私はどうしようもなく強欲で傲慢だ
第14話
カッカッカッ 。
時計の秒針が時間を刻む音が聞こえる。
ピタピタ、ピタピタ。
雨の落ちる音が聞こえる。
その音にまじって時折パラッとページをめくる静かな音が聞こえてくる。
遅れて私もパラッと音を鳴らす。
そんなことを繰り返しているとページに大きな空白が現れる。
主人公とヒロインの最初の関係性が明らかになったところで一章が終わったらしい。ページに書かれた空白部分をそっとなぞって惜しみつつも本を閉じ、こわばった体をほぐすため腕を伸ばして伸びをした。
脱力して、ふと外を見ればあいにくの雨で、思い返せばここ一週間はずっとこんな感じだななんて思い出す。
七月に入ってから雨ばかりで今年は去年よりも雨の日が多い気がする。
私は雨が嫌いなわけではないけど正直本を読むときは少し嫌いになりそうになる。紙が湿って形が曲がったり文庫だとだんだん持ってる部分がふにゃっとしてくるからあんまりよろしくない。
とはいえ雨もそんなに悪いことばかりでもなくて、雨の音を聞いてると勉強だったり本を読むのがはかどっているような気がするし、それになんとなく雨の日はワクワクして楽しい気持ちになる。
まあ結局何事もいいことも悪いこともあるという事だろう。
そんなことを考えながら水を飲んでいると、後ろから聞こえていたページをめくる音が途絶えているのに気が付く。
沙織も切のいいところまで読んだものと思い、そろそろお菓子でも食べようかなんて声をかけようとしていると、制服のこすれる音がした。
「ねえ、燈火さん、水が欲しいのだけど」
その声に私は肩をはねさせる。
沙織の顔が私の耳に触れるか触れないかの位置まで迫っていた。
「ちょっと、耳元で話さないでよ」
沙織はベットに座って私は床に座って本を読んでいたわけだけど、沙織が前かがみで話すもんだから沙織の息が私の耳にかかる。
「わざとよ」
「あーもうはいはい、そう言うのいいから、コップ頂戴」
もう沙織と出会ってから何度目ともしらないため息を吐きながら、沙織の差し出してきたコップに水を注いでいく。正直自分で注げばとも思うけどツッコんだら最後、あれよあれよという間に言いくるめられいつの間にか沙織の手のひらの上で踊らされる。
だったらすぐに従って危機回避したほうがいいとこの三か月で私は学んだ。
「燈火さんってやっぱり耳弱いのね、駅で話しかけたときも変な声出していたし」
沙織は注いでもらっている身にも関わらず喧嘩を売ってくる。
いつの話をしてるんだと思わず水でもかけてやろうかと考えたけど、私の部屋だしどうせ沙織が掃除を手伝ってくれることもないのでやめておいた。このやろう、いつか覚えておけ。
「ありがとう」
「どうも」
わざとらしい感謝に含みを待たせて返すと、返された方は何がおかしいのか、口に手をあてくすくす笑っている。
もうかれこれ四か月目の付き合いに突入しそうだけど、沙織はこのかたずっとこの調子だ。
ある日は集合場所に居なくて不安になってきたところを後ろから脅かして来たり、ある時は私が嫌いだと知りつつ妙に優しくして来たり、またある時は急に顔を近づけてきて私の反応を楽しんだり。
何が面白いのかこの天邪鬼は私で遊んではため息を吐かせる。多分これから変わらないのだろう。
とまあ、こんな風に毎回文句を言いつついまだに沙織と一緒に居る私はなかなかに変人の自覚はある。
いや、自殺をするには沙織の言う通りにするしかないのだから仕方ない。
そう、仕方がないんだ。決してあの観覧車で口走ったような居心地がいいから、なんて言う恥ずかしい理由じゃない。
と、観覧車での出来事を思い返しながら頭をぶんぶんと振っていると、ふと沙織が小説を書いていたことを思い出す。
件の事件があった日、映画館で沙織は熱心にメモを取っていた。私の家に来るときも時々小さいパソコンで小説を書いているのは知っているけど、思い返せば小説の中身を見たことが無い。
少し気になったのと、仕返しも含めたちょっとしたいたずら心で聞いてみる。
「ねえ、沙織。小説書いてたよね?ちょっとでいいから見せてよ」
「途中でもよければ」
「え、いいの?」
思っていた反応は得れず、そればかりかあっさりと承諾され、私は面食らう。
「?別にいいわよ……」
そう言って沙織はカバンの中をあさっていると、何かを思い出したかのように笑うと嘲笑するような笑顔で私を見る。
「ふっ何?私が小説を見られるのが恥ずかしいと言うとでも思ったの?」
「別にそういうわけじゃないから」
なんでわかるんだよ。
「わかりやすいわね」
「……もういいから早く頂戴」
相変わらず勘のいい沙織は私の考えを見抜いてほくそ笑んでいる。その勘は当たってしまっているわけで私はごまかすように催促する。
そんな私に対して仕方ないというように原稿用紙差し出す。
自分で頼んでおいて失礼かもしれないけど、それを嫌々受け取る。
相変わらず沙織は笑っていて正直読みたくない。
