第4話

「来るわけないわね……」

 分かった、という相手の返信から何もやり取りがされていないトーク画面を見つめながらつぶやく。


 先週の月曜日に芹沢さんと連絡先を交換して早数日、『明日九時に駅前のビルに来て』そのメッセージだけを送り今に至る。

 正直来るとは思っていない、先週の私の態度は大変に悪かったと自覚している。学校で変な噂が立ってないだけましだ。


 あの態度で接してきたなら、尾ひれでもつけて悪い噂を流そうとしていてもおかしくはない。彼女にはそれができる立場と確立された信頼がある。するつもりもないが私が弁明したところで彼女の言葉を信じる生徒が多いと思う。それだけ私と彼女では立場が違う。


 どこまでうまく立ち回ろうが私はただの一般生徒、そんな私のためにカーストが上の彼女が『一緒に死んでくれ』なんて言う訳の分からない願いをかなえる必要性がない。

 最悪私と一緒に居るのを見られて変な噂を流されるリスクすらある。私はそれでもかまわないが彼女にとっては文字通り学校での生死にかかわるだろう。


 季節外れの雪がちらつく薄暗い空に、白い息を吐く。

「行くか……」

 来るはずのない人を待つよりも、歩みを進めて本屋にいくなりカフェでまったりとコーヒーを飲んでいたほうがまだましだ。


 そんなことを考えながら歩いていると、どこからか私の声を呼ぶ声が聞こえた気がした。どうせ自分のことではないと無視して進もうとして。

「ちょっと、無視しないで、って」

 腕を引かれる。振り返ると息も絶え絶えに立っている芹沢さんがいた。


 多分芹沢さんはお人好しだ。

 先週も訳の分からない人間に言われるがままついていって、今日も同じく訳な分からない人間の短い言葉でここにきている。さすがにこんな人間にまで見せることはないと思っていた性格の良さは、学校でのイメージと同じだった。要するに表裏が無いということだ。


「まだ時間まで十五分あるじゃん、なんで行こうとするの」

 芹沢さんが広場の時計を指さす。

「来ないと思ったからよ」

「意味わかんないし」

「まあ間に合ったのならいいじゃない」

「それはそうだけど」

「そう、じゃあ行きましょう」

「え、あ、ちょっと」

 私はあいさつも早々にビルの中に入りエスカレーターに乗る。後ろの芹沢さんは少し不服そうにしながらも私の後を黙ってついてくる。


「なんで来ないと思ったの」

 芹沢さんが少し怒った様子で聞いてくる。

 彼女の服は私と違って長い時間吟味したであろう、年頃の女の子らしいかわいらしい服だった。芹沢さんはそれなりにモテるほうだし、クラスの男子が見たら顔を赤くしてちらちらと見てくることだろう。


「その服綺麗ね」

「ごまかさないで」

「ごまかしてないわよ。女性の服を綺麗だと思ったのなら素直にほめるのは礼儀でしょう」

「そうだけど、そうじゃなくて。……ありがとう、登坂さんも大人っぽくて素敵」

 不服そうに感謝の言葉を述べると、私の服も当たり前のようにほめ返してくる。

 彼女のこういうところが私は嫌いだ。


「そう」

「相変わらず冷たいね」

「別にお世辞にいちいち反応しないだけ」

「お世辞じゃないってば」

 芹沢さんは駆け上がるように私との開いた距離を詰める。


 近づく彼女からは柑橘系の香りがした。

 最近クラスの女子の間で話題に上がっている香水だろうか。話題の香水も柑橘系だった覚えがある。私はクラスの流行に関して疎いが、彼女はそういう細かいところも気にしているのだろう。

