6.大人の女性を目指して
その後、エレンヌにこれまでの経緯をかいつまんで説明した。
「何を迷うことがあるんです? 憧れの宰相様が求婚を承諾してくださったんですよね?」
最後まで話を聞いたエレンヌはぽかんと口を開けて、何がいけないのかわからないというような顔をした。
「言うのと……実際にするのとでは、違うでしょう~?」
私はソファに腰かけ、ふかふかのクッションを抱きしめて顔を半分隠す。
「妄想は自由だったわ。でも実際に目の前で優しい声をかけられたり、抱きしめられたりしてごらんなさい。尊死よ!」
「だ、抱きしめられたんですか?」
エレンヌは口元に手を当てて、ひゃーっと楽しそうな悲鳴を上げた。
それにつられて、その時のことを思い出し赤面してしまう。
「ちょ、ちょっとした事故よ。それなのに、私だけあたふたして恥ずかしいの。ルドヴィク殿下は、ちっとも焦ったりしないし、子供相手に余裕たっぷりって感じで……」
「まあ、四十年も生きていれば経験豊富でし――」
「意味深なこと言わないで!」
嫌なことを想像したくなくて、私は食い気味に言葉をかぶせる。
「でも、宰相様に浮いた噂はないですよね。だからこそ、親衛隊の皆さんも平等な立場で安心して見ていられるというか……」
それって、もし結婚したらひがまれて意地悪をされたり、暗がりで刺されたりする可能性があるということだろうか。
私は二の腕をさすりながら、目を泳がせた。
「ですから、きっとお嬢様のことは、本当に大切にしてくださるということですよ。自信を持ちましょう!」
エレンヌは胸の前でぐっとこぶしを作り、大きく頷いた。
明るく前向きな彼女は、以前から私を支えてくれた。
ルドヴィクのデッサン画を投稿しようか迷っていた時に、背中を押してくれたのも彼女だった。
「そうね。落ち着いた大人の女性を目指して頑張ってみるわ。グエナエル殿下より幸せになるって決めたんだもの」
「その意気ですよ!」
二人で笑い合っていると、部屋の扉がノックされた。
「はい!」
元気に返事をすると、「私だ」と言ってルドヴィクが姿を現した。
「ぴ!」
クッションを抱き潰して勢いよく立ち上がった私は、思わず変な声を上げてしまった。
「ぴ?」
ルドヴィクがわずかに首をかしげると、耳にかけていた髪がさらりと流れた。きらりと光る目元のそれは眼鏡のレンズ。
「ぴ……ぴって、小鳥が鳴いていてかわいいなあって、エレンヌと話していたんです」
うふふ、とわざとらしい笑い声をたてる。
――というか。
(眼鏡姿なんて、初めて見たんですけどー!)
ただでさえ知的で聡明な印象なのに、眼鏡をかけたらもっと磨きがかかって、怜悧な色気がだだ漏れだ。
(宇宙の法則が乱れる~!)
