私は燈火さんが嫌いなはずだ
第21話
イルカショーを見終わった後、私たちは沙織の行きたいと言っていた場所へ向かっていた。
「結局沙織の行きたい場所ってどこなの?」
「いいからついてくればいいのよ」
そんなことを言われながらついていくといつの間にかあたりが暗くなっていて。
「深海魚って趣味悪くない?」
「ひどい言い草ね」
「ひどいこと言ってる自覚はあるけどさ」
「人も来ないし暗くて静かで落ち着くのよ」
「んまあたしかに」
くらい室内に響くのは機械の駆動音と水がピタピタと滴る音だけで確かに落ち着く。けどうーんどうなんだろう、女子高生が深海魚好きって。
「別に深海魚か好きなわけではないのだけど」
「何にも言ってないし」
「反応に現れているのよ」
そんなにわかりやすいかな、香織たちには嘘はばれないのに。
「それより、ここいいでしょう」
沙織は椅子に座って目の前の水槽を見上げる。
ここの水槽には、目がキラキラしてる魚だったり体が発光してる魚だったり。でっかいダンゴムシみたいのだったり深海魚が入れられていた。
まあ確かに雰囲気はいいかもしれない、どことなく座っていると落ち着くし。
「私ね時々ここにきて一日中ノートにアイディアだったりを書き連ねるのが好きなの」
「アイディアが沸きやすいとか?」
「いえそういうのではなくて、何ならここよりも喫茶店のほうが集中できるけれど、ここは落ち着くのよ。だから嫌なこととかがあった時はよく一人でここに来るの」
「そっか」
いやなこととは、朝の出来事のことだろうか。
その後しばらく二人でぼーっと水槽をながめていた。こうしてぼーっとしているだけでも沙織の言う通り確かに落ち着く。まるで海の底にいるようでこのままこうしているとまどろみに沈んでいきそうだ。
ふと隣を見ると沙織はまたメモをしていた。
「なんかいいアイディアでも浮かんだ?」
「わからないわね。こういうのって書いて形にしてみないといいかどうか判断がつかないものだから」
「そっか」
沙織を見て思い出されるのは泣いていた沙織、私の知らない沙織。
どんな情動で今書いているのだろう。何か嫌なことがあってあれだけ泣いていたのだと思う。なのに、私と駅で会ってからはずっと何もないようにふるまっている。
私の仮面とは違う。自分があるからこそのそれを隠すための仮面。そして沙織はそのあるはずの仮面の下を見せてはくれない、絶対に。
それをはがすためにはどうしたらいいだろうかとずっと考えていた。どうすれば沙織に近づけるのか。結局出た答えは。
「沙織、少し話したいことがあるんだけどいい?」
「いいわよ、話したければ勝手に話してなさい。聞くかどうかはわからないけれど」
「いや聞くよ沙織なら」
「……」
沙織は私のほうを一瞥もせずに書き続ける。
それを見て少し寂しく思いながらも、深呼吸をしてから口にする。
「私、あと二年で死ぬんだよね」
今まで誰にも話したことのない話。沙織はどんな反応をするだろうかそんな期待を込めた視線を送る。沙織と目が合った。揺れる瞳、たぶん動揺しているんだろう沙織。けどそれをごまかすように
「……そう」
と、いつも通りにつぶやくだけだった。
ああ、失敗してしまったかもしれない。そう思いながらも私は独白を続ける。
「一応言っておくと二年っていうのは寿命のことね。その……遺伝子の組み合わせが原因の病気で、心臓があんまり強くないんだって。お母さんも同じ病気で去年の九月に死んじゃって。で、その病気が分かったのがお母さんが死ぬ少し前、まあその時は結構悩んだよね。あ、わかってるとは思うけど自殺したいのはそれが原因じゃないよ、まったくもって」
息を吐く。
「だからさ、それで……私は話したよ。私の隠してること、だからさ、沙織も教えて……沙織が隠してること。沙織がなんで自殺するのかを」
無言だった、モーターの音と水の音しか聞こえない。
視線を送っても沙織の横顔しか見ることはかなわない。
わかってはいる、沙織は絶対に答えないそんな予感はあった、けど私は待った。一時間でも二時間でも待つつもりだった、私は今日ここで聞き出すと決めていたから、ここで聞き出さなければもう沙織とは関係を続けられない気がしたから。けど答えは意外とすぐに、そしてあっさりとしたものだった。
「だから何?」
一言だけだった。
「だからって……この話私からすると結構勇気がいる話だったんだけど、沙織自分のこと何にも話してくれないし私にはこうやってある分の秘密を話していくしかなくて……」
自分がない、特別なものを持っていないから、自分の持っている手札の中から大切なものを交換条件のように出していくしか思いつかなくて。
「なのにそれだけ?少しぐらいなんかないの」
「それって私が話す必要はあるのかしら?つまりあなたが言いたいことはこうよね『私がやったんだからあなたもやって』って。それで私のことを脅しでもしてるつもり?私を脅すなら…………いえ、なんでもないわ。とにかく話すつもりはないから」
