第31話
燈火は私に話があるというと気まずそうに笑う。
私としては無理やりだけれど燈火とのいざこざは解決したことになっていて、だから話すことなんてないのではないかと思ったけれど。
「もう話は終わったのではないの?」
「ううん、まだ少し言いたいことがあるんだ」
「ならいつものカフェにでも行って話せば——」
「ここじゃないとダメ」
「何か理由があるのね」
「うん」
「……そこまで言うのならいいわよ」
「そっか、うん。ありがとう、じゃあ言うね」
くるりと回って私に背を向けると一つ息を吸う。
「私ね、わざと自殺してみたんだ」
は?
私の疑問府を無視してなおも燈火は言葉を続ける。
「どうしたら死にたいと思っている人を演じれるのかなーとか考えてみんなの前でも色々演技してみた。どう?だまされたでしょ」
「ちょっと待ってちょうだい。だましたって、冗談でしょう」
「うん、冗談」
燈火の答えにいぶかしむ。
「そんな顔しないでよ。ごめん、別にさっきの話も馬鹿にしてたってわけじゃないから。冗談って言っても半分冗談で半分ほんと。これはほんとにほんと。……わざとね自分を追い込んでみたんだ、自分を追い込んで自殺に追いやった。どうしても死にたかったから」
「でもあなたの言葉は全部嘘には見えなかった」
「だから嘘じゃないって、自分が死にたくなるような状況を作り上げたの。沙織と屋上で自殺する日に『香織たちがこのビルに来るように』に仕向けた。保健室に行ったときも香織たちには私を追ってこれないような言葉にした。演技はしてないよ。ただ、自分が死にたくなるような状況に誘導したの」
「なぜそんなことを」
「沙織を救いたくて」
死にたいのはほんとだけどね、と。
「何よ、それ。私は救われる必要なんてない、それよりも燈火さんのほうじゃない」
「うん、私は沙織に助けられたよ。憧れだって、大切だって思いは伝わっただから、今度は私の番」
一度瞳を閉じて、開かれる。
「沙織はさ、なんでそんなに苦しそうな顔してるの?」
いつかの薄っぺらい握手を交わした時の言葉を燈火は復唱していた。
苦しそう? 一体何の話だ。私は苦しんでなんかいない、自殺したのは燈火じゃないか。それに加害者の私が苦しむ理由なんてどこにもない。
「沙織さ、ずっと苦しそうだったよ。私の家で本を読んでる時も、私と一緒にいるときも、一緒に死ぬときもずっと苦しそうだった」
「だからそれは燈火さんを傷つけてしまったからで、その行為が苦しかったからで」
「それは違うよだってさ、沙織は私に出会う前から自殺してたんでしょ。沙織は出会った時から苦しそうだったよ」
笑顔だった。けれどその顔には少しの苦渋も見えて口を閉じる。
「沙織はさ、多分強い人なんだよ、本当は。私なんかよりもずっと強くて一人で生きていけるような人。だけどさ、そんな人が私一人のせいでそんな風になるまで傷つくわけなんてないんだよ。どう考えても違う理由がそこにあると思う。……ねえ、教えてよ沙織、なんで今まで自殺してきたの?」
「いやよ、教えたくない」
子供じみた癇癪のように私は叫んでしまう。これじゃあ認めているみたいなものじゃないか。
「そもそも私はそもそも苦しんでなんかいないもの。毎日小説を書いて時々ストレス発散のために自殺して、ただそれだけ」
「それは、それは嘘だよ。だって沙織今泣いてる」
そんなわけ……。そう言いかけた私のほほに一筋何かが伝っていくのを感じた。
自分は泣いているのか? そんな疑問を私は素直に抱く。今は泣く場面などではない、それにこれじゃあ燈火が言った事を肯定してしまっているみたいじゃないか。
それはどうやったって取り繕えないもので私は黙るしかなかった。
「それに沙織が水族館でぶつけてくれた本音、あれは嘘には思えないよ! 苦しいって、どうしようもないことに苦しんでて息が詰まるって。あの時そう叫んでた」
「それは——」
否定したかった。それはあの時ふと出てしまった言葉で本音ではないのだと。今言った言葉が本音なんだと。けれどそんな嘘、彼女の叫びの前ではうすっぺらいものにしか聞こえない。
「ねえ、沙織は何をそんなに怖がってるの……」
「怖がってなんて」
燈火の腕が私のほうに伸びてくる。このまま流されてしまいそうな安心できる燈火の手。私はそれをこばむように思わずはたいていた。
やめて、そんな顔をしないで。そんな憐れむみたいなそんな顔。
「とにかく私は苦しんでも怖がってもいないから。もうこれ以上あなたと話をする必要はないわ」
今日の燈火と話しているとペースを乱される。こんなの私じゃない。
「じゃあさ、最後に一つだけ聞くね?」
私は無視して入り口に向かう。
「沙織、今小説書いてて楽しい?」
思わず私は足を止めて振り返ってしまう。
