私たちは既に変わってしまったのだろう
第2話
夜も明けかけの駅、そこで私は一人冷たい空気に息を吐く。
吐いた息が白くなることはないけどいつもより少し寒い。
「当たり前か……」
普段なら布団の中にいる時間だから知らなかった。羽織る物でも持ってくればよかったかもしれない。これからやることを考えるとやけに冷静だなと思いながらぼーっと考える。
四月初めの始業式、今日で私は高校二年生に進級する。
そんな私を祝うかのように、桜が駅の構内にはみ出すぐらいに咲き誇っている。
朝焼けを背に咲く桃色の短命花は、否が応でも感慨を引きずり出してくる。今の私でも素直にきれいだと思えてしまった。
「綺麗……」
感嘆の声を上げるが頭を振って感情を消す。桜に見とれるためにわざわざこんな朝早くに来たわけじゃない。
俯き加減にホームの後方まで歩いていく。
幸いなことに誰もおらず少しほっとする。
誰かがいたところでできないわけではないけど、見られるのはあんまり気分のいいものじゃない。
手ごろな椅子にバックを捨て置き、大きく息を吸って吐くとゆっくりとホームの端へと近づいていく。
点字ブロックを超え、つま先がはみ出るくらいまで出てみる。
大丈夫、これは予行演習みたいなもの。電車が来るまでは五分はあるはず。
そう言い聞かせながら震える手を押さえて目をつぶる。
今日のためにいろいろ準備してきた、友人への手紙を残したし、始発の時間を調べて起きる時間も調整した。だから大丈夫。
そんな私の言い訳じみたあがきもむなしくいつも通り視界が明滅し始めた。
心臓が痛い。
ああ、いつもの症状だと思った。
頭も痛い。息が苦しい。
「大丈夫……」
私は自分に言い聞かせるように唱えてそして。
「うっ……」
力が抜けるようにへたり込んでしまう。
コンクリートの地面からひんやりとした温度が伝わる。
「はあーはーっ、はあーはっ」
今度こそはと思ったのに。
高鳴る心臓を押さえながらぎりぎりと奥歯をかみしめる。
今までもそうだった、予行演習だと言い聞かせていざその場に立つと胸が苦しくなって、私の体は都合のわるい時だけ私を助ける。
それならなんで本当に助けてほしい時は助けてくれないのか、そうだったならわざわざ自殺なんてしない。そんな風に自分勝手な方便を垂れる。
けどやるせない気持ちと同時にどこか安心している自分もいて、思わず舌打ちをしたくなる。
痛む胸を押さえてよろよろと椅子に座る。
背もたれにもたれて空を見上げれば私をまるであざ笑うように、きれいな桜が咲いている。今はそんなものを見たくない。
「気持ち悪い……」
思わずつぶやく。
綺麗なはずの桜が今の私にとってはひどく醜く見える。桜は好きだけどきれいな桜は嫌いだ。
きれいな桜も散ってしまって地面に落ちる、そして人に踏まれて結局最後は汚い終わり方。そんな姿が自分と重なって嫌いだ。
息を整えていると軽快な音楽が流れる。
「電車か……」
結局私は電車の到着時刻までに意思をもとに戻すことはできなかった。
ため息交じりにカバンをとる。
ふと視界の端に学生服を着た少女が目に映る。
今更自分以外に人が来ていたことに気が付くのを考えるに相当まいっていたみたいだ。さすがにそろそろ切り替えないとこれから学校だ、友達に不審がられてもよくない。
気持ちを切り替えるためにほほを叩く。
目を開けて、乗車位置に移動しようとして……
「ねえ、あなた……」
「うひゃいっ!」
しまった、近くで急に話しかけられたせいで変な声が出てしまった。
そんな私の反応を見て話しかけてきた相手は怪訝そうな顔をしていた。
見れば話しかけてきた相手は同じクラスの登坂沙織さんだった。いつも本を読んでいておとなしい印象の登坂さんだけど多分話したこともなかったと思う。けどそんな人が私に何の用だろうか。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない」
