第7話

「燈火さんって本好きだった のね、少し意外だわ」

「そう?意外でもないと思うけど」

 沙織は私の部屋を眺めながら聞いてくる。


 沙織の眺めてる場所には本棚の中に本がびっしり、ではないけどそれなりに入っている。

 読書は私の数少ない趣味の一つで、幼少期のころから集められた、大小さまざまな本が入れられている。


「それとこの本棚を見て本好きって判断するのも時期尚早だと思うんだけど。たくさん入ってるってわけでもないし、沙織からしてみれば少ないんじゃない?」

「そういうところよ」

「どういうとこ?」

「時期尚早という言葉、普通の高校生は使わないと思うわよ。あとはそうね……死に戻りという言葉を素直に受け止めていたところかしらね。本を読んでいないと死に戻りなんて言葉聞きなれている人は少ないと思うわよ」

「確かに……」


 沙織は頭がいい。成績もそうだけどこういう細かいところによく気づく。

 別に本を読むというのを知られていたのは嫌ではないけど、こういう細かいところまで指摘してくるのはさすがというかなんというか、若干怖い。

 沙織は怖がる私をよそに本棚の物色を始める。


 今までの沙織の読書量を見るに、私のような売れ筋の中から好きな本ばかり買っている人の本棚なんて見るところはないと思っていたけど、案外沙織は興味深そうに見ている。

 その様子を眺めながら、沙織が来てから今まで疑問に思っていたことを投げかけてみる。


「ねえ沙織、今日はなんで私の家を指定したの?」

 家に来ただけじゃない、いつもは土日を指定するのに今日は金曜日、放課後だ。

「ダメだったかしら?」

「いやダメではないけど今までは駅前で集合って話だったから……」

「ダメではないのならいいじゃない」

「教えて」

「はあ……めんどくさいわね」

 私を見る沙織の顔が心底嫌そうに歪む。


 こちらに非はないと思うけど沙織的にはイラっと来たのかもしれない、不服だ。

「あなたの家に来てみたかった、ただそれだけよ」

 沙織はぶっきらぼうに言うと本棚から本を何冊か取り私のベッドに座って読み始める。

 沙織は冷たくしたり離れたりしつつ、来たいからという理由でここに来たり、相変わらず天邪鬼全開だ。


 水を一口飲んで聞く。

「私のこと嫌いなんじゃないの?」

「嫌いよ」

「じゃあ何でこんな友達みたいな」

「興味が出てきたから」

「どういう意味」

「……あなた相変わらず妙なところでしつこいわね」


 しつこいと言われても、私だってわざわざこんな場を乱すようなこと言う必要が無いのなら言いたくはない。けど沙織との関係ははっきりさせておきたいし、振り回されるのはよくても中途半端は嫌だ。