何も思わないのなら振り返らずに進めばいいのに、思わず振り返ってしまった。振り返ってからハッとなって奥歯を噛む。
それはもはや肯定でしかなくて。
「やっぱりそうなんだ」
「あなたには関係ない。これは私の問題だから……わざわざ口出ししないで」
「怖いの? 本当のこと話すのが」
「怖いわけないじゃない、ただあなたには関係ないだけ」
「じゃあさ、これならどう?」
柑橘系の甘い香りがした。きれいな燈火らしい優しい香り。
燈火に後ろから抱きしめられていた。温かい人のぬくもりを感じる、このままだらだらと流されてしまいそうだった。
「どう? 気持ちいでしょ、誰かに抱きしめられるのって。安心できてこのままでもいいやって気持ちにならない?」
「わからない……でも、無理よそんなの」
「大丈夫だよ、沙織のこと受け止めるから。沙織がしてくれたみたいにどんな沙織でも受け入れる。今の私にならそれができる」
口づけをされた。やわらかいピンク色の唇が私のものに触れる。
ほんの一瞬だった、燈火らしい少し恥じらいの混じる優しい口づけ。今までと変わらない行為のはずなのに、そんな些細なものに私は情動を揺さぶられる。
だからだろうか、私は思わず本音を口走ってしまっていた。
「なら、聞いて……」
燈火はいきなりこんなことを聞いて困惑しているだろうか? きっとそうに違いない、けれど彼女がいいといったんだ、関係ない。
「私ね、父親との契約で今刊行している小説を書ききるまでは嫁入りをしなくてもいいという話にしてもらっているの。それでもたまに契約している小説以外の小説を書いて時々叱られていたわ、それがこの前燈火さんに見られてしまったことの真相よ。でもこの契約は小説をそもそも書けないとなるとご破算よ。さっきも言ったでしょ、もう碌に小説が書けていないって」
「……」
「私もね最初は逃げようとしたのよ、けどどうしてもできないの。考えるだけで怖くて体が震えてしまう。将来の不安だとか、もし見つかった時のこととか。それにどうせ逃げてもいつかは見つかってしまうもの、私一人にできることなんてそれが限界なのよ」
私は卑怯だろうか、同情を誘って結局その同情など意味がないみたいなことを言って。でも仕方がないじゃないか、こんなちっぽけな高校生一人にできることなんてたかが知れてしまっている。世間というのはそういうものだ。
けれど燈火はそれを受け入れられないという様子で。
「……嘘つき」
そう弱弱しくつぶやく。
「沙織が怖がってるのはお父さんでも周りの誰かでも小説を駆けなくなることでもない、誰かに助けてっていう事でしょ!」
「ち、違う! それに私の周りに助けてくれる人なんていないじゃない」
「うんん、いるよ。目の前にいるじゃん。私に、なんで私に頼ってくれないの」
迫られて一歩後ずさる。燈火の思いはわかっても、私には受け入れることができない。
「……それは無理よ、あなたにだってこんな状況どうすることもできないじゃない」
「違うよ、違う、そうじゃない。問題解決のために頼ってほしいんじゃないんだよ。二人なら助けられなくても支えあえるじゃん、なんでそんなこともわかってくれないの⁉ 最後くらいちゃんと本心見せてよ、助けてって、一緒に居てほしいって言ってよ。私だって沙織の助けになりたいんだよ」
「無理、よ。だってもう」
もういろんな感情がぐちゃぐちゃだった。燈火の言葉に乗せられてしまいたい自分と、そんなことをしてもどうにもならないじゃないかという自分。そして、燈火を頼るのが怖いという自分。そんな感情が私の胸を渦巻いている。
「わからない、もうわからないのよ。もうこれ以上どうにもできないし、逃げることもできない」
「そんなの、そんなの私だって同じじゃん!」
その言葉を聞いて、そらしていた視線が燈火をとらえる。
「私だって、もう二年で死んじゃうんだよ。でも沙織がどの私も好きだって言ってくれたからもう少し先に進んでみようって思えたんだよ。沙織も、それじゃあダメなの……?」
それまでまくし立てていた私はやっと我に返った。
今までの私の行為は燈火が前にしていたことと同じじゃないか。どうしようもないことをどうしようもないと喚き散らして、もう無理なんだというために。けれど燈火ほど、どうしようもない現実を突きつけられている人はいないじゃないか。燈火と比べてしまえば私のなんとちっぽけなことか。
「……わ、たしはじゃあ、どうすればいいの」
「今まで通りでいいんだよ」
「でもそれじゃあ何も変わらないじゃない」
「ならこうする」
燈火の顔が迫る。
二度目の口づけだった。けれどさっきとは違う長いキス。
相手と自分の唾液を交換し合う友達じゃあいられなくなる思いの交換。お互いの乾いた口にわずかに残る水分をむさぼり渡しあった。
離れたお互いの唇に糸が張る。
