第11話 おでん屋の女将さん(Ⅰ)

 私は、佳穂理の返事を待って四か月になる。

佳穂理に返事の催促をしたくなかったが、電話ではなく手紙を書いていた。

電話では佳穂理も答えにくいと思ったのと、私も佳穂理の声を聴く事が辛いと思ったからだった。

しかし、その手紙にも佳穂理からの返事は無かった。


そして、寒い冬もようやく過ぎて、春の気配が感じられる頃になった。

私は相変わらず狭いアパートから職場へ通っていた。

年度末が近かったので仕事も忙しく、毎日残業になりアパートへ帰る時間も遅くなってしまう。

アパートへ帰っても何もする事がないのでむしろ私には有り難かった。


アパートへ帰り最初にする事は郵便物の確認である。

大抵はダイレクトメールか何も入っていない日が多かったが微かな期待で郵便受けを確認していた。

そんな日々が、佳穂理に託した返事を待つ日々が続いている。


そして、桜の季節も過ぎ、世の中はゴールデンウイークが始まった。

どこの観光地も人出でにぎわっている。

私は相変わらず暇な休日を過ごし連休明けの会社に出勤し、平常通りの仕事を始めた。

この時期は年度末も終わり割と業務量も少なかったので、私は定時で退社して今日も赤提灯の暖簾をくぐった。


このおでん屋にはアパートから近かった事もあり独り暮らしを始めてから時々立ち寄り、女将さんとは何でも話せる様になっていた。

何時の日だったか、私は寂しさの余りお酒を飲み過ぎ、つい泣き言を言った事があった。

好きな人がいて一緒になりたくて離婚した事。

そして、彼女の返事を待っている事・・・

女将さんは真剣に話を聞いてくれた。

そして言ったのである。


「そうなのだ。辛いね。でもね、もっと辛い思いをした人も居るのですよ。

私なんか死んだ亭主にしつこく言い寄られて、こんな人と一緒になったら大変な目に合うと思って、ずっと断り続けていたんだけどね、とうとう根負けしてしまって一緒になったんですよ。

人は見かけによらないと言うけれど本当にそうだと思いましたよ。

あの人はしょっちゅうここへ来て大酒を飲み大声を張り上げて他のお客さんに絡むし、とにかく酒癖が悪くて手を焼いたんですけどね。

皆からよく言われましたよ。よくあんな人と一緒になったわねと。

でもね、一緒になってみると解るんですよ。

あの人は寂しかったのですね。

私と一緒になってからは軽く晩酌をする程度で、夜遅く仕事から帰っても何時もこの店の裏で洗い物なんかを手伝ってくれてね。

大きな工事現場で働いていたのですけどね。

本当に働き者でしたよ。そんな事、私たちは見てないから解らなかったんですね。

本当に突然でした。

仕事中に倒れて病院に運ばれたんですが、もう意識が無かったのです。

私は急いで病院に駆けつけあの人の手を握って声を掛けました。

その時、微かに私の手を握り返してくれたように感じました。

それが最後でした。人間って悲しいですね。

側にいる時はその人の良さが見えずに不平不満を言ってしまうし、無くしてしまうと、あれもこれもしてやればよかった、あんな酷い事を言わなければよかった、なんて後悔ばかりしてしまう。

今でも裏へ回って洗い物をしに行くと、あの人が一生懸命お皿を洗っている後姿が目に浮かんで悲しくなるんですよ。

もう、無くしてしまってからではどんなに謝っても後悔しても元には戻らないのですよ。貴方もその好きな人を只待っているだけじゃなく、もっと積極的にぶつかってみなさいよ」


女将さんはそう言って私の肩を揺すってくれた。


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