第15話

「そっか……あ、じゃあさ、この作品も賞だったりに応募してるの?」

「え?」

「え?」

 聞くと沙織は何を言っているんだというように私を見る。


 私も訳が分からず呆けていると、沙織はあきれた様子で額に手をあてる。そして自分のスマホを取り出すと、あるサイトを検索して私に渡してきた。

『新進気鋭の新人、上り坂紗(のぼりざかすず)が書くミステリーシリーズ』

 小説のタイトルとともにそうでかでかと文字が書かれていた。


 その無駄に強調された文字を流しで見ながら、何を沙織は見せたいんだと思いつつも画面をスクロールしていく。そのうちそのミステリーシリーズとやらのあらすじが出てきて、それを見ると沙織が言いたいことが分かってくる。そして決定的だったのは『フレア・フランソワ』登場人物欄にそう書かれた名前だった。

 それと同時にみるみる自分の体から冷や汗が出てくるのを感じる。


「えーっとつまりは今私、すでに本を出してる人に向かってコンテスト応募すればいいんじゃないかと言っちゃった感じ?」

 私が恐る恐る聞くとあきれたように沙織は嘆息する。

「そうね。しかもその作品、大賞なんて看板を引っ提げて刊行に至ったのよ、界隈では結構知られていると思っていたのだけど……」

「その……ごめん、本当に知らなくて。私自分の好きじゃないジャンルはあんまり気にしないから」

「柄にもなく格好つけてみたのにあなたが妙なことを言うから台無しじゃない……」

「ごめん、うかつだった」

「もういいわよ、大体あなたの本棚を見てわかっていたことだから」


 口ではそういつつも不機嫌そうに答えていて意外にも少し傷ついているようだった。

 口をとんがらせているし、すぐに本を読み始めたから当たり前だけどわざと私を見てくれていないような気がする。

 ばつが悪くなって避けるように上り坂紗のほか作品を見る。


 見ているとデビューから二年ほどしか経っていないのにも関わらず、短編を中心に五冊も刊行しているようだった。わざわざ作家用のホームページも作っているぐらいなのだから、あながち沙織の結構知られているという言葉にも信憑性が増してくる。

 試しに自分のスマホを取り出して作家名とか作品名とかで調べてみたら、サジェストに早々と出るぐらいには有名なようだ。


 自分がどれだけ無知蒙昧なのか、というよりそばで書いている姿を見ていたのになぜ見抜けなかったのか。普段なら沙織に正しく申し訳ない気持ちなんてわかないけど、この時ばかりは少しばかり申し訳なさが湧いて出てくる。


 まあ、本人はというとさっきの不貞腐れているような顔(私で遊んで笑うとき以外は表情変化が乏しいから判別はつかないけど)はいつも通りの顔へと戻っていた。

 すでにいつもと変わらず、ベット(私の物なのになぜかいつもの定位置がそこ)に寝転んでほんの虫となっている姿を見るに、なんだかあまり傷ついているわけではなさそうに見える。それにいつも私で遊んでおいてろくに謝りもしないし……


 そう考えると、なんだかこんなのに罪悪感を抱いているのがあほらしくなってくる。

 もしかしなくともさっきのあれも演技だったのか。演じてだますという点においては前科があるから普通にあり得る。

 というかそもそもなんで家主を床に座らせておいて沙織がベットに横になっているのか。それにさっきの水の件も————


 閑話休題

 かぶりを振る。

 沙織の言動について、あの天邪鬼の行動に私が思考を巡らせたところで到底理解はできないのだから、と今まで通りの結論に落ち着く。


 考えても無駄といういつもの思考に戻してネットサーフィンを続ける。

 沙織が小説を出版している、しかも売れっ子作家だと知って、今まで知らなかった沙織の姿を知れたようで純粋に興味がわいた。

 なので今までの言動が少しイライラするものであるという、中の人の人柄の部分はとりあえず置いておいて、上り坂紗についてだけに集中することにした。


 適当に作品のレビューなんかを見ていると、沙織が言うように高評価をつけるものが多くあった。

 まだ既刊ではフレアはそこまで存在感のあるキャラクターではないらしく、評価する声のほとんどが助手のキャラクターを絶賛するものだったり、トリックの面白さを評価するものだった。


