☆閑話休題~純真な瞳~

 昼下がりの日差しが、部屋の中に優雅な光を注いでいた。窓際に置かれた大きなソファで、カミーユの膝に頭を預けたグエナエルが横になっている。彼の鼻の頭には深いしわが刻まれていた。


 身じろぎ一つせずにアームレストに両脚を放り出し、どこか遠くを見つめ、その視線がカミーユと合うことはなかった。


 彼女は愛おしそうに、婚約者の金の髪を撫で続けていた。そうすれば不機嫌な態度が鎮まるとでも信じているように。


「そういえば、ステラ様とルドヴィク殿下が歌劇を鑑賞されに行かれたんですって。わたしもグエン様とデートしたいですわ」

 カミーユはうっとりとした様子で、口元に笑みを浮かべる。


 するとグエナエルがちらりと彼女の顔を見上げ、すぐに視線を逸らした。


「ふん。あの二人がデートなものか、年の差を考えろよ。叔父上も保護者のつもりなのか、甘いことだ」


「では、わたしとグエン様でしたら立派なデートですわね」

 うふふと屈託なく笑んで、カミーユは彼の手を握る。


「俺は歌劇など興味がない」


「まあ。そうなんですの?」


「カードやダイスで遊んでいた方がおもしろい」

 グエナエルの言うそれは、賭け事のことだ。


 王都には貴族しか入れない高級クラブがあり、カミーユがグエナエルと出会ったのも貴族のパーティーではなくその店だった。


 カミーユは直感が冴えているのか、ゲームで負けることはめったにない。そこで話すうちに意気投合したのだ。


 生真面目なステラなら、そういう賭博場に出かけただけでも嫌な顔をするだろう。だから純粋にグエナエルの愚痴に耳を傾けてくれ、なんでもないことで褒めてくれるカミーユは、自尊心を甘く浸してくれる糖蜜のような存在だった。


 カミーユこそが運命の相手なのだと、雷に打たれたような気分になってからは、彼女に首ったけになった。


 彼女がいてくれたら他には何もいらない。


 そう思ってステラとの婚約を破棄した。その後、伯爵家を追い出され平民同様になったらしい。だが、どういうわけか叔父の権限で離宮に滞在しているという。おそらく彼女に情が湧いた父たちと話し合って、今後の身の振り方でも考えているのだろう。


「今夜もまた遊びに行きます?」

 カミーユが彼の指に自分の指を絡めた。


「……妃教育はいいのか? あと二か月くらいで結婚式を挙げる。その後はおまえも公務をこなすのだぞ」


「もおお~。グエン様まで急かすんですの? あの先生厳しすぎますのよ」

 黒目がちな瞳をきらきらと潤ませる。


「厳しいなんてステラの口から聞いたことがなかったが」


「きっと、わたし嫌われているんですわ」

 ぷんすかと頬を膨らませ、カミーユは唇を尖らせた。


 そう言って、ここ数日は王宮へやってきても、ずっとグエナエルの部屋に入り浸っている。


 グエナエルは小さなため息をついたが、彼女はそれを見逃さなかった。


「婚約破棄したことを後悔なさっていますの?」

 髪を撫でる手を止め、静かな声で問いかける。


「まさか。ステラにはさっさと王宮から出ていってほしいと思っている」

 グエナエルは不機嫌な表情を深めた。


 ステラのことを考えると、どうしようもなくイライラしてくる。


 特に、観劇から戻ってきた時の様子を密かに目撃してしまった時から、苛立ちは増していた。


(あんなに子供みたいに甘えてみっともないと思わないのか。俺には人形のようなすまし顔しか見せなかったくせに。叔父上だって、保護者ならもっと毅然とした態度で躾けてやればいいものを……)


