第30話
眼下にはたくさんの車と人が行き交っている。一日を終えた人たちが仕事を終えて学校を終えていそいそと帰路につく。みんなの日常、当たり前の日々の一ページ。私はそのうえで鼻歌を歌いながら、自分でものんきだなーなんて思いながら座っていた。
上をみあげれば星が輝いていて……ああ、きれいだ、そんな安直な感想しか出てこない。
ここでは私のどうでもいい感情はあまり意味がないのかもしれない、真にいうべきなのはほかに合って、今日この屋上に自殺をしにきたこととか。
理由はいたって単純明快で、死にたいから。そしてとある女の子との賭けのようなもののためだったりする。……うん、賭けには勝ったみたいだった。後ろから扉の開く音とともに息を切らした女の子の声が聞こえてくる。
ずるいとわかっていてもどうしたってうれしいと思ってしまうう。本当に相変わらず私はひどい人間だ。そんなことを思いながら期待のこもった瞳で振り返る。
「来たんだね沙織」
「ええ、来たわよ」
「ご足労おかけしました」
「ええほんと」
「にしてもここがよくわかったね」
「あなたの行く場所なんてどのみち二択見たいなものじゃない」
「まあ言われてみると確かに」
多分二択っていうのは駅かここかってことだと思う。
「それにあれだけ大々的に放送されていればわかるわよ」
「お、何? 私、朝を飾る有名人になってたりするの?」
「ええ、数日後には悲しい過去を持つ女子高生というレッテルの元、色々なところでメディアが生き生きしてたわよ」
「ふーんそっか」
「嫌ではないの?」
「どうして?」
「どうしてってあることない事色々憶測されて、そんなの気色悪いじゃない」
「沙織は気色悪いと思ったの?」
「……知らない」
顔を歪めて私から目をそらす。
「そっか、まあいいんだけど。色々憶測されたところで私がこれから死ねばの話だよね、じゃああんまり興味ないかな」
「でもこれから死ねば確実にそんなことをされるわよ、死者を辱めるみたいな」
「まあいいんじゃない、自殺の代償としては軽いもんだと思うよ」
「そう……」
覇気のない言葉だ、沙織らしくない。
「あ、今更だけど沙織がここにいるってことは無事に未来の私は死ねるってことなんだよね?あれ? でも沙織からしたら過去なわけでどうなんだろう……ねえ、沙織はどう思う?」
そう聞くと沙織は目に見えていやそうな顔をして。
「知らないわよそんなこと」
「えー前に沙織言ってたじゃん世界線が分岐しないとか何とか、そういうの詳しいんじゃないの?本書いてるんだし」
「よく覚えているわねそんなこと」
「それだけは沙織に言われたくないかな、私以上に何でもかんでも覚えてるくせに。それにさそんなことって言ってほしくはないかな、私にとっては沙織と初めて会った日のことだし」
「初めてでは……いえ、なんでもない」
沙織は何か言おうとして口を噤む。
「……燈火さん、自殺をやめる気はないの?」
「直球だね」
「前置きなんて必要ないでしょう」
「確かにそうかも」
ずかずかと人の心に無遠慮に入ってくる沙織を思い出して、相変わらずだと思って笑てしまう。
「でも、嫌いだって言ってたくせに今更どうしたの」
「ええ、今も嫌いよ」
いつも言われている言葉だけど、なんだかいつも以上に胸に刺さる。
「……けれどそれなのに私はあなたに死んでほしくない」
泣きそうなほど沙織は顔をゆがめる。
唐突に言われた言葉に動揺する。行動ではわかっていたけれど改めて口にされると来るものがある。
「嫌いなんでしょ? なんで」
「ええ嫌いよ。けれどあなたを死なせない、私が死なせたくないから」
「嫌いなのに死んでほしくないとか意味わかんないよ……それに何で沙織が私の生き死にに口出ししてるの? これは私の命だよ」
今までさんざん、お互いにそういう死ぬとか死なないとか、そういうことをどうでもいいかのようにしてたくせに。自分たちの抱えているものを抜きにして接していてそれがよかったのに。
「じゃあ教えて頂戴、燈火さん。なぜあなたは死んだの?」
「私が死にたかったから」
「そんなことを聞いてるのではないことは、あなたもわかっているのでしょう」
「じゃあ教えない、今の沙織には絶対に。だから沙織は私が自殺をやめる気にさせてよ、そしたら教える」
今の安全な場所から私を救おうとしている沙織に教えたくない。
強欲なことを言っている自覚はある、わがままで子供じみているとは思う。けど、これだけは譲れない。これがダメならそこでもうおしまい……。でもなんとなく沙織は私のことを救ってくれるのではないか、そんな気はしていて。
ああ、ほんと私はずるい人間だ。
わかった、沙織はそう言うと口を開く。
「私、小説を書いているの」
「この前見せてくれたやつ?」
「いえ、それではないわ、今まで出してきた作品でもない。私がただ単純に書きたいように書くだけの自己満足のような作品があるの。そこに出てくるキャラクターがあなたにそっくりでね。その子ね本当にあなたにそっくりなの。周りのみんなに優しくて気配りもできる、いつも笑顔で明るくて、誰にでも分け隔てなく接する、まあ悪く言えば八方美人な人ね」
「それって沙織が嫌いな人だよね、私と同じように」
「ええそうね、嫌いよ。自分のことなんかほおっておいて、他人のことばかりにかまけて、お人好しで優しくて、けれどその実弱くて……私の————」
「憧れの人」
今まで沙織からは聞いたことのない私に対する言葉だった。憧れているだなんていままで一言も。