 じっと見つめていると、沙織はため息を吐き、観念したように読んでいた本をぽんっと音を立てて閉じる。

「普段のあなたはへらへら笑っていて正直嫌い。けれど駅であなたと会ったときからだんだんと認識が変わったのよ、つまらない人だと思ったのに意外と面白いんだもの」

「別に面白くはないでしょ」

「自殺しようとしている人のどこが面白くないっていうのよ」

「それでも面白くはないでしょ」

「まあいいわ、あなたが自分自身のことをどう思っているかなんて私には興味ない」

 話は終えたというように沙織は不敵に笑うと、机に置かれたコップを取り、残った水を飲み干す。コップを机に置くと立ち上がり部屋から出て行く沙織。

 そんな沙織の腕を思わずつかむ。


 驚いたように私を見る。

 その瞳に見つめられると何をしようとしていたのか、そもそも理由もなかったことに気が付いて、反射的に動いてしまっていたことに気が付く。


「何?」

「あ、いやどこ行くのかなって」

「トイレよ。で、どこなの?」

「あ、ああトイレね。えっと、トイレなら突き当りを右」

「そう」


 いつものようにそっけなく答えると、私の手を振りほどき部屋を出ていく。

 一人になった部屋はいつも通り静かだ。

 ページをめくりながら時々コップに手を伸ばす。カランと音を立てて氷がコップにあたる。ばたんとベッドに倒れて横になりながら本を読んでみる。本当に静かだ。


 そのうち沙織も帰ってきて私の横に座る、するとベッドがぎしっと音を立てて沈み込む。ページをめくる音の数も増える。

 ぺらっぺらっと不規則にページをめくる音が聞こえてくる。時々隣からカランと音が聞こえるのみで、沙織がトイレから戻ってきてから私たち二人は会話をすることもなく時間を過ごす。勿論会話が無いのだから自殺のことをお互いに口に出さない。

 暗い部屋の中に夕日だけが差し込んでいる。


 顔を上げる。

 あーもうなにこの状況……。

 これじゃあ沙織との関係がますますわからなくなってくる。


 今まではただ単に自殺するだけでろくなかかわりもなかった。

 なのに急に家に来たいと言われて、そこからはただ本を読んで過ごすだけ。沙織からは何の言葉もなくてただひたすらに本を読む。

 これじゃあまるで『友達』みたいだ。


 別に友達が嫌というわけじゃない、沙織は正直言って好ましいとは思えないけど別に嫌いというほどでもない。スペックもいいし一緒に居たって周りからは不思議がられる程度で変なことを言われることも多分ない。

