころばせると、ルドヴィクの耳は真っ赤になった。


 かわいい、なんて言ったら怒られますよね?


「では、そろそろ行くとしようか」


「はい」

 喜びに包まれた笑顔を向け、手袋をそっと着けると、彼の腕に手を添えた。


「いってらっしゃいませ。私たちも大広間の片隅で見守っておりますので」

 深く頭を下げたエレンヌたちに見送られ、私とルドヴィクは王宮の大広間に向かった。


 深紅の絨毯が敷かれた通路を歩いていくと、王家の者だけが通れる扉の前に到着した。そこにはすでに国王陛下と王妃殿下、そしてグエナエルとカミーユの姿があった。


「なぜ、ステラが!?」

 意表を突かれたように、声を上げたのはグエナエルだった。その隣にいるカミーユもきょとんと大きな目を丸くする。


「今夜はおまえたちの婚約の他に、報告することが一つ増えてな」

 国王はおだやかな口調で息子に告げる。


「は? 我々の婚約報告だけでいいでしょう? まさかステラが平民になったのは私のせいだと、皆の前で責めるおつもりですか?」

 グエナエルは鼻で笑った。


「そういうことではない」

 国王がため息をつく。


 前回会ったのは半年くらい前だったと記憶しているが、ずいぶんと頬がこけたように見える。どうやら苦労しているのは本当のようだ。


 同情はしますが、その息子を十年間も私に押しつけたことだけは、大いに反省してくださいませ。


「楽しみになってきましたわ」

 カミーユが嬉しそうに目を細める。


 ワインレッドのドレスは胸元が大きく開いたデザインで、袖口には白いレースのフリルがたっぷりと縫いつけられている。彼女の黒髪にはよく似合っていると思った。


「お時間です。よろしいでしょうか?」

 国王のそばにいた従僕が声をかけると、彼は頷いた。


「ああ。頼む」

 その言葉が合図となり、重厚な扉が左右に開かれた。


 それまで大広間で奏でられていた演奏が止まり、ざわめきが波のように引いていった。


「ルドヴィク王弟殿下、並びにご婚約者のステラ様の御出座です!」

 臣下の知らせの声に、本来ならば静観して待つところだが、その言葉内容に会場内がどよめいた。


 すぐにファンファーレが鳴り響き、人々の声をかき消すように宮廷音楽隊が別の曲を演奏し始める。


「は? なんの冗談だ?」

 後ろでグエナエルが明らかに動揺するのがわかった。


「おい。説明しろ!」

 なおも縋りつくような声を無視して、私はルドヴィクのエスコートのもと、ホールよりも一段高くなっている壇上に向かった。


「グエナエル王太子殿下、並びにご婚約者のカミーユ様の御出座です」


「行きましょう、グエン様」

 甘ったるい言葉をかけ、ぎゅっと王太子に抱きつくように腕を絡めたカミーユが後ろからついてくる。


「国王陛下、並びに王妃殿下、御出座です!」

 最後にこの国の統治者が呼ばれ、壇上にはラフォルカ王家とその婚約者二人が並ぶという図が出来上がった。


 グエナエルが、ずっとチラチラと視線を投げてくるが、全部無視した。



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