私たちはそれでも死にたくて生きていたい

第28話

 雨が降っていた 。

 小さな雨粒がピタピタと窓のサッシに落ちては消えていく。窓際の席なのをいいことにそれを目で追いながらひじをつく。


「ぴたっぴたっ……ぴとっぴとっ……」

 雨音を擬音化してなんとなくつぶやいてみる。かわいらしい響きだな、なんてどうでもいいことを考える。

 そしてそんな言葉が大きな声に聞こえてしまいそうなくらいには教室が静かだった。


 燈火が死んでからすでに二日が経っているけれど、教室の空気はずっとこんな感じだった。

 当たり前の話ではある、クラスの屋台骨を失い、果てはその親友である副委員長があれからずっと学校を休んでいる。

 雨のせいというのもあるとは思うけれど、それを抜きにしてもクラスの空気は淀んでいた。支えを失ってしまったように不安が蔓延している。そして……


「よく学校来れるよね」

 私を遠巻きに見ながらそんな声も聞こえてくる。蓮島さんと言い争う中で、彼女は私のせいで燈火が最近おかしいと言っていた、その数日後にその燈火の自殺だ。私が疑われる……というよりも確信している人のほうが多いのだろう。

 燈火との関係がばれてしまえばこうなることは想定していたし、露骨ないじめがないだけましなのかもしれない。


 爪でコツコツと机にあててリズムをとって鼻歌を歌ってみる。

 燈火が死んで私の中で変わったことは何一つなかった。ただ単にクラスメイトが一人死んでしまったという情報が頭の中にあるだけでなんの感慨もわかない。

 燈火は小説のアイディア探しに使っていただけのただの知人で、私には死のうが生きていようが知ったことではない。


 だから一昨日から自分の頭を支配している焦燥感や喪失感は小説を読めないことに対するただのイライラでしかない。そう、どうでもいいんだ。私は燈火なんてどうでもいい……

 本当に最近はさんざんだ、本も読めないし果てや小説も書けなくなった、そして燈火も……いや、だから燈火は関係ない。

 顔をうつぶせに視界を隠す。そのまますべて隠してほしい、私の視界からすべてをなくしてほしい。そんなことを考えているうちに、頭を暗闇が覆って私はまどろみの中に沈んだ。



 窓の外を眺めていた。

 教師が何事かを話す声が聞こえる。

 ひじをつきながらふと、なぜこんなことをしているのだろうと思ったけれど、すぐにそんな考えは消えてしまっていた。何か違和感を覚えつつも再び外を眺める。

 散った桜の花の一枚がひらひらと私の机の上に着地する。その花びらを取ろうと手を伸ばすけれど、それをここまで運んだ風にまた吹かれてどこかへ行ってしまった。

 そんなことをしながらぼーっとしていると突然教師が私の名を呼ぶ。

 なにかと思えばいつの間にかクラスのかかり決めをやっていたらしい。


「登坂さん、学級委員長をやっていただけますか?」

 一年生の最初の委員長決めで、誰も手を挙げなかったから学年主席の私が指名されたようだ、となぜだかわかった。

「ええまあ、誰もやりたい方がいないのでしたらいいですけれど」

「そうですか、ありがとうございます」

 ああ、確かこの教師は私の出を知っているのだったか。それなら成績に関係なく私を選ぶか。

 そんなことを思いながら小さくため息を吐くと誰かが声を上げる。


「先生!」

 私も周りの皆と同じように声の主を見る。

 誰だろう、知らないはずなのに既視感があるような。

「はい、なんでしょう芹沢さん」

「学級委員長の件ですが私がやりたいです」

「え、ですが今まさに決まったところで……」

「だったら登坂さんはどう?私に譲ってくれない?」


 自分に声がかかると思っていなくてワンテンポ反応が遅れる。

「え、まあやりたいのならいいけれど、急にどうしたの。さっきあなた手を挙げていなかったじゃない」

「いや、少しぼーっとしてて……。本当は昨日から学級委員長に立候補しようと考えててみたいな?……どう、かな。ゆずってくれない?」

「いいけれど理由を教えてもらっても?」

「え、私がやりたいからだけど」

 そう言って芹沢さんは視線をずらす。嘘をついている証拠だ。

 それを追求しようと口を開くとちょうど授業の終わりを告げるチャイムがなってしまう。教師ももう決まったものだろうと芹沢さんにお願いしたいと思いますと言って全員に是非を問うが、もちろん異議を唱える人はいなかった。誰もが芹沢さんが委員長になるのが当たり前と思っているように。