 だけど私たちの関係は自殺をするだけという条件下だから成り立っているのであって、私はこんな関係を望んでいない。こんな関係にしたいわけじゃない。


「なんで今日は自殺しないのとか思ってる?」

 ずっと口を開かなかった沙織が、本に目を向けたまま聞いてくる。私は思わず体をこわばらせてしまう。

 沙織は人の心を読むのが上手い。なんでこう的確に私の心情に即したことを言ってくるのかと少し不快だ。


「別に思ってない」

「嘘ね」

 沙織の言葉は静かな部屋によくとおる声で響いた。

「あなたは気づいていないかもしれないけれど、あなた自分の意図しないことをされたり、驚いたりすると肩を揺らすのよ。明らかに嘘の証拠」

 ページをめくる音が聞こえてくる。沙織はいつも通り淡々とした様子だった。


「からかうのはいいから、で今日はどうするの?さすがにこのままってわけじゃないんでしょ」

 沙織がページをめくるのをやめる。

 ルビー色の瞳が見つめている。

「別にいいじゃない、自殺しない日があっても。こうやって本を読んでいるだけでもわたしは楽しいわよ」

 そういい視線を私の手元に移す。


「あなたはずっと同じ本ばかり読んでいるようね。とやかく言う気はないけれど、よく三十分も同じところを読んでいられるわね」

「うるさい……」

「素直になればいいのに」

 衣擦れの音が聞こえた。


 身をのりだした沙織の瞳が目の前に迫る。

 いつかの日と同じように沙織は私の顎に手を添える。このまま何もしていなければキスされてしまいそうな距離に沙織の顔がある。

 親指で私の唇をなぞる。


 気持ち悪い……。

「緊張しているの?」

 唇に息がかかる。


 怖い。

 沙織が何かするとは思えないけど、なんというか沙織の目が怖い。

 何も思っていないような気持を読み取れないきれいな瞳。

 手を握りしめる。

 汗が背中を伝う。

 耐えられなくて目をつぶる。


 しばらくすると気配が離れていくのを感じた。

 立ち上がる音が聞こえて目を開けると、沙織がベッドの近くに立てかけられていたバッグを持つところだった。


「帰るの?」

 何も言わず沙織は歩き出そうとする。わたしはその腕を引く。

「まって」

 腕を引くと勢い余ってベッドへと押し倒す。

 沙織の髪と制服がぱさっと広がる。

 広がった髪の毛からは薔薇の香りがしていた。

 沙織らしい大人っぽい香り、私が付けたらきっと似合わない。


 倒れている沙織のうえから馬乗りになる。ベッドが二人分の体重でぎしっと沈み込む。

 沙織を見下ろす。少し動揺している様子だけど、私の陰で見えないからか表情に変化はないように思える。

 そんな沙織を眺めて何を思ったか恐る恐る手を伸ばし、沙織の首に手をかける。


「沙織もやって」

 何をやっているんだとは思う。無理やり自殺に誘い込むなんて、明らかに気が動転しているのは間違いない。こんなことはするべきではないと考えなくてもわかる。

 なのにやられている側の沙織は笑った。手をだらりと伸ばして目を細めながら私を見つめてまるで楽しんでいるようだ。

 ああ、沙織のこういう笑顔が嫌いだ。私のことを見透かしているようなその笑顔が嫌い。その瞳で見つめられると自分を掻き乱される。



「燈火さんには無理よ」

 よくとおる声が頭に響く。

 うるさい。

 汗が噴き出る。

 自分がされているわけでもないのに全身から汗がにじみ出てくる。

 息ができない。やめろと心臓が叫ぶ。

 痛い、心臓が破裂しそうなぐらい痛い。

 苦しい。

 ドクッドクッドクッ……


 耐えられなくなって思わず手を放して横に倒れこむ。

 結局根負けしたのは私だった。

「はぁーはぁーはぁーっ」

 隣では沙織が起き上がって制服を整えていた。

 なんでこんな状況でも冷静でいられるのか。私だけ気持ちをかき回されてこれじゃあ自分が馬鹿みたいだ。


「そろそろ帰るわね」

「あ……送る」

「ありがとう」

 沙織は珍しく謝辞の言葉を口にする。

 だけど前を見るだけ、私を見てくれない。


 玄関を出たエレベーターの中、お互いに何も話さない。そのせいかその小さな箱の中だけ異様に時間が伸びたように感じた。

 伸びた時間の中あんなことをしなければよかったと後悔する。さっきの私は明らかにどうかしてた、なかったことにしてしまいたいけどそんなことにはできないわけで。

 十数分にも感じたエレベーターはようやく一階に到着する。


「ここでいいわ」

「待って」

 私が手首をつかむと沙織は表情を変えずに振り返る。

 振り返った沙織は顔が陰になっているせいか、怒った表情をしているわけでもないのに妙に怖かった。口を開いても言おうと思った言葉が出てこない。


「ねえ、痛いのだけれど。何かあるなら早くして頂戴」

 言葉とは裏腹に沙織の表情に変化はない。

 何か言われたらどうしようと考えながら突き動かされるように口を開く。


「あ、あの……さっきのこと……ごめん、私にもよくわからなくなって……」

 風が沙織の髪の毛を揺らす。夕日を背にした沙織の黒髪がとても綺麗だったけど私にはそれをきれいだと思う余裕すらなかった。

 沙織に拒絶されたくなかった。

 このまま返してしまえば沙織とは一生会えないような気がした。

 長い沈黙の後、沙織はため息を吐く。


「はぁー、別に私の首を絞めようとしたことはどうだっていいわよ」

 私が濁した言葉を彼女らしく直接的にいう。

「ただ、やっぱりあなたのそういう徹底して波風を立てないようにするところは嫌い」

「……ごめん」

「はあ……また連絡するから。それじゃあ」

 沙織は踵を返す。

 その後ろ姿に手を伸ばそうとするも、すぐに手を引く。何か言いたいことがあったわけではないけど行ってほしくなかった。


 沙織の背中を見つめる。

 やっぱり私には沙織のことがわからない。私のことを見透かして風のように気分屋、何を考えているかまったくわからない。


 そして同じようにあんなに自分勝手な沙織を嫌えない自分もよくわからない。

 私がこんな風になるのはきっと沙織が身勝手なせいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る