そういうと沙織はもう終わったとばかりに視線を下にもどす。自然と爪が手に深く食い込む。
自分が信頼していた何かに裏切られたような心持だった。自分の秘密を話せば沙織は心を開いてくれると、自分の身を切れば沙織もきっとそれに応じてくれると信じたかった。
これは自分勝手なエゴだ、勝手に信頼して勝手に傷ついて、何ならはなから自分たちはただの協力関係、だから踏み込んではいけないとわかってはいるけど、私はすがるように口にした。
「今日沙織泣いてたよね。あれ何で」
次は沙織の番だと踏み込んだ。
沙織は私のほうを見ない、意外さや驚きは感じられず、やっぱり私が見てしまったのはばれてしまっているようだった。
「沙織の泣いてるとこなんて初めて見た、やっぱりそれ、小説関連だよね。ひょっとしなくとも沙織の自殺ってそれが理由だったりするの?」
言葉を切って。
「沙織はまだ死にたいと思ってるんだよね……」
ややあって。
「そう、知っていたのね、それ」
「知ってるというかなんとなく、沙織からそんな感じがしたから」
それを聞いて深く目をつぶる沙織。何かを言い出す事前準備のように小さく息を吐く。
「じあ……で」
「え?」
「じゃあ、なんであなたは私と一緒にいたのッ」
苦しそうな顔だった、こぶしを握り締めて私をにらむ。
「あなたは、死にたくても死ねない人の気持ちがわかる?」
「そ、れは……」
「あなたは思い立てば今すぐにでも死ねるのに、のこのこ私についてきて……考えたこともなかったでしょう、私のことなんて。自分に都合がいいから居心地がいいから、何も言わなくてもわかってもらえるから。あなたは私と一緒にいるのを共依存関係とでも思っているんでしょう。ええ、私もそんなものだとは思うこともあるわよ。けれどね、あなたが私に向けるそれはただの……」
『ただの依存よ』
考えたこともあった。
沙織は今でも死にたいんじゃないのかというのは今まで幾度もなく考えていて、そのたび死に戻りは沙織にとってどれほどの影響をもたらしているんだろうと。けど、沙織はいつでも隠していて、苦しんでいる姿なんて見せなくて、だから思ってしまっていた。『沙織は私とは違って死にたくなるほどの苦しみにだって耐えられる人なんじゃないか』って。けど……
沙織は私を糾弾しながら……泣いていた。
結局私は勝手に期待して依存して、私からも何かをあげている気になっていただけ。
「……もういいわよね?」
沙織はそういうと静かに立ち上がる。
今日はもう帰るから。そう言い残すと足音が遠ざかっていく。
その音を他人事のように聞きながら、おなかのあたりに空いてしまった黒い何かを抑えるように腹を抑える。そうしていないと口からあふれ出てきそうで、それなら抑えるべきは口のはずなのにどうしてもおなかを押さえてしまった。
しばらくそうしていると、ぽこぽこという水の音が聞こえてくる。その水の音は上に登って行って、苦しくて。ああ、息ができなくなっているんだと少しして気が付いた。
でもこの息苦しさは自分が感じているというよりも、沙織に共感してしまったからのように感じる。なぜって私は今心臓が痛くない、自分の体が悲鳴を上げていなかった。
沙織の息苦しそうな涙、今日見た二つの涙はどこか息苦しそうで、沙織の言う通りどこかに閉じ込められているようで見ていて私も呼吸ができなくなって……ああ、なんとなくわかった気がする。
多分沙織から見たベルーガは沙織自身なんだ、自由に泳げて周りがうらやむほどきれいで美しくて孤高で、だけどその実孤独で窮屈な世界。自分を守るので必死で虚勢のようなもので自分を演じて、私はそれに今まで気がつかないようにしていた。
沙織にはきれいでいてほしかったから。私の憧れでいてほしかったから、私が持っていないものを持ってるきれいなものでいてほしかったから。いつまでも光り輝く私の星、本物であってほしかった。
けれどそれが私のせいで、私がそれを強要してしまったせいで……いや違う。多分、私のせいでそうなってしまったと思い込む傲慢さまで含めて私は沙織に依存していた、沙織の中の何かになっているそう思っていたくて。沙織の中の一つになりたくて、だから今まで沙織を知りたかった。
沙織は私がいなくても最初からこの世界をとっくに見限っていて、沙織が泣いていたのは私が原因ですらない。最初から分かっていたくせに。沙織は自分と同じだと感じていたくせにそれから目をそらして孤高の王女様を強要して……。
それを自覚した今だって、こんなことをやめて沙織に依存するのをやめようという答えを出して四月以降の生活に戻るだけなのに。
「なんで私が泣いてんのっ」
私はどこまでも強欲で傲慢だった。
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