第20話 夕食の時

「佳穂理、俺たちも今のご夫婦のように歳をとりたいものだね」と私が言うと

「そうだね。きっとそうなるよ。何と言っても佳穂理が付いているもんね」と言って可愛い舌をぺろりと出した。

私は佳穂理の頭を優しく叩いた。


佳穂理はまだ腕を離さないので、私は少し恥ずかしかったがスーパーの店先まで

そのまま歩いて行った。


スーパーの店内は師走の日曜日なので随分と混雑している。

大抵の男は前を行く女の後にカートを押しながら着いて歩いていた。


多分夫婦だろう。私もそうして佳穂理の後をカートを押しながら着いて歩いている。

この大勢の二人連れはどのような人生を送ってきたのだろうか。


私は果たしてどうだったのだろうか?遠い回り道をしてしまった様だ。

私のように三十年を経てようやく幸せを手にしたカップルは果たして何人いるのだろうか。


その為に私は佳穂理にも前の妻や子供にも辛い思いをさせてしまった。


佳穂理は商品の品定めをしながら買い物をしている。


私達は、買い物から帰り、佳穂理は夕食の支度を始めている。


今夜は鍋料理らしい。「あなた、カセットコンロと土鍋出してくれる」

佳穂理に言われ私はカセットコンロをテーブルの上に出し土鍋を乗せた。

佳穂理は時々その仕草をチラッと見ている。


以前、私は手を滑らせ土鍋を落として壊した事があったから心配しているのだと思った。


大きな音がして佳穂理は悲鳴を上げた。

「あなた、大丈夫?」

「土鍋、壊してしまったよ」

「そんな事よりケガしなかった」

私は佳穂理が私のケガを心配してくれたのが嬉しかった。

その日は、鍋は出来ず有り合わせの物で食事をすることになってしまった。


佳穂理は材料を入れた大皿を持ってきて、手際よく鍋料理を作り始める。

鍋が煮立ってきたところで「もう良いわよ」と言って顎で鍋を指した。


佳穂理は全くお酒が飲めないので私は一人で鍋料理を肴にお酒を飲みながら、夕方の買い物途中で出会った老夫婦の事を思い出していた。


「佳穂理、夕方買い物の途中で出会った老夫婦の事だけど、どう思った?」


「どうって?そうだね。優しそうで、いい雰囲気していたね」


「俺はああいう時には普通ならもっと厳しい言い方で注意されると思うけど、本当に穏やかで優しく言ってくれたよね。だからそう言う言い方がどうして出来るのかなと思ったんだ」


「そう言えばそうだね。普通なら、ジャマだ、道開けろ、