第5話

「マンデリンを一つとこのサンドウィッチを一つください」

「私はメロンソーダとサンドイッチ同じのを一つで」

「かしこまりました」

 私たちの注文を聞いた若いウェイトレスは、きれいな所作でその場で礼をすると、コツコツと足音を立てて厨房の奥へと消えていく。


 それを見届けた後、視線を店内に向ける。店内にはアンティーク物のランプがそこら中につるされているのが目に付く。

 ここのマスターが少しずつ海外から取り寄せたものだと前に聞いたことがある。どれも一品もので、自慢のコレクションなのだと静かに落ち着いた様子で語っていた。


 そんなマスターだがコーヒーにも抜け目はなく、先ほど頼んだマンデリンも少々値が張る物だった。勿論味も申し分なく、わざわざこの店を今日は選んできたほどだ。


 そして食事のほうも例にもれず少しばかり高いわけなのだが。

「ねえ、本当におごってくれるんだよね?登坂さんにおごってあげるなんて言われたら何を要求されるかわからなくて怖いんだけど」

 対面に座る芹沢さんが耳打ちするように聞いてくる。私のことを何だと思っているのか。


「さすがに一度言ったことをはぐかすようなことはしないわ。私のわがままに付き合ってもらっているのだからそれぐらいのことはするわよ」

「とか言いつつ先週説明するとか言ってたくせに、私が言わなかったらそのままになってた気がするんだけど」

「そうだったかしら?覚えてないわね」

 芹沢さんの口からため息が一つこぼれる。


 彼女は相変わらず声を荒げて怒ることはしない。普通ここまで自分勝手な言動を続けていれば不満の一つや二つぶつけるだろうに本気でやめてほしいとは言ってこない。

 ただ穏便に解決しようとしているのが見え透いてわかる。

 いつもの学校で見せる芹沢さんだ。


 水を飲み、何でもないようにただふと湧いて出たように装って質問する。

「なぜ私のことを非難しないの?我ながらずいぶん身勝手な言動をしている自覚があるのだけど」

 すると意外にも芹沢さんは表情をゆがめる。


「何それ、嫌がらせ?」

「ある意味で嫌がらせかもしれないわね、八方美人なあなたの本音を見てみたいの」

「うるさい」

 珍しく目に見えて不機嫌そうに応じる。


 冷たい時間が流れる。

 溶けかけの氷がコップの中でカランと音を立てた。

 その間を分かつようにメロンソーダとコーヒーが置かれる。芹沢さんは取り繕うようにお礼の言葉を言うと、ストローをいじりながらちびちびと飲み始めた。


 結局彼女は隠している。

 私がどれだけけしかけても芹沢さんはそれに応じることなく、いつものように本心をかくして、それに何かほかにも隠しているように見える。


 本音を見てみたい、彼女の中身を知りたい。

 幸せそうな彼女が自殺する理由は何なのか、本当の彼女は何なのか知りたい。

 仲良くなりたいというわけではないけれど、私といるときだけ漏れ出る本心の片鱗をすべてさらけ出させてみたい。


 腕を伸ばして芹沢さんのほほに触れる。

 突然のことに驚いたのか、彼女のエメラルドのようにきれいな水色の瞳が揺れる。

 近くで見た彼女の瞳は心が落ち着いていくような美しさで、それを見つめる私は彼女の動揺とは反対に冷静だった。


「あなたはなぜ周りに隠し事をするの?」

「……どういう意味?」

「自分の本音というか本当の姿を隠しているように見えるのよ」

「……知らない」

 芹沢さんはぶっきらぼうに逃げの言葉を口にする。


 芹沢さんの唇を親指でなぞる。

「わかってるくせに」

「もう意味わかんないこと言わないで」

 逃げるように手を払うと彼女の顔が離れていく。

 いつもの張り付けたような、場を取り持つための笑みを浮かべる。


 これならいっそもう彼女と一緒に居る理由は無いのかもしれない。

 私が彼女に近づいたのは面白そうだから、彼女の本音を知ってなぜ優等生が自殺するに至ったのか知りたかったから。だけど芹沢さんはどれだけやっても優等生を演じ続けている。

