7.子供扱いしないで
――翌日。
王宮のある丘の上から馬車で道を下り、貴族街を過ぎると平民たちが暮らす町が見えてきた。赤茶けたレンガの屋根や灰色の石材の家々が並び、整備された広い石畳の道を多くの人々や荷馬車が行き交っている。
噴水広場ではのんびりと日光浴を楽しむ者がいたり、屋台では張りのある呼び込みの声を上げる者がいたり、町には明るい雰囲気で満ちていた。
大聖堂の尖塔が、天に届きそうなほど高い。定刻を告げる鐘の音が晴れ渡った空に吸い込まれていった。
孤児院への慰問に行く途中で通ることはあっても、立ち止まることはなかった憧れの場所だ。
馬車はゆっくりと速度を落とし、仕立屋の前で停まる。
以前までは屋敷まで足を運んでもらい、採寸をして予算とだいたいのイメージを伝え、出来上がったものを届けてもらうだけだったので、ここへ来るのは初めてだった。
「ステラ。足元に気をつけて」
先に降りたルドヴィクが、白手袋をはめた手を自然な動作で差し伸べてくる。
私はそっと自身のそれを重ねた。きゅっと優しく握りこまれると、手袋越しに体温が感じられて、心臓は早鐘のように高鳴った。
(眩しくて眩暈がしそう……)
きっちりと糊の効いた真っ白な襟に、涼し気な水色のタイ、黒の上着から覗くベストの面積も完璧に計算された装いに惚れ惚れする。
透けるような金の髪が風に揺れ、サファイヤの目元を少しだけ隠した。
「ありがとうございます」
声が震えないように意識を集中させて、私はゆっくりと地に足をつけた。
「気に入ったものがあれば、遠慮なく言ってくれ。好きなだけ選んでくれてかまわない」
仕立屋の扉を開けながらルドヴィクが言った。
「はい」
そう返事はしたものの、まだ舞踏会への出席は決めていない。着るかどうかわからないドレスに高いお金を出してもらうのも申し訳ない。
先日グエナエルが提示してきた予算内と同じくらいのものを見繕うことにしようと、私は決めていた。
「いらっしゃいませ」
中に入ると、女性が数人いて、一斉に深く腰を折ってきた。
目盛りの振られた帯を首にかけ、人当たりの良い笑みを浮かべている二人には見覚えがある。かつて屋敷に挨拶に来たことがある店主と、最近寸法を測りに来てくれていた助手だ。
「まあ――宰相閣下ではありませんか。御自らとは、なんと珍しい」
眼鏡をかけた方の年配の女性店主が目を瞠って、口に手を当てる。
「あら、本当でございますね。そちらは――ステラ様、ですか」
話好きの朗らかな助手は、ややためらいがちに言葉をかけてきた。
「今日はステラのドレスを作製してもらいたくてきた。今度の舞踏会用のものと他にも数点。靴やアクセサリーも揃えてほしい」
「舞踏会用……先日作製してお屋敷にお送りいたしましたし、まだ、必要なのでしょうか……?」
助手が言いにくそうに言葉尻を濁す。
彼女の言葉に私は目を伏せた。
(ああ、そうか。私が婚約破棄されたことを、町の人たちは知っているんだ)
王太子をないがしろにした常識外れの令嬢、と。
せっかく足を運んだのに、もう帰りたくなってきた。
「もちろん必要だ。だが、新しく作ってほしいのだ」
「かしこまりました……と言いたい所なのですが、ステラ様のあのドレスは最優先で仕上げさせていただきました。現在は他の出席者のご依頼をこなしている最中でして、これからさらに新規でとなると、ひと月ではとても……」
店主は困ったように頬に手を当て、首を傾けた。
それはもっともな話だ。無理を言うのはよくない。
「で、では、これがいいです!」
私は咄嗟に、そばにあったマネキンが着ているドレスを指さした。
「そちらは既製品ですが、よろしいのですか?」
店主はますます困惑した顔で、私とドレスを交互に見やった。
「ステラ。それでは――」
「いいのです。ルドヴィク殿下のお気持ちだけで十分嬉しかったので」
婚約破棄された縁起の悪い令嬢のドレスなど、きっと誰も作りたがらないだろう。
残念な気持ちもあるが、ここはぐっとこらえて上品に微笑んでみせる。
「よくない。ここで出来ないというなら他を当たる」
「殿下がそのような子供じみたことをおっしゃるなんて、思いませんでした」
意外そうに眉を上げて答えると、ルドヴィクは言葉に詰まって目を逸らした。
仕立屋は王都にここ一軒だけだったと記憶している。
(ルドヴィク殿下でもムキになることもあるのね)
意外な一面を知れて少し嬉しい。
しかしながら良案が浮かばないまま、一同は沈黙に沈んでしまった。
その時、店の奥にある工房から一人の少女がひょっこりと現れた。
「ステラ様! そのドレス、私に作らせていただけませんか」