 多少のアンチが居つつもそれもおそらくは人気の裏返しなのだと思う。それだけ多くの人が注目している作家であることがうかがえた。

 それもそのはず新人賞以外にも賞をいくつも取っているようで、最初に流し見したホームページを確認すれば、金色に輝くバッチのようなものがいくつも貼られていた。


 ここまで来ると途端に沙織が、どこか遠い世界の住人のように思えてくる。

 でも、後ろをみれば相変わらず、ベッドに寝っ転がってるいるわけで……このギャップがなんだかおかしい。


「……なによ。私の顔に何かついてるの?」

 私がおかしくて思わず笑うと沙織が怪訝そうな顔をして聞いてくる。

「別に、沙織は沙織だなって安心しただけ」

「どういう意味よ?」

「別にー」

「はあー、人の顔を見て笑って安心して変な人ね」

「変人という点で沙織にだけは言われたくない」

「そうね」

 ほめていないのに沙織は得意げに笑う。


「いや、ほめてないし」

「ほめていなくても私は変な人と言われるのはうれしいの。燈火さんみたいに他人と違うことを恐れるような人とは違ってね」

 今度は反転してこっちが攻撃される。

 なんだろう、沙織は人をけなしてないと生きていけない生物なのだろうか。いつも最終的には私が被害を受けている気がする。


「沙織って人の痛いところつかないと生きていけない性格でもしてるの?」

「燈火さんが自分からやられに来てるのよ。やられたくなければ私に挑まないことね」

 寝っ転がりながら沙織は私を言いくるめる。

 悔しいけど引き下がる。多分このまま言い争ってもまた手のひらの上で踊らされるだけだ。そう思い話題を無理やりにでも変える。


「あ、そう言えばさ、沙織。なんでさっきの小説見せてきたの?詳しいことはわからないけど出版前の小説って見せちゃいけないんじゃないの?」

「なに?わざとらしく話を変えて」

「そんなことないし」

「図星じゃない。目が笑ってないわよ」

「もう、いいからいいから」

「はあー、まあいいわよ」

 そう言ってしおりを挟んで本を閉じる。

 そこから長い話を期待していた私だったけどその予想に反したものだった。


「その本世に出ないのよ。だからあなたに見せたの」

 少し逡巡の後沙織は短い理由を話した。

 それは端的に言えば、恐らく出版されないということなんだろうけど、そこは沙織らしく世に出ないなんて言いかえていた。

 そうして話終わったとばかりに再び本を読み始める沙織。


「いやいやまってよ、どういうこと?だってこんなに面白いのに」

「私が気に入らなかったの」

「そんな……」

「読者にはわからない作者の考えがあるのよ」

「でも、もったいないよ。今ならネットで公開するとか……」

「少し、黙って頂戴」

 赤い瞳が私をにらむ。


 静かな言葉が、また同じように静かな部屋にこだましたかのようだった。

 駅で見た時のような明らかに嫌悪や拒絶を含んだ瞳。

 興奮気味に問い詰めていた私は、頭から冷水をかけられたよう気持ちになった。

 唾をのむ。


「ごめん、少し言い過ぎた」

「いえ、燈火さんが謝るようなことではないわ」

 少し問い詰めすぎてしまったと思い、謝罪の言葉を述べると、意外にも沙織はそれを拒む。

「これは私の問題だから。それに私としてはあまり踏み込んでほしくないの」

 沙織が私をちらりと見やる。

「燈火さんならわかってもらえると思うのだけど?」

「……」


 自分の弱みを見せつつしっかり鎌をかけるのを忘れない。いかにも沙織らしい言葉だなと思った。

 要するに沙織は暗にこれ以上踏み込んでくるなと、ここが私たちの関係の上での境界線だと伝えてきていた。私のことを引き合いに出しながら。

 仕方がない、お互い自由にはするけれどある程度の境界線は引いている、それをわかっているからこそ、この共依存じみた関係が成立しているのであるから。


「わかった」

 ごめんと最後に付け加えそうになるのを抑えて、それだけ伝えて私は再び読書に戻る。

 置いてあった本を手に取り、ぱらぱらとページをめくってしおりのある場所を開く。

 わざとらしくページをめくって、頭に入ってこない文字の羅列を目で追っていく。

 踏み込むことをやめたのはいいものの、久しぶりに見た沙織からの、直接的な拒否を伴うあの瞳が、私の頭から離れない。


 沙織が語った理由は『自分が気に入らなかったから』だから出版することはできないと。けどそれを追求した時の沙織の反応は異常だったように思える。

 言いたくないのならいつもの沙織らしくのらりくらりとかわしていけばいいのに、あの瞳で私を見てきた。


 自分の問題と言っていたから、小説が気に入らないことに対するイライラを、ただ単にあの言葉に乗せただけなのか。もしくはほかの理由があるのか。

 少なくとも、ただ単にイライラしていたというのが理由ではない気がする。

 そんなことを考えていると沙織はパタンと本を閉じ、バックを手に取る。


「帰るの?」

「ええ、今日はなんだか集中できそうにないの」

 あなたのせいで、とは付け加えなかったのは沙織らしくない。

「そっか。送るよ」

「いえ、ここでいいわ」

 玄関先で沙織は、ここまでというように手のひらを向ける。


「わかった、じゃあまた」

「ええ、また連絡するわ」

 そういって沙織はエレベーターで階下へと降りていく。


 結局私は沙織がマンションを出た後も、廊下の手すりにつかまりながらその背中を追っていた。

 やがて沙織が一本目の交差点に差し掛かったところで雨が強まり始める。沙織を私に見せるのを拒むかのようだった。


 私のほうは沙織になんでも知られているのに、沙織は見せてくれない。沙織は人のことを知るのは楽しそうだけど、私が沙織のことを知るのは不快と思っているように感じる。やんわり私との間に壁を作っていて、そこにじわっと染み込んでいく雨のような寂しさを覚えていた。


 観覧車での出来事を経ても沙織の言う通りそのままで。変わったと思ったのに結局のところ変わっていないのだと、わかっていた事実を改めて感じた。


「もっと沙織を知りたい……」

 なんとなくそんな言葉をつぶやいていた。

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