 芹沢さんはその後教室を出て行って私もその後を追った。


「芹沢さん」

「登坂さんどうかした?あ、もしかしてやっぱり学級委員長やりたかったとか?」

「いえそのことではなくて。その、あなたさっき嘘をついていたわよね」

「そ、そんなことないと思うけど」

「認める気はないのね」

「いやぁ、なんのことやら」

 また視線を逸らした。さっきと同じでよく見ていないとわからない程度に。嘘を隠すのに慣れている。


「まあいいわ、では理由を教えてもらえるかしら?」

「理由聞いて面白いかなぁ」

「理由も言わないのね」

「うんん、理由ならいいよ。けど単純だよ、ただ単にあの場での最適解が選択が私が学級委員になることだったから」

 私は、その言葉を口にする人をもう一人知っている。自己満足のあの小説に出てくるあのこだ。それにこの状況……


「芹沢さん、悪いのだけれど私の頬を叩いてくれる?」

「え……」

「いいから叩いてちょうだい」

「怒らないでね」

「早く」

 恐る恐る芹沢さんは私の頬を叩く。


「やっぱり痛くない」

 これは夢だ。今更ながらに思い出した。現実の私は教室の机で突っ伏しているはずだ。

「芹沢さん、私が死にたいと言ったらどうする?」

「止めるよ、話を聞いてどうするか考える」

「お人好しね」

「そうかな普通だと思うけど」

 そんな返答に私は笑う。

 過去にした質問と同じ受け答えだった。小説のあの子と同じような、私の嫌いな人の言葉。


 なぜ忘れていたのだろうか、こんな重要な出来事を。

 私はこの日の出来事で彼女を知りたいと思った。

 その笑顔とやさしさと時には頭がいいくせに馬鹿を演じて、気持ちの悪いくらいに周りの幸せと平穏を願う。そんな姿がまるで自分の本の中から出てきたとすら思える。


 ……ああ、そうだ。私は燈火に憧れていたんだ。嫌い嫌いだといいつつその実その嫌いな姿に憧れていて。

 今やっとわかった気がする。どうして燈火が自殺を一緒にするたびに嫌な感じがしたのか。どうして燈火に嫌味なことをしてしまうのか、どうして嫌い嫌いと言いつつ嫌いになり切れなかったのか、どうして燈火が傷つくとこんなにも胸がむかむかとするのか、どうしてもう死んでしまった人間のことばかり考えていたのか。


 どうして燈火が自殺するところを見てから小説を書けなくなくなってしまったのか。


 私は理由を探していたんだ、燈火を助ける理由。自分が嫌いな人間を助ける合理的な理由を。私は身勝手で、だから本心をどうしてもさらけ出せなくて。けれどそれをやめる理由なんて最初から、出会う前から存在していた。

「登坂さんどうかした?ぼーっとして」

「いえ、大丈夫よ。もう済んだことだから。それじゃあ」

「そっか、頑張ってね」

「ええ」


 私は走った、クラスの全員の視線が集まるのを感じた。いつの間にか夢の世界ではなくなっていた。燈火はもういなかった。

 けれどそんなことはどうでもいい、死に戻ってしまえばこの芹沢燈火がいない灰色の世界とはおさらばできるのだから。

 走った、死に物狂いで。


 まだ時間はある、死に戻りで戻れる最長はきっちり三日分、あと一日ぐらい時間はある。そんなことはわかっていた、けれど私は走らずにはいられなかった。いち早くこの燈火のいない非現実的な未来、今しがた知覚した地獄を抜け出したかった。

 階段を多少踏み外しながら登り切って、重い鉄ドアをあけ放つ。そこにはさっきまで覆っていた雲はなく、青空の下私は屋上から飛び降りた。


 初めて自分のためではない、誰かのためにした自殺は、何とも言えない高揚感の元意識が途切れた。

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