 臣下の中には、ステラとカミーユの才気を比べる者も出てきた。このままではカミーユを否定する人間が出てきてもおかしくない。そうなれば結婚にも支障が出るだろう。


「ああ、もう。だめだ、眠気がどこかにいってしまった。少し一人にしてくれないか。おまえもちょっとは勉強しろ」

 カミーユの指を解いて起き上がったグエナエルは、彼女の手を引いて歩き出すと、部屋の外へ押し出した。


「グエン様!?」

 カミーユは目を丸くしてドアノブを掴むが、中から押さえられているのかびくともしない。


 諦めた彼女は、ゆっくりと通路を引き返した。


「おかわいそうに。グエン様を苦しめているのは、やはりステラ様なのですわね」

 カミーユはぼそりと呟く。


(婚約破棄した日に、新聞屋さんにお願いして記事を書いてもらったのに……)

 新聞屋の男は平民でも入れる賭博場の常連だった。借金があるにもかかわらず、それを返そうとさらに賭博につぎ込んでいた。


 カミーユからしてみると、どうしてそんなに負けるのかわからなかった。だから借金があることを家族に内緒にし、金を立て替えてやることで、カミーユとグエナエルを持ち上げるような記事を書くように依頼したのだ。


 ――それなのに。


 なぜか、それがルドヴィクにばれてしまった。


 新聞屋は家族にも正直に話すといい、今後は更生するとかなんとか。


 今回はお咎めなしだが、次に同じことをすれば容赦しないとルドヴィクは言っていた。


(どういうつもりなのか知らないけど、男の人は結局みんな、わたしの味方なのよ)

 カミーユはくすくすと笑った。


「新聞屋さんが使えないなら……」

 そう言いながら、足が離宮の方へ向く。


 直接、ここから出ていってもらうように話すしかない。


「だって、私は次期王妃。この国で二番目に権力をもつ人間になるんですもの」

 勉強不足のカミーユは、二番目の権限が宰相にあることを知らないようである。


 るんるんとした足取りで離宮へ赴くと、ステラは侍女とともに孤児院へ慰問にでかけており、不在だという。


「では、お戻りになるまで中で待たせてもらいますわ」

 カミーユは首を傾けて微笑んだ。


「ですが――」


「あなた、お名前はなんとおっしゃるの? 王太子妃になったら、侍女長に掛け合って人事異動も可能ですのよ」

 目を細めて名前を尋ねると、侍女は口を開きかけ、諦めたように不承不承頷いた。


「……どうぞ、お入りください」


「ありがとう。紅茶はアールグレイがいいですわ。あと、とびきり甘いカップケーキを。焼きたてをお願いいたしますわね」

 にっこりと笑って注文をつけると、侍女は黙って頭を下げて部屋を出ていった。


「ふうん。こじんまりとしたつまらない部屋ですわぁ」

 一人になったカミーユは、ゆっくりと歩き出した。


 クローゼットの中を開け、そのドレスの数に目を丸くする。


「まあ。さすが元伯爵家の財産ね。わたしは王家に嫁入りするのだから、これよりももっといいものを買ってもらえますわ」

 にんまりと口角を上げたカミーユは、クローゼットの下の木の箱を見つけた。


「これは、アクセサリーかしら?」

 しゃがんでそれを開けると、中には紙の束が入っている。


「なにこれ……ルドヴィク殿下……?」

 どれも鉛筆で書かれたデッサン画だ。


(こんなにたくさん、どういうことかしら? ステラ様のものですわよね?)

 無知なカミーユは、白薔薇隊報のことを知らなかった。


「――いいこと、思いついちゃった」

 カミーユは紙の束をかき集め、忍び笑いを漏らす。


「グエン様を苦しめる方には、お仕置きしませんとね」

 きっと、ステラが王宮から早くいなくなってくれればグエナエルは感謝するに違いない。


 その時のことを想像してカミーユは頬を赤らめ、オニキスのような瞳を狂信的に潤ませた。


 侍女が紅茶とカップケーキを載せたワゴンを押して戻ってきた時には、すでにカミーユの姿はなかった。


 部屋の中も特に変わった様子はない。


「気まぐれなお方だわ。すぐに戻られたのだから大した用事ではなかったのよね」


 これなら特にステラに報告するまでもないだろう。


「あまり名前も聞きたい相手でもないでしょうし」

 侍女は大きなため息をついて、ワゴンを厨房へ戻すために引き返していった。



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