第20話
「可愛い……」
目の前の大きな水槽に駆け寄った私は、体を器用に体をくねらせて泳ぐベルーガを見てつぶやいた。
つぶらな瞳と大きく肥大化した頭が何とも見ていて癒される。口をパクパクさせてるし泳ぎ方とかきれいだし、口から泡の輪っかを作った時には周りのオーディエンスたちと同じように「おぉ……」なんて感嘆を上げてしまっていた。うん、なんだかよくわからないけど癒される。
そして自由に泳ぎ回るそれを見て、私もあんな風に泳げたらなーなんて、今まで何人の人が思ったかわからないくらいにはありきたりなことを思っていた。
「ねえねえ、沙織。あんな風に————」
「泳げたら気持ちいいだろうなとか言わないでしょうね?」
「何、言ったらだめ?」
「別にダメではないけれど……ほら見てみなさいな」
そういって沙織はベルーガの水槽に群がる人の群れを顎で指す。
「あんな風に毎日毎日人間が代わる代わる部屋を覗きに来るのよ。それにあの水槽……あの動物には少し手狭すぎはしないかしら?」
と、沙織は的外れというか、一般的に「うわーこいつなんか言ってるよ……」みたいに言われることをさも本当に思っているかのようにいう。たまにいる面倒くさい奴である。まあ、確かに私が仮にあのベルーガになったとしたらそれはそれで嫌だけど。裸だし……。
「沙織ってよく夢がないって言われない?」
「燈火さんもよく夢がなさそうと、主に私に思われていそうね」
「その心は?」
「ふっ、わざわざ言わないでもわかるでしょう。仮面をかぶりまくったせいで死にたいなんて言ってる人間に夢なんてあるわけないじゃない」
どこがおもしろいんだか、この腹黒偏屈女子高校生は私を鼻で笑った。
「さすが沙織、ブラックジョークがお上手で」
「ジョークではないわよ?」
「……あっそ」
「まあいいわ、こんな人が多くて暑苦しいところとっとと退散しましょう」
「どこか行きたいところでもあるの?」
「ええ、だから水族館がいいなんて私らしくもない事言ったんじゃない」
「えぇ……それ自分で言う?」
「ダメなの?」
「別にいいけどさ、沙織がそういう感じなのはいつものことだし」
そういう感じとは、主に人と変にずれていることを言っている。
「それでどこ行き———」
と、私が言い終わらぬうちに突然沙織が手をつないでくる。
驚いて沙織の顔を見るけど私のほうなど何も気にしていなくて、どうせ遊びの一環なんだろうと自分の中で納得して何にも思っていないのを装う。他意はないと願いたい。
何がともあれ私は 沙織に手を引かれていた。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、波に流されるように引っ張られていた。
私が「なんで手つなぐの?」なんて指摘したらはぐれないようにするためとか言ってくるのだと思う。
「タカアシガニ食べたらおいしいらしいわよ」
「水族館でそういうのってタブーなんじゃないの……」
「でも大きいカニよ、おいしそうじゃない」
「まあ確かに」
「ねえねえ、沙織これ見て!このタツノオトシゴ二匹でしっぽからませてるんだけど!かわいいー」
「自然界なら二匹ともそのまま波に流されて魚の餌行きね」
「……」
そんな風に手をつながれたまま、沙織節を聞きながらそれなりに見て回った後、沙織が突然立ち止まる。前振りなくそんなことをするもんだから、私は沙織の肩に鼻をぶつけた。
「ちょっと、急に止まらないでよ」
「そうね、次からは……もう少しゆっくり急に止まるわ」
「ゆっくり急にって何それ……まあいいや。で、どうしたの」
「ええ、少しね」
手は握られたままだった。
沙織に引かれるままに近くにあった椅子に座ると、沙織は片手で器用にパンフレットを開く。沙織が右側を私が左側を持つようにして開かれる。そしてまじまじと二人で広げられたパンフレットを見る。
なんだこれ?と素直に思ってしまった。
いやまあ、普通の友達なのだとしたら問題ない行為なんだけど、なんか沙織とやると変な違和感を抱いてしまう。
それで肝心の沙織がわざわざ止まってパンフを開いた理由はというと、イルカのショーの時間を確認したかったらしい。
「燈火さん少し早いけれどお昼にするというのはどうかしら?イルカショーがおこなわれるプールの近くで、屋台なんかがあるそうなのだけど、今からご飯を食べればちょうどイルカショーの時間になると思うのよ」
「いいんじゃない?私も歩き回って疲れた……あーいやなんでもない。うん、おなかすいてる、行こ」
沙織 はいぶかしむような顔をしたけど追及はしてこなかった。
そんなわけで少し予定が変わって、沙織の行きたいところより先に私の行きたいところ兼お昼ご飯と相成った。
移動途中にもあった水槽をふらふらと眺めたりしながら中央のプールへ向かう。屋台の前で何を食べようかなと迷いながら(沙織は速攻決めていてさすがだなーなんて感想を抱いた)席をどうしようか迷いながら。
イルカショーの席の場所取りも兼た昼休憩なので、いいところに席を陣取りたかった。が、これに関しては、沙織が迷うことなく前から十列目くらいの、少し左にずれたところに座っていたから悩む必要はなかった。私はそれに習うだけだった。
私が買って戻った時には沙織の昼ご飯は半分ほどまで減ってしまっていて、私は結構長い間悩んでいたらしい。
沙織が買ったのはアメリカンドックとみたらし団子、和洋折衷。私のほうはタコ焼きを買った。
あと、いつの間にか右手はフリーになっていた。なんとなく開いたり閉じたりしてみる。移動中はすっと握られていたから少しさびしさを覚えた。
二人とも食べ終わりショーが始まるまでの間、沙織はメモ帳片手に何やらメモをしていた。毎度のことながら勤勉だな、なんて横目に見ながら思う。
沙織は気が付くといつも本を読んでいるか、メモ帳にシャーペンで走り書きをしている。
小説のメモ的なものなんだろうけど私にはよくわからない。沙織が並々ならぬ思いを小説に抱いていることを知って入るけど、私にとって小説はただの趣味程度でしかなくてそれがなければ死ぬという沙織の言葉はいまだに理解ができない。
そんな沙織を見ていると、自然に先週のことだったり今日のことだったりを思い出す。
沙織の姿ばかりに目がいっていたけど、あの時沙織は自分の小説を破られて泣いていた。その前から泣いていたしほかにも理由があるんだろうけど、たぶん小説関連だ。
私にはその理由はミリほどもわからない。ただわかるのは沙織が苦しんでいるのを隠しているという事実だけ。
なんとなく自分がそれを沙織に聞けるか考えてみる。多分聞けはするだろうけど沙織は答えてくれないだろう、今までの沙織を思い返すとずっとそうだった。
初めて会ったとき、事故で死に戻りした直後も何が起こったか説明を嫌がったし、私が沙織のことを聞くといつもはぶらかされている。なぜだろうとは考えたこともある、でも考えなくても当たり前。私が友達に本当の私を知られたくないのと同じように、沙織は私に本当の自分を知られたくないのだ。
沙織にとって私は、その程度の関係でしかないということだった。私が友達とは本音で話せない関係性でしかないのと同じように、沙織にとって私はいまだその程度でしかない。
どうやったら私は沙織の『特別』になれるだろうか。考える。
考えて考えて思い至った答えは結局今まで通りわからないだった。私は沙織ほどうまくはできない。
けどもどうしても答えを見つけたくてぼーっとしながら考える。そのうち答えのようなものを思いつくけど、それを遮るようにショーが始まるアナウンスが聞こえてきた。
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