第2話 初めてのキス
遠い回り道 【作者不詳】
この北陸地方にしては晴天の穏やかな日差しが射している。
今日は年末に近いある日曜日である。
近所の商店街からはにぎやかなクリスマスソングが聞こえている。
この時期に今日の様なお天気を小春日和と言うと今朝の天気予報で解説していた。
私は遅い朝食を済ませて炬燵に入り新聞を読んでいた。
表の通りからは若い女性の楽しそうな笑い声が聞こえている。
多分、女子高校生がクラブ活動か何かで自転車で通学の途中なのだろう。
佳穂理は流し台に向かって洗い物をしている。
佳穂理は私の高校時代の初恋の女である。彼女も私も共にバツイチだ。
私は今、五十歳。彼女は四十八歳になる。
誕生月は二人とも四月で、佳穂理は同学年で一番早く歳を取るとぼやいていた。
そんな佳穂理と一緒に暮らし始めて一年半になる。
三十年と云う歳月を経てようやく一緒になれたのだ。
何故、そうなったのか?それはチョットした言葉の行き違いからだった。
その事が分かったのは、佳穂理からの手紙の内容からだ。
佳穂理は私のほうを振り向いて悪戯っぽくクスッと笑った。
私は「何が可笑しんだ?」と言った時はもう流し台のほうを向いていた。
佳穂理は背中を向けたままで言った。
「あなた覚えている?高校の時、初めてキスをした時のこと」と言った。
いきなりお前は何を言い出すのかと私は少しうろたえてしまった。
勿論、私もあの時の事は今でも鮮明に覚えている。
チャイムが鳴って昼休みの時間である。私は高校三年で吹奏楽部と購買部に所属していた。昼休みの時間は購買部では昼食のパンなどを買う生徒たちで一番忙しい時間帯である。そんな時間が一段落すると自分たちの昼食の時間である。
売店の窓口の裏にある小部屋でそれぞれが昼食を摂った。
この購買部にも四月から新しい部員が入ってきた。
小柄で朗らかな明るい性格の女性だった。と言うよりもまだ少女だった。
奇麗な字を書く人だった。名前を笹森佳穂理と言った。
私はすぐに佳穂理を好きになった。いつも心の中から離れなくなってしまった。
私のどこにそんな勇気があったのだろうか。私は私の思いを手紙に書いていた。
今ではどういう内容だったのか全く覚えていないが、それは何のためらいもなく書いた。私は落ち着かない気持ちで返事を待った。
もう届いているだろうか、明日届くだろうか、もう読んでくれているだろうか。
手紙を出して三日が過ぎた。
今日も佳穂理は明るい表情で朝の挨拶をしてくれた。当然購買部の全員にである。
そして今日も昼の忙しい時間が過ぎ、昼休みが終わった。
私は教室へ戻ろうと購買部の部屋を出ようとした時、私の背中に「OKよ、大好き」と声がした。私は振り返った。そこには、はにかんだ笑顔で佳穂理が立っていた。
私はどう言ったら良いのか言葉がとっさに出てこなかった。
「ありがとう」「よろしく」・・とうとう何も声をかけずに教室へ戻ってしまった。
こうして佳穂理との交際が始まったのである。
私が高校を卒業するまでの一年間だったが楽しい思い出が一杯できた。佳穂理と出会えて本当に楽しい一年だった。
長い夏休みは終わり二学期が始まった。
購買部のレクリェーションで隣町の観光地である小島にローカル線に乗り遊びに行った。ブランコに乗ったり景色を見ながら散歩したり、いつも一緒に楽しい一日を過ごした。帰りのローカル線の座席も二人並んで座った。
向かいの座席には職員の女性が座っていた。
この時間も今日の楽しかったことなどを話し合ったが、しばらくすると佳穂理は疲れたのか私の肩に頭を預け眠り始めた。私はチョット戸惑ったが嬉しかった。
向かいの席の職員の女性は笑顔で私たちを見ていたがその笑顔は歪んでいた。
この小旅行での私たち二人の事で佳穂理は悲しい思いをしたことを私は後で知った。
どんな事なのか佳穂理に聞いてもただ目をそらすだけで話してくれなかったが、多分勉強に差し支えるから程々にと言うようなことだと思った。
1963年11月23日の早朝にアメリカのケネディ大統領が暗殺されたと大きく報道された。その日は土曜日で私たち三年生には最後の吹奏楽部の県大会が行われる日であった。会場は電車で一時間ほどの隣町の音楽堂だった。
私は佳穂理を誘い客席で演奏を聴いてもらった。
結果は残念ながら予選落ちで次の地方大会の出場資格が取れなかった。
行きの電車でも佳穂理は私たち部員の車両ではなく別の車両に乗っていた。帰りも別の車両だった。電車を降り改札口を出て私は佳穂理を探した。
佳穂理は待合室の丸い大きな柱の陰で私を待っていた。
「ごめん、待たせてしまったね。みんなが帰るのを待っていたんだ」
「そんなの解っているわよ。私は大丈夫よ」と言ってにっこり微笑んだ。
駅から佳穂理の家までは市内バスがあったが、私は歩いて帰ろうと言った。
佳穂理の家は学校の近くにあった。三十分位かかったが私は歩きたかった。
途中学校の吹奏楽部の部室に寄り今日の演奏会のことなどを話しながら楽しい時間を過ごした。話題も尽きて暫く沈黙があった。
佳穂理は部屋の真ん中にある柱に背を持たせ背中を向けている。
私は佳穂理の前に進み出て肩を両手で掴み「キスしよう」と言った。
声がかすれていた。
佳穂理は俯いたまま「そんなこと学生のする事と違う」と言って悲しそうに横を向いた。それでも私は腕に力を入れて「駄目か?」と言った。
佳穂理は私を見て目を閉じた。体が震えていた。
佳穂理の唇は柔らかかった。髪の甘い香りがした。
無我夢中だった。どれ位の時間だったのだろう。
佳穂理は私の腕を振り払い部室から小走りで駆け出して行った。
佳穂理に済まない事をしてしまった。
もうこれで佳穂理との交際も終わりになってしまうかもしれない。
私は不安な気持ちに襲われた。
月曜日になった。私は購買部で始業時間を待っていた。
佳穂理も購買部へ入ってきた。私は恐る恐る佳穂理を見た。目が合った。
佳穂理はにっこり笑い何時ものように明るい声で「おはよー」と言ってくれた。
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