「先週の態度なら来ないと思ったからよ。なのに今日は時間通りに来た、あなたってだいぶお人好しよね」

「……あ、その話?そんなことはないと思うけど、約束したんだし約束は普通守るでしょ。ていうか先週のこと悪いと思ってたんだ」

「悪いとは思ってないわ、ただあの態度なら来ないだろうと思った、それだけよ」

「なんか言い訳がましくない?」

「そんなことより、ほらついたわよ」

 私は逃げるようにエスカレーターを降りると彼女の先を行く。


 着いた場所は本屋のあるフロアで、入った瞬間本屋独特の香りが私の鼻をくすぐる。

 本好きがこのにおいを好きという全体認識にもれず、この温かみのある匂いを気に入っている。

 このにおいをかぐと少し落ち着く。それに本を開いたときに香る新書のにおいとおなじで、嗅いだ瞬間本の世界へいざなってくれている気がしてとても好きだ。


 新刊が並べられている棚のほうまで歩いていくと手ごろな本を手に取る。

 アザミのリクエスト、そう書かれた本を読もうとすると小指をつままれる。

「ねえ、なんで本屋?」

「本を読みたいからよ」

「いやそういうのじゃなくて、あれするならさすがにこんな人目につく場所でするなんて私的には嫌なんだけど」

 先週とは違い芹沢さんは言葉を濁し、耳打ちするように問うてくる。


 先週は声を荒げて叫ぶし結構大胆なことをするもんだと思っていたけれど、実際のところは周りに配慮できる人らしい。いや、当たり前か。そんな空気の読めない人がカースト上位にいるわけがない。


「伝えるのを忘れていたわ。今日は本屋に寄ってから行くの。飛び降りた後に本は買えても選ぶ気分にはなれないでしょう?」

「確かに。で、やっぱ屋上なんだ」

「飛び降りが一番楽なのよ」

「そっか」

 そうつぶやくと後顧の憂いが晴れたからか、芹沢さんは近くの本を取るとパラパラと読み始める。その後も私の隣で適当にとった本をパラパラとめくっては興味を失ったように元の位置に戻す。そんなことをずっとしていた。


「それじゃあ私はあっちのほうを見てくるから」

「あ、待って」

 私について来ようとする芹沢さんに怪訝な顔を向ける。向けられた芹沢さんはビクッと肩を震わせた。


 先週から感じていたことなのだけど、私が芹沢さんの目を見ると彼女はビクッと少し肩を揺らす。それと、特段避けられているというわけではないのだろうけど、教室での様子も先週から少しだけおかしいような気がする。


「ダメ?」

 びくついてたくせに、何ともないような顔をして聞いてくる。

「好きにすれば?」

 それを聞いた芹沢さんは意外そうな顔をすると、笑顔を浮かべパタパタと小走りで私の後を追う。きょろきょろとあたりを見回すその姿も相まって、親の後をついていくひな鳥のようだった。


 しばらく二人で並んで本を読む。パラパラと不規則に二つの音が鳴る。

 私が移動するたびにぴったり隣をついてくるもんだから、少しうっとおしくはあったけれど、特段問題もないのでそのまま本を選ぶ。


 横目で隣を見ると、彼女は女子高生を題材にした本を熱心に眺めていた。自分と境遇が似ている本が好きなのかもしれない。

 しかし、とっては戻しとっては戻しを繰り返しながら、気に入った様子で本を読んでいても少し読むと冷めたように戻していた。


「芹沢さんは本を読むの?あまりそんなイメージはないけれど」

「読むには読むけど簡単な本じゃないとすぐに飽きるから、こういう固い表紙の分厚い本とかは好きじゃないかも」


 芹沢さんが学校で本を読む姿を見たことが無いから、全く読まないものだと思っていたけれど、意外にも本は読むらしい。しかしあの言い方からするにハードカバーの本には少々抵抗があるのかもしれない。

 そう思い文庫のほうへと移動すると、やはり一冊当たりにかける時間が増えている気がした。ひときわ熱心に見ていた本を本棚に戻そうとするのを見て声をかけてみる。


「買わないの?」

「先週お金ないって言ったよね」

「わざと言ったの」

「じゃあなんで聞いたの」

「面白いから」

「……相変わらずだね」

 少し怒りながらも本気では怒っていない様子だった。

 本を戻す彼女は少し不満そうな表情をしていて、こんなことを言うと本人は相当に機嫌を悪くするだろうけど彼女のそういう顔を私は嫌いじゃない。


 芹沢さんは学校では普段ほとんど崩すことのない笑みを浮かべていて、私にはそれが気持ち悪い。好きでもないのに周りに合わせ続けている彼女を見ていると、だんだんとイライラしてくる。違和感を感じているはずなのに、自分は幸せですよと周りに証明しようとしているようでそれがたまらなく嫌だ。


 けれど私がからかう時に見せる怒った表情や困った表情、そういう彼女を見るときれいなものを汚しているような背徳的な気分がして嫌いじゃない。

 彼女をからかうのは気分がいい。私はそんな気持ちを隠すように本を読み進める。


 しばらく読みふけってふと時計を確認する。

「芹沢さんそろそろ昼ご飯を食べに行くわよ」

「え?もうそんな時間……て、ちょっと待って」

 私は本を戻すと本屋を後にした。

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