「それって小説の子がってことだよね」
「違うわ。あなたのことを言っているの」
はぐらかすことは許されないらしい。
「意味分かんないし。何?沙織ってば小説の中の子と私を重ねてるわけ?」
「そうよ」
「何それ、私からしたらだから何って感じなんだけど」
「そうね、そう思われても仕方がないわね。けど、私は言葉通り自分の小説の子とあなたの姿を重ねて憧れた。あなたが覚えているかはわからないけれど、去年の学級委員長決めの時がきっかけなのよ」
沙織の言葉は一年前の、つまり私がまだ病気にかかっているとわからなかった時だ。まだ、壊れ始める前の私に憧れた沙織。
「その時はまだ病気が分かってなくてお母さんも生きていたから」
ああしまったと、言ってしまってから気が付く。
「そう、やっぱりあなた病気のこと気にしていたのね。自分では病気と自殺は関係ない何て言っていたくせに」
「そ、れは違くて」
「違うというのなら今の話は嘘なの?」
「ッ!嘘、じゃない、けどッ!……だって、だって沙織があまりにも毅然としてるから。少しでも沙織みたいに強くなりたくてッ……。——もう、私には沙織しかいなかったんだよ……けど全然沙織に近づけなくて、沙織の本心を引き出せなくて。もう、そうなったら自分の命を引き換えにするしかないじゃん!それで死ぬなとかひどすぎるよ……」
そう叫ぶと、沙織は自分事のように苦しそうな顔をする。やめて、そんな顔をさせたくて言ったんじゃない。
「私はね、燈火さん……あなたのことが好きなのよ」
「ッ!何をいまさら」
「それはわかっているわ、本当にごめんなさい。でもこれは私の本心なの、嫌いで仕方ないけれど私はあなたに死んでほしくない」
いつもの自分勝手な言葉だった。
「私はあなたの仮面をつけた姿に憧れた、蓮島さんたちと同じように。けれど駅でのことがあったあの日、私は本当のあなたを知ったうえで好きになった」
「やめて聞きたくない」
私の言葉を無視して沙織は続ける。
「なのに、私は不器用だから、ほんと自分でも嫌になるほどに不器用で、あなたを好きだと憧れの存在だと認めることができなかった。多分今もそうなのだと思う。そのせいで燈火さんを傷つけてしまった」
「それはもういいから、私がいなくなれば済む話でしょう」
「それは、違う!本当にそれは……本当に不器用ねあなたも……。私も不器用だからこんなことしかできないけれど——」
腕をつかまれる、壊れ物を扱うみたいに優しく私を誘うように引き寄せる。そして屋上の端から私を引き離すと……沙織に抱擁された。
突然のことに体をこわばらせる。
「もう……私を一人にしないで頂戴……」
耳元で弱々しく、そんな声が聞こえていた。
そんな言葉ずるいじゃないか。今まで私がさんざんほしかった沙織の弱さを見せて、それで頼ってほしい何て……
「そんなの……そんなのずるいよ」
「私がずるいのはいつものことじゃない」
涙声だった。
「そうだけど……でも、沙織は私より強いでしょ。私なんていらない、一人でも生きていける」
沙織が苦笑する気配を感じた。
「燈火さんは知らないでしょうから教えてあげる。私、もう燈火さんなしじゃ小説すら書けないのよ」
「嘘でしょ」
「嘘ではないわ、この前見せた小説も威張って面白いのは当たり前なんていったけれど、本当は納得していなかったのよ。それに最近は全く書けていない、今書いたならあなたでも笑ってしまうほど支離滅裂な文章になってしまうの」
「……だとしても私には関係ないし」
「まだ拗ねているの?」
「拗ねてない。それに私あと二年で死ぬんだよ? 夢もやりたいこともないし、だったらもう生きている意味なくないじゃん……」
「ではこうするのはどうかしら?あなたは私のためだけに生きるの、私のためだけにそこにいて私の憧れとして私の近くにいる、ただそれだけ」
「何それ、ただの生き地獄じゃん」
「じゃあなぜそんなに笑っているの」
「知らない」
沙織の胸に顔をうずめる。
「そう、まあいいわよ。心配しなくとも私はずっとあなたを見ていてあげる、あなたが無理やり仮面をつけて接しようとしても絶対にこじ開けてまたこうして抱いてあげる。だから、一緒にいて頂戴……私にはあなたが必要なの、あなたのすべてが」
「ほんと自分勝手だよ……それ……」
もう、本当に自分勝手だ。今までさんざん嫌いだとか言ってきたくせに、今更好きだとか憧れてるだとか。そのうえで自分のためだけに生きてほしいだとか。ほんと……相変わらずだ。
でも、そんな自分勝手な沙織に救われている自分もいて……ああ、もうなんかどうでもよくなってきた。死にたいだとか将来だとか病気だとか……
全身から力が抜けてしまっていて、小さいころ母親に抱かれていた時のような安心感に似ている。
「そっか、わかったよ……」
もういいか、ここらへんで。もう私はもう十分救われた。
「沙織少し話しがあるんだけどいい?」
やんわり沙織から離れると私はそんなことを言った。
離れてから沙織を見て、どうしようもないほど愛おしくて、離れがたい気持ちがわいてくる。それを感じながら本当に私は沙織のことが好きなんだなと改めてかみしめた。
沙織は私のことを好きだと言ってくれた、仮面をかぶった私もかぶっていない私も、そのどれでもない私も好きでいてくれている。
私にとっての呪いも含めてこの子は好きでいてくれるのだから、私がすることは一つしかない。
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