第8話 花替え祭り
庭の掃除が一段落したので私は部屋に戻り自分でインスタントコーヒーを淹れて啜りながら縁側のソファーに腰を掛けた。
佳穂理は何処に行ったのか見当たらなかった。
小春日和の穏やかな太陽の日差しも弱くなってきた。
時計を見ると3時を少し過ぎていた。
今日の好天も今夜までらしい。
明日からは又、この地方特有の時雨模様になるのだろうか。
私は縁側の硝子戸を閉めながら外を見ると佳穂理は洗濯物を取り込んでいた。
穏やかな一日が終わろうとしているが、私はあの時の自責の念に駆られていた。
妻にも子供にも大変済まないと思っている。
しかし、どうしても佳穂理への思いを抑える事が出来なかった。
「もう限界だ。離婚しよう」と私は妻に告げた。
「そう、もうこれ以上は無理ね」と妻も言った。
私が転勤先から元の事務所に帰り一年ほどが過ぎた頃からいさかいが絶えなかった。
妻はいつも何かに苛立っているようで、少しの事で私と衝突する事が多くなった。
「あなた、何処かに好きな人がいるんじゃないの。私が気付かないとでも思ってた?」妻は鋭い視線で私を見ている。
「そうだ、好きな人がいる。一緒になりたいと思っている」
私はとうとう言ってしまった。
妻とは結婚前に暫く付き合っていたが、あの頃から性格が合わないと思っていた。
でも一緒に暮らしておれば情も沸くだろうし、愛情も沸いてくるだろうと思った。
自分では意識をしていなかったが、佳穂理の事が心のどこかにあったのだろうか。
佳穂理を忘れ様として結婚を決めたのだろうか。
「私も貴方と居るのが苦痛だった。それでもずっと我慢してたのよ。元々私達は性格が合わなかったのよ」
今になってこんな事を言っても仕方の無い事だが、これから先も妻と一緒に生活をする事を考えると不安のほうが大きかった。
ようやく暑い夏が過ぎ神宮の例大祭も終わり、朝夕が凌ぎ易くなった頃、私は全ての物を妻に渡して最小限の身の回りの物を持って、重い十字架を背負い一人家を出た。
しかし全てを妻に渡したと言っても妻も子供も捨ててしまった事は大きな罪を犯した事には変わりは無かった。
私は古い木造のアパートを探し、そこで暮らす事にした。
この頃は新しいマンションやアパートが建てられて古い木造のアパートを探す事は案外容易だった。一番有り難かったのは家賃が安い事だった。
アパート暮らしを始めて暫くした頃、佳穂理と連絡を取り、桜の名所でもある神社の公園で会う事にした。
この神社では春になると桜の花の盛りの頃に「花換え祭り」と言う行事が行われた。桜の小枝を目当ての人と交換し縁を結ぶと言うロマンチックな祭りである。
暫くすると、神社の境内に続く長い石段を息を切らせて登ってくる佳穂理の姿が見えた。約束の時間通りだった。
「久しぶりですけど、お元気でしたか?」
「ウン、何とかやっているよ」
「この頃、あまり店にも来てくれないので、どうしているのか気になっていました」
「マア、色々あったよ。店のほうはどうだね。順調みたいだね。昼も夜もと大変だろう?体は大丈夫なのか?その方が心配だよ」と、私が言うと
「もう、今の生活に慣れました。生きて行かなければなりませんからね」と言って
佳穂理は私を見てにっこり微笑んだ。
「娘さんの結婚式も無事に終わった様で良かったね」
「ええ、やっと一安心ですわ。でも寂しくなりました」
「そりゃそうだろう、大事に育ててきた一人娘なんだからね」
私は佳穂理の顔から視線を外し、遠くの景色を見ながら
「俺も一人になったよ」と、言った。
佳穂理は怪訝そうに私の顔を覗き込んで言った。
「一人になったって、どういう事?」
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