神ですか、崇めていいですか? そりゃあ変な声も出ますって。
「エレンヌ?」
そう言ってルドヴィクが目線を動かした。
「お初にお目にかかります。わたくしはボードリエ家のハウスメイドのエレンヌと申します。この度、ステラお嬢様のお荷物を届けにまいりました」
エレンヌはさきほどまでの年頃乙女の気配をすっと消して、あっという間に仕事モードに切り替わっている。
羨ましい、それが私にもできたらいいのに。
「あ、あの、ルドヴィク殿下。エレンヌをここで働かせていただけないでしょうか。彼女、私の為にハウスメイドを辞めてきたそうなんです」
ちらちらと目線を上げたり下げたりしながら、ダメもとで聞いてみる。
「笑っているのが扉の外まで聞こえていたからね。君が安心して過ごせるように見知った人間がいるのはいいことだろう。あとで侍女長に話をつけておく」
「ありがとうございます!」
これにはエレンヌも声を上ずらせて、深々と頭を下げた。
ハウスメイドと王宮の侍女では給金も格段に違ってくる。弟や妹の多い彼女は給金のほとんどを実家に仕送りしていたので、これはエレンヌにとってもいい話だろう。
「ところで、ボードリエ伯爵からの除名に関する書類が届いたので受理しておいた。それを君に伝えたくてね」
「あ……殿下も、私が除名処分を下されるのは当然だと……」
「それは違う。あのような事情を知らなければ、そのまま伯爵には婚約破棄について謝罪するつもりだった。しかしながらステラへの対応を見て、切り離した方がいいと判断したのだ。今後、彼らは君に干渉することはできない。そういうつもりで伯爵の話に同意したまでだ」
「……よかった」
私は安堵の息をついた。
「それで、荷物はだいぶ少なかったと門番に聞いたが、十年間あそこで暮らしていて何もないということはないだろう?」
「ボードリエ伯爵がドレスも宝飾品もすべて持ち出されたのです。私が持ってこられたのはデイドレスなど簡素なものばかりでした」
エレンヌはしゅんとうなだれる。
「そうか。では舞踏会用のドレスを新たに一揃い頼まなければな」
「殿下――」
言いかけた私を軽く手で制して、ルドヴィクは頷いた。
「わかっている。もし、その時ステラに結婚する意志がなくとも、それは君へのプレゼントだから、気兼ねなく受け取ってほしい」
簡単にドレスをプレゼントするとか言っていますが、お小遣いで買えるものではないんですよ?
グエナエルはドレス一式を予算内で決めろと言って、その額もだいぶ最低ラインだった。なので生地の質を落とすか、装飾を質素にするしか方法はなかった。それでいて夜会の時には「もっとおしゃれできないのか?」と文句を言う始末。
(あ、いけない。グエナエル殿下のことを考えていたら腹の底が煮え立ってきた)
私は努めて淑女の笑みを作り上げた。
「では、予算額をお教えいただけてもよろしいですか? エレンヌと仕立屋に行ってまいります」
大人の女性として、上品に振る舞え、私。
「私と一緒に行くとは言ってくれないのか?」
「ふぇ?」
予想外の言葉に、またしても変な声が出てしまった。
「明日、午前中の仕事は空ける。一緒に王都へ行こう」
「え……と、その……」
思考が停止して言葉が出てこない。
「いってらっしゃいませ、ステラお嬢様。王都にお買い物に行くのが夢だとおっしゃっていたじゃないですか」
助け舟を出してくれたのはエレンヌだった。
(ありがとう!)
私は目線だけで彼女に礼を言う。
エレンヌはにこっと無言で笑みを返してきた。
「そうだったのか。ではちょうどいい。明日また迎えにくる。それまでに仕事を片付けておくから」
「で、殿下はお仕事中に眼鏡をおかけになるのですね……」
私はずっと気になっていたことを尋ねた。
エレンヌがわずかに苦笑いを浮かべる。
「ああ。急いできたので外すのを忘れていたが、普段は必要ない」
そう言って眼鏡を取ろうとする彼を慌てて止めた。
「そ、そうなんですね。貴重なお姿――いえ、お誘いいただきありがとうございます。明日、楽しみにしております」
最後までクッションを握りしめたまま、私はルドヴィクが部屋を出ていくのを見送った。
「ステラお嬢様、よだれが垂れております」
「えっ!?」
私は慌てて口元を押さえた。
「嘘です」
すまし顔でエレンヌは肩をすくめる。
「もうっ! エレンヌったら」
ぷうと頬を膨らませ、顔を赤らめた。
「こうしちゃいられないわ!」
私は勢いよく息を吐く。
「明日お召しになる服でも選びます? それとも口紅の色をお決めになります?」
エレンヌはわくわくと目を輝かせた。
「記憶が確かなうちに、眼鏡姿のルドヴィク殿下の絵を描くのよ!」
落ち着いた大人の女性はどこに行った――?
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