 芹沢さんからは私の欲しい答えは聞けない。


「もういいわ」

「……えっ」

 立ち上がる私を捨てられそうな子犬みたいな目で見つめてくる。


「帰るってことよ。自殺もなし、今後一切あなたにはかかわらないし話もしないから。あなたは付き合わされただけなのだから問題はないでしょう?」

「なんで」

「だって事実でしょう。あなたは私に頼まれて付き合ってい……」

「違う!」

 話していると芹沢さんは前のめりに否定した。

 眉を顰める。


「先週のことを考えているのはお門違いよ。私がやめると言ったのだしあなたが約束を守る理由は無いわ。それに……」

 それにと続けようとして考える。


 私は芹沢さんのことが嫌いだ、これは間違いなくそう。一年の時に同じクラスになってその時から嫌いだった。それは今でも変わっていない。

 けれどそれと同じくらい彼女が自殺するのが気に食わなかった。だからあの時見せつけるように自殺して見せた。

 死に戻りしてしまったらその事実はなくなってしまうけれど、自分の死を見せつけて何か起こるのではないかと期待して。その時は我ながら能動的に動きすぎたとは思っている。


 けれどそんなあいまいな、支離滅裂な言葉を口にできるはずもなく。

「いえ、何でもないわ」

 ごまかすように締めくくった。


 一度席に座るとすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み、酸味を舌のうえで転がす。

 私は酸味の少なめのコーヒーが好きだから、アイスコーヒーはめったに飲まない。こんなあいまいな味を含むよりただ苦い方が好きだから。


 芹沢さんは私から目を背けるように、目の前のメロンソーダに刺さるストローを指でいじっている。

 氷が緑に溶けていく。


 ややあって芹沢さんが口を開く。

「私さ、死にたいんだよ」


 芹沢さんは少し微笑むような顔をして、声を震わせていた。

「でも私、怖がりだから実際それを目の前にすると怖くて、きっと登坂さんみたいに死に戻りの力で死なないってわかっていても怖い」

 視線をメロンソーダに向けたまま自称気味に笑う。


「正直にいえば先週登坂さんと会ったときに死に戻りっていうのを知って、これしかないと思った。何回も死んでいけば、いつか感覚がマヒして本当に死ねるかもって思って。だから一緒に死のうっていう提案にも乗ったんだよ。利用しようとしたのは怒ってくれて構わない、だけど……だから……」

 芹沢さんは一瞬目をつぶると顔を上げ私を見る。


「私のために私と一緒に死んでもらえませんか?」


 自分の心臓の音が大きく聞こえた気がした。

 それは彼女が少しだけ見せた本音の部分なのだろう。

 普段周りに当たり前のように笑みを振りまき、つらいことなんて何もないと言いたげな様子で過ごす彼女の本音。


 それは傍から見たらおかしな言葉に聞こえるかもしれない。一緒に死んでほしいなんて普通は言わない、それにこんなにひどい言葉。普通の人なら間違いなくそんな言葉は受け入れず「死ぬのなんてやめよう」なんて薄っぺらい言葉を並べるのかもしれない。


 けれど一度死のうとした、いえ死んだ私たちは普通の人の価値観とは、すでに変わってしまっているのだと思う。だからそれをおかしいとは思わない。

 ごまかさずにいえば芹沢さんのその言葉に私は心を打たれた。


「先週から思っていたのだけどやっぱりあなた時々変ね」

「真剣なんだけど」

「別にばかにしているわけではないわ、ただ変だと思っただけ」


 熱くなったり冷めたり、明るくふるまうくせに少しばかりの哀愁を漂わせたり。

 やっぱり芹沢さんは面白い。やっぱり彼女で間違ってなかった。


「まあそうね、じゃあ私の条件をのむなら一緒に死んであげる」

 私はしたたかだ。そして臆病でわがままだ。

 彼女を選んだのだって、自殺をしようとしてできない人に私の能力を話したら乗ると思ったからだ。もちろん最初からすんなり行くとは思っていなかった。


 けれど話しているうちに彼女なら絶対に誘いに乗ってくれる、そんな予感がした。

 こんな私だから、条件付きでしか興味の対象に近づくことができないのかもしれない。


「あなたのこと今日から燈火さんと呼ぶから、あなたも沙織と呼んで頂戴、それが条件よ」

「え?」

 芹沢さんは間抜けな声を上げると私を見つめる。

「え、じゃないわよ。いいの?悪いの?どっち」

「良い、お願い」

「そう」

 話もひと段落したと思いカップに口をつけるが、芹沢さんは煮え切らない様子だった。


「登坂さんはそれでいいの?」

「名前」

「え?」

 ついさっき了承したことを芹沢さんは忘れているらしい。意味が分からないというようにあほ面をさらしている。


「私のことは苗字ではなく名前で呼んでといったでしょ」

「あ、そうだったごめん。なんか今更名前の言い方変えるとか変だなと思って、一応私たちかかわりはないとはいえ去年もクラスは同じだったわけだし」

「まあいいじゃない。どうせ教室では今までもこれからも話さないのだし」

「なんですぐそういうこと言うかな」

「性格よ、あなたも思い知ったでしょう?」

「そうだね」

 芹沢さんは苦笑する。


 その後届けられたサンドウィッチを食べ終え店を出た私たちはビルの屋上へと移動し、いつの間にか晴れた青空を横目に飛び降りた。

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