とは言いつつも沙織の書いた小説が気になるというのは事実なわけで、不承不承ながら読むことにした。
沙織から受け取った原稿用紙の束を机に上に置きパラパラと読み進める。
話の内容としてはミステリー物でぶっきらぼうな探偵の男性とその補佐をする探偵見習の少女を主な登場人物とした話だった。とまあ、プロローグ部分はよかったのにその後だ。別に面白くないというわけじゃないけど……
「……ねえ、もしかしなくともこのメイドの女の子、モチーフ私だよね?」
「そうなの?」
「いや首をかしげて欲しいわけじゃないから」
「燈火さんがそう思うのならそうなのかもしれないわね」
「いやいや、これ濁す気ないじゃん」
ほんと濁す気がない、まず名前がフレアだ、多分燈火をもじってフレアにしたのだと思う。わざととやっているとしか思えない。それに性格がよくて人当たりがいい、何なら若干しゃべ方まで似ている気がする。
沙織を睨んで不満を示すけどいつも通り悪びれる様子がない。
手元の原稿用紙を見つめてため息をつく。
正直言って自分が登場する小説なんて読みたくない、書き手のキャラクター描写が上手いというのもあるんだろうけど、なんというか何気ない動作に共感性羞恥を催して死にたくなる。
この明らかに場を取り繕うような言動だったり、誰にでも笑顔で接している姿、思ってもないお世辞なんかには思わず目をそらしたくなる。というよりなんでわざわざ私がこんな思いをしなければいけないのか、作者が目の前にいるからそいつをひっぱたきたい。
とはいえ、このキャラクターが良くも悪くもこの話を面白いものに変えているからおいそれとひっぱたく気にもなれないのがムカつく。
あきらめて分厚い原稿用紙に再び手を付ける。それに自分から言い出した手前、やっぱ嫌だなんて言いにくかった。
小説は結構な文量のあるもので、私が読むのが遅いというのもあって読み終わるのに四時間ほどたってしまった。
最初は共感性羞恥との戦いと形容してもいいようなものだったけど、中盤からは印象が変わった。とにかくこのフレアというキャラクターが魅力的なのだ。
周りに敵を作らぬよう顔色をうかがいながらも、伺っているのを悟られない言葉選び、それに加えて少しはかなげな印象を与える悲しい過去に、それでもそこに確かにある信念。
数々の出来事を経る動乱の近代ヨーロッパに咲く一輪の赤い花と形容すればいいのか、その生きざまと、終盤の彼女の心のうちを吐露する場面には思わず息をのんだ。
「燈火さん?大丈夫?」
読み終わった後うつむいていた私に沙織が声をかけてくる。
大丈夫、そう言おうと思ったけどうまく声がない。それぐらい私には衝撃的だった。
「ねえ……」
名作を読み終わった後の何とも言えない感慨から頭を目覚めさせ何とか声を絞り出す。
「なに、どうかした?」
「不服だけど面白かった……」
「あなたのその顔を見ればわかるわよ」
「言葉ってのは伝えるのが大事なの」
そんな私を見て沙織は何が面白いのかこの上ないくらいに笑っている。
こんな風に笑われるぐらいだったらほめなければよかったと後悔しそうになるけど、多分笑われるとわかっていても伝えたくなる。それぐらい本当に、言いたくないけど面白かった。
「最初は不満だったけどこのフレアっていう子、滅茶苦茶好きになった。この儚くて壊れそうなんだけど確かにそこにある光って言えばいいのかな、この子の生きざまがよかった。語彙力なさ過ぎて伝えられないけどほんとによかった」
「そう」
「ほんとにわかってる?」
「だって当り前だもの、私が書いたのだから魅力的なキャラクターに仕上がるのは当然でしょう。それに……」
沙織は持っている小説を閉じると前を見つめる。
「それに小説は私の人生なの、だから面白くないと言われるものを書くわけにはいかない」
今までの私で遊ぶような意地悪い顔ではなく、本当に自分にとって大切なのだと真剣な目つきで語っていた。それこそいつかの映画館でメモを取っているときに見た、真剣な表情と同じで、沙織にとって小説とは本当にかけがえのない存在であることがうかがえた。
私は嘆息するとベットにもたれかかる。
「人生、か」
「……いえ、自分で言っておいてあれだけれど、人生というよりも命より大切なものかしら。それこそ死ぬか小説を書けなくなるかと言われれば真っ先に自死を選ぶわ」
「自死って……」
「私は本気よ」
少しばかり哀愁を帯びた口調で話す沙織に、思わず心臓がはねる。
私にはないものを持っている。夢とか目標みたいな、私にはないものをこの少女は持っている。その事実が私にはただただまぶしかった。
私にもそんな輝かしい何かが存在すれば何か変わるのかも、なんて考えなくもなかったけどそれは言わなかった。それは沙織に対して失礼だし、そんなことを考えている自分が恥ずかしかった。
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