きりりと眉を吊り上げ、勝気そうな表情の彼女には見覚えがあった。
「ブランシュ!」
私はパッと目を輝かせた。
「知り合いなのか?」
「はい。以前、孤児院で交流があったのです」
ルドヴィクに問われ、私は頷く。
「二年前、ステラ様には読み書きや計算を教えていただきました。仕事を探すのに絶対に役立つからと、根気よく、わかりやすく。おかげで私はここで働くことができているのです」
ブランシュは、そばかすのある頬をにっこりと上げてみせた。
「お話、聞こえてしまいました。ぜひ、私にお任せいただけませんか?」
「いくらなんでも、あなた一人では無理よ」
店主が静かにたしなめる。
「確かに一から作るのは無理です。でも、そのドレスを仕立て上げたのは私です。これを基にしてサイズ直しと、装飾を加えてみてはどうでしょう。それならひと月あれば間に合いますよ」
「たしかにそれなら、できるかも……」
店主は吟味するように眼鏡の蔓に指をかける。それから「ご予算はおいくらなのでしょう?」とルドヴィクに尋ねた。
「ステラに似合うものを作ってくれるなら、どれほどの出費も厭わない」
ルドヴィクの言葉に、店内にいた職人たちがざわついた。
「では――早速とりかかりましょう!」
店主は覚悟を決めたように息をつくと、次の瞬間には手を叩き、職人に指示を出し始めた。
それからの私は寸法を測られたり、ドレスを試着させられたり、てんてこ舞いだった。
ドレスに合うアクセサリーを選びきれずにいたら、そのすべてを購入するとルドヴィクが簡単に口にしたので、私は別な意味で心臓が止まりそうになった。
(その予算はどこから出てくるんですか!?)
どさくさにまぎれて普段着用のドレスまで選ぶことになり、あとで離宮に送ってもらうことになった。
「ステラ様。あの号外の記事、私は信じていませんからね」
店を出る時、ブランシュは活気にあふれた声で言った。
「あなたのことを知っている人なら、みんな同じ気持ちです。ご事情があるのだとは思いますが、お気を落とさずに。またお顔を見せにいらしてください」
「ブランシュ。本当にありがとう」
泣きたくなるのをこらえて、私は彼女と握手をして別れた。
「号外とはなんのことだ?」
帰り道、馬車の中でルドヴィクが尋ねてきた。
「ああ……グエナエル殿下と婚約破棄したのは、私に原因があると書かれていたのです。町の人々も失望したとか」
それを読み、血相を変えた叔母が乗り込んできたのだっけ。
あれはまったくの誤解なのに。
くやしくて、涙が滲んだ。
「いつの時代も噂話は娯楽の一つだからな。君は何も悪くない。堂々としていればいいのだ」
優しく頭を撫でられ、私は顔が熱くなった。
「こっ……子供扱いしないでください」
そうだ。噂なんてそのうち消えていく。大人なら余裕をもって素知らぬ顔をしていればいいのだ。
それができない私はやっぱり幼くて、ルドヴィクの目には、いつまでたっても泣き虫な女の子としか映らないのだろう。
「それなら――大人のやり方で君を慰めてあげようか?」
ふいに腰の辺りに手を回され、体を抱き寄せられた。すっと長い指で顎を掬われる。
凛々しい眉のライン、澄み切ったサファイヤの奥にちらりと覗く妖艶な影、高い鼻梁は私の頬に今にもくっつきそうで、かすかな吐息が熱い。
端正な顔立ちがこれでもかという距離まで近づいた。
(ひぃぃぃぃぃー!)
もしも私が子猫だったら、びっくりし過ぎて全身の気がハリネズミみたいに逆立っていたことだろう。
時間が永遠に止まったみたいに、指一本動かせなくなった。瞬きをこらえている睫毛が震えた。
「……というのは、冗談だ」
ルドヴィクは目を伏せ、唇の片端を上げた。
時間が緩やかに動き出す。
顎のラインから頬を撫でながら、その手が離れていく。寄せられていた体が解放された。
「冗談……ルドヴィク殿下みたいな大人の方でも冗談を言うなんて、知りませんでした」
かちかちに固まった体を動かして、私はぎこちなく彼とは反対の方向を向いた。
冗談でよかった。いや、つまりからかわれただけということ?
慌てふためく私の姿は滑稽なのだろうか。
「君が思うほど、私は立派な大人ではないよ」
ルドヴィクが苦笑するのが空気でわかった。
それは、私に無理に大人の女性として背伸びする必要はないと、そう言いたいのだろうか。
黙っていたらうるさく鳴っている心臓の音が聞こえそうだと心配したが、馬車が間もなく王宮に着いたので私はホッとし、逃げるように離宮へ向かったのだった。
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