第8話

 ベッドに仰向けになりながら木製の天井を見つめる。

 いつもの見飽きた天井、見飽きた照明。

 視線を部屋の隅へと動かせば、燈火と別れて帰ってきてからもう一時間もこの状態だったということを時計の針が伝えてくる。


「のど渇いた……」

 自分の机の上に置いてあるペットボトルに手を伸ばしつかみ損ねる。そればかりか指で飛ばしてしまいころころと転がっていってしまう。


「はぁ……」

 ため息を吐きながらのそのそと起き上がり、ペットボトルを開けるとごくごくと水を勢いよく飲んでいく。水が口の端から滴って首から制服の中へと胸の間を伝うように流れていく。

 冷たい……


 飲み終わったペットボトルを捨て、デスクライトをつけると、再びベッドに寝転がり、近くに置いてあった読みかけの小説の中から一冊を選び読み始める。

 帰ってきてからそうであるように、あまり集中できずにぼーっと文字の羅列を眺める。


 彼は言った———僕には関係ない。

 ああ、なんで君—————仕方がない。

 だってしかかが———

 ——たがなくて。


 だんだんと文字がゲシュタルト崩壊し始めたころで、主人公が友人の首を絞めるシーンに入る。

 理由は恋仲の不調和らしく、男二人で女性一人を取り合った挙句殺し合いに発展してしまったようだった。


 何ともテンプレで陳腐なシーンだと思うが、なぜだか一気に読んでしまった。

 帰って来てから何も手につかなかったくせに、この小説だけはすんなりと話が入って来た。

 本を読んで手につかないのも、どうでもいいシーンで妙に感情移入してしまうのも、あれもこれもきっと彼女のせいだ。


 もう何度も何もないことを確認したはずの首を触る。

 そこにはきれいな薄い皮膚があるだけで、燈火とのことなんてなかったみたいにきれいな皮膚そのものだった。


 私は燈火に殺されかけた。いや、というよりも殺そうとされかけた、というほうが正しいかもしれない。彼女は殺そうとすらできなかった、ただ私の首に触れただけで離れていってしまった。


 正直何か行動を起こすだろうとは思っていたけれど、ああまで大胆な行動に出るとは予想外だった。やるとしても明確に怒る程度だと思っていた。

 いっそそのまま殺してくれれば私としては面白かったのだが、そこは燈火らしく真面目にダメなことはダメだと思ったのか実行に移すことまではしてくれなかった。


 そんな彼女に意気地なしと笑って見せたかったが、私のほうも実のところ余裕がなかった。

 なんせ人に殺されかけるなんて経験は初めてなのだから、いくら私でも動揺もする。それと首を絞められたことで、初めて燈火に主導権を握られたようで不快だった。


 燈火といて面白いのは彼女の外面をびりびりとはがして、内面をさらけ出させるから面白いのであって、私が心をかき乱されるのは面白くない。

 気持ちが悪い……

 そんな不快感と、今までにないくらい感情をあらわにした燈火を見れた高揚感とで、その時の私は柄にもなくとても動揺していたと思う。その証拠に燈火の部屋を出てから別れるまでのことをあまり覚えていない。


 ほんと燈火と出会ってからよくおかしな行動をとってしまう。

 嫌いな人間にあいまいな理由で近づいて行ったり、嫌いで壊してしまいたくて、内面をさらけ出させたいのにそれをやめてほしいという自分もいて。

 別に今までの自分がまともだと思ってはいないけれど、今の私は客観的に見て今までと何か違う。見えない何かに駆られるように動いていて、私が本当に登坂沙織なのかを疑いたくなるほどだ。


 ああ、胸の奥がむかむかとする。


 バカな考えをとめようと再び本を手に取ろうとすると、積んである本の山に明るい光が差し込んでいた。それは月明かりでいつの間に外はだいぶ暗くなっているようだった。


 起き上がってスマホを手に取る。いつも使っているSNSのトーク画面を開きフリック入力して燈火にメッセージを送った。

 メッセージを打ち終えるとスマホを投げ捨て、再び読み始めようと本をつかむ。しかしそれを遮るようにふすまのほうから声がかかる。


「沙織様」

「何?」

「お食事のご用意ができました」

「……わかったわ、今行くと伝えて頂戴」

「かしこまりました」


 気配がなくなり静かになった部屋にため息をこぼす。

 この家で唯一の楽しみである読書も燈火のせいで帰ってきてから全然集中できていない。

 いや、今日だけじゃない。ここ最近、頭に入ってくるだけで読んだ気がしない。


 こんな状態でさらにストレスをかけるような場所に行くのはごめん被りたい限りなのだが、家の方針で家の者は一緒に食べるという決まりだ。

 私は家族が嫌いだ。だから一秒でも一緒に居たくない。

 とはいえ返事をした以上今すぐに食事に向かわないといけないわけで、憂鬱にさいなまれながらも部屋をある程度整理し、母と兄弟たちが待つであろう居間に向かう。


 残されたスマホからは通知が来たことを伝えるライトだけが暗い部屋の中で光っていた。

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