「あ、ごめん、さっきまで遠くのほうにいたと思ってたから。それで何か用?……あなたは登坂沙織さんだよね、同じクラスの」
上ずる声をごまかすように言葉を並べる。
「ええそうよ、それであなたは……」
「芹沢燈火、だよ」
「知ってるわよそれくらい、あなた学年で一番の有名人でしょ」
登坂さんは風になびく髪を抑えながら言う。
あまり噂ごととかに明るくなさそうな登坂さんに知られるほど自分の名前が広がっているのは少し嫌だけど、これも自業自得か。
「それであなた、さっき自殺しようとしていたでしょう」
軽いのに鋭利なナイフで突き刺されたようだった。
「……そんなわけないじゃん」
はねる心臓をごまかすように言う。
遠くのほうで見える電車のライトがまぶしい。
「本当にそうなの?」
「だって私が自殺なんてするわけないでしょ。私がそんなことするように見える?ただの幸せな……」
「嘘つき」
瞬間、登坂さんは線路内に飛び込んだ。
は?心の中で間抜けな声を出す。
なんで?私の中で疑問符が浮かぶ。だけど考えるのは一瞬ですぐに体が動いた。
さっきまで死のうとしていた人間が、他人には命を大事にしてほしい、と思うのは相当に傲慢な気もするけど、それにしたって今の今まで会話していた人に死なれるのは気分が悪すぎる。
登坂さんの腕をつかんで引き寄せる。
それを見て登坂さんは嫌そうに眉をひそめる。
こっちは助けに来てるっていうのに。
でも間にあったはいいものの、運動部でもない私に人一人を引き戻せる力なんてなく、逆に私も引っ張られるようにして線路内に落ちていく。
「しまっ……」
思わず目をつぶる———
風の音がした。
さらさらと流れるような風の音。
促されるように恐る恐る目を開けると場所は駅のホームだった。
横へ視線を向ければ相変わらず桜がうるさいぐらいに咲き狂っている。風に揺れさわさわと音を立てながら花びらを散らす。
ぼーっとしながら景色を眺めていると自分の体温が高いことに気づく。心臓の音がうるさい。それにいつの間にか息も上がっている。
『一体何があったのだろう』
「ねえ」
状況をつかめていない私に声がかかる。
誰なんだろうと見上げると、登坂さんが少し息が上がった状態で立っていた。そこでようやく思い出す。
「私、なんで死んでないの……」
私はさっき、確かに電車にひかれて死んだはずだ。自分の体がきしむ音まで聞いた。自分が死ぬその瞬間までの記憶がある。
それなのに生きている。
事の真相を登坂さんは知っているのだろうか。声をかけようとして。
「やっぱりあなたも記憶があるのね」
「どういうこと?」
記憶があるというのはどういうことだろう、死んでいき返ったら記憶が消えてたなんて言う物語の設定でもあるのだろうか。
それとも俗にいう転生というやつなのか、ああでも異世界というわけじゃないしこの場合はえっと……ああ、だめだ頭が回らない。
「———簡単に言うと死に戻りよ。あなたは今私と一緒に死んで少し前の時間に戻ったのよ、ほら見なさい」
登坂さんが指で指し示す方向を見ると、私を引いたはずの電車が遠くのほうからこちらに向かってきているのが見える。
そんなまさか、あり得るわけがない。空想の世界でもないんだからと、天井から吊り下げられた時計を見る。するとそこには五時三十四分の表示。電車の到着時刻、私が死んだ時刻の一分前に戻っていた。
その事実を認識して、頭の靄が晴れていく。覚醒し始めた頭を動かして今何をすべきか考えながら、登坂さんに声をかけようとすると。
「それじゃあ」
混乱する私を置いて登坂さんはどこか急くように階段を下りていく。
この状況で詳しい説明もなしなんて、とは思ったけどそれよりもまずは登坂さんを引き留めないと。
「登坂さん待って」
階段まで走っていって叫ぶが、登坂さんは止まる様子がない。
「ちょっと、無視しないで」
何回か呼び止めるとようやく登坂さんは立ち止まってくれる。
その後こちらを一瞥し深いため息をつく。そしてたっぷりと間を置くと嫌そうな、本当に嫌そうな顔をして振り返る。
「何、何か用?」
その言葉にはとげがあってこれ以上会話を続けるなという言葉が暗に含まれていた。
私はそんな登坂さんの様子に思わず後ずさってしまう。
登坂さんはスクールカースト的に言ったら上ではないけど、上の人たちにも一目置かれるぐらいに人付き合いが上手い。
近づく人がいてもやんわりと離れて、でも毎回穏便にことを済ませて敵を作らないようにする。そのくせ頭も顔もいいもんだから妬みみたいなものもありそうなのに、そういうことも思われないような振る舞いをする。
けどそんな中でも自分を持っていて一線を引いている。
そんなめったに言葉を場を荒げることのない人が放つ嫌悪はとても怖かった。静かな人ほど怒らせてはいけないというのはこのことかもしれない。
私は気持ちを悟られないように言葉を続ける。
「さっきなんで自殺しようとしたの?」
「……あなたにイライラしたからその腹いせよ」
登坂さんはまるで自殺を何とも思っていない風に言う。
「イライラって……そんなことのために死ぬの?」
「ええ、私にとっては自傷行為。ストレス発散みたいなものよ」
唖然とした。
ここまで死ぬことを何とも思っていない人がいるのかと。
慣れているのかもしれないけど死ぬのは気分のいいものじゃないと思う。
私も多分さっき死んだのだと思うけど、いきなりだったからよく覚えていない。そんな状態だったのにもかかわらず、今思い出しただけでも吐き気を催すほどのものだ。
多分登坂さんはおかしい。
「はぁ、もういいわ。ちょっと携帯貸して」
「え?」
「え、じゃないわよ。ほら連絡先」
「あ、うん」
私は困惑しながらも駆け寄ってきた登坂さんに携帯を差し出す。
当たり前だ、かかわるのを嫌がっている様子だったのにいきなり連絡先交換という話になるのだから困惑もする。その前にもう少し段取りというものがあるのと思うんだけど。
そんなことを考えている間に登坂さんはさっさと用事を済ませるとスマホをポケットにしまう。
「それじゃあ」
「あ、ちょっと」
どこかへ行こうとする登坂さんの腕を、少し遅れてつかむ。
「何?」
「もう少しさなんかこうないの、死に戻りのことについて詳しい説明とか」
「それって私に必要かしら」
「登坂さんには必要じゃないかもしれないけど私には必要なの」
「しつこいわね」
「でもっ!」
シーンという音が聞こえた気がした。
「……わかったわ、話だけならしてあげるから少し声を押さえて頂戴。周りの方に迷惑よ」
言われて周りを見回すと。階段を上っていた老夫婦が驚いた顔でこちらを見ていた。
少し赤くなった顔で軽く会釈をすると、二人は怪訝な顔で隣を過ぎ去っていく。
私が登坂さんの腕を離すと、つかまれた部分をさすっていた。
「それで、少しは頭も冷えたかしら」
「……ごめん熱くなりすぎた、ありがとう。でも説明は……」
「説明は必要……確かに私もそう思うわ。ごめんなさい、私も少し気が動転していたの、こんなことは初めてだったから」
「わかってもらえたなら……」
「いいえ、私があなたを理解するかどうかは今後のあなたの回答次第よ」
登坂さんは目を細めて私をにらむ。
「私と一緒に死んでくれない?」
その言葉は普通、人には言わない言葉のはずなのに、登坂さんが言うと不思議と現実味のある言葉に聞こえた。
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