「私たち恋人になるの、今まで以上に深い関係でお互いに依存しあって傷をなめあうの。そういう関係なら多少は沙織の怖さも中和できないかな」
魅惑的な言葉だった。自分の欲しいところだけをお互いに共有しあってさびしく傷をなめあう。恐らくそんな最も不健全な共依存関係を燈火は提案してきていた。
「それじゃあなんの解決にもならないわ……」
「いいんだよ解決しなくても」
「なら、燈火さんは死ぬのが怖くないの?」
「怖いよ、それにそれよりも今までの空っぽな私が怖かった。でもそれを肯定してくれる沙織と一緒に居られる幸せがあれば私は関係ない」
この感情は不健全だろうか。私は自分を必要としてくれている燈火に心底安心してしまっていた。家ではいつも腫物扱いで、誰も自分を必要としてくれなかったのに、燈火は私を必要としてくれている。そんな彼女と一緒に居たい、そう思っていた。
「わかっ、た」
私はぎこちなく燈火の服の裾をつかむ。
「では一生一緒に居てくれる?」
「うん、二年間だけだけど一生一緒に居る」
「私が婚姻させられそうになったらどうするの?」
「沙織が取られそうになったら震える手を握ってどこへ出だって連れていく。私の命が続く限り」
「……私って面倒くさい女ね」
「今更気が付いたの? 沙織は相当面倒くさいよ」
「言うわね……」
「でも、面倒くさくて、不器用で、きれいで、私が世界一幸せにしたいと思える人だよ」
じわりと温かいものが染み込んでくる。
そんな自分に少しイラっとする……けれど心地の良い苛立ちでもあった。自分じゃない自分を見ている気がして、燈火が居なかったらこんなこと一生経験できなかっただろう。
「なら、私も誓うわ。あなたを絶対に離さない。常に本当のあなたを見続けるし、常にあなたの隣にいるから」
「うん、ありがとう。うれしい」
少し涙の混じる笑みを向けてくれる。
その笑顔に思わず、私も涙がこぼれる。
私はそう、この笑顔に救われていたのだ。この笑顔を壊したくてけれど守りたくて、遠ざけたくて欲しくて。遠回りしてやっと受け入れられる気がした。
「ねえ、沙織。もう一回キスしてもいい?」
「……何よ、今日で三回目よ」
「沙織が乙女の純情をもてあそんだせいだよ。いい子ちゃんだった私をこんなにしたのは沙織なんだよ」
少し喜んでいる自分を感じて、思わず笑ってしまう。燈火と話していると自分の思考力が落ちているような気がする。
でもお互い同意の上だから仕方ない。
「え、あちょっ、まだ心の準備が……」
燈火に顔を寄せ、ピンク色の唇を乱暴に奪った。
逃げないように燈火の頭に右手を添えてがっつりと。
「ぷはぅっちょっま——」
離れようとする燈火の唇をあまがみする。反抗するように体をゆするけど逃がさない、燈火がいいといったのだ燈火の自由は私のものだ。
しばらくして観念したように力を抜くのを見計らって口の中に舌を滑らせる。したと下とを絡め合わせて唾液と唾液を混ぜ合わせる。
ファーストキスでは味わえなかった燈火の味を確かめるように吸い続けた。
燈火の口の中すべてを味わうように、歯の一本一本を味わうように。
「っはぁ……燈火さんの死ぬ前に飲みたい飲み物はメロンソーダだったのね」
「……あんな激しいキスをした後に言うセリフがそれ? 確かに飲んだけど……」
燈火は納得いっていない様子で私を横目でにらんでいた。それなのに耳の先が赤くなっていて少し興奮する。恥ずかしがっている燈火を見るのは気分がいい。
「もしかしなくともさ、ファーストキス奪われたの根に持ってたりする?」
「そんなことはないわよ、ただ気に食わなかっただけよ」
助けようと思っていた相手に逆に助けられるのはどうしても私のプライドが許せない。私は少し悪女なくらいがちょうどいい。
「沙織らしいね。じゃあさ……家、来る? 沙織の仕返しの続きみたいな……」
「……燈火さんが良ければ」
「沙織、耳赤くなってる」
「うるさいわね」
「ごめんごめん。じゃあいこっか」
「ええ」
私が左手を差し出すと燈火は嬉しそうにつかむ。握られた手を私もまた強く握り返していた。
二人で手をつなぎながらふと考える。今日の出来事を経ても私たちの状況は何も変わっていない、燈火の寿命は延びることはないし、私はまだ未来に希望など存在していないと思っている。これは恐らく何をどうしようと変えられないのだろう。
けれど隣に思い人で憧れがいる。それだけで私は今息をしていられている。
「ありがとう、燈火」
小さくつぶやいた言葉は二人だけの夜空に溶けていった。
自殺少女と死にたがり少女は息をする。 モコモコcafe @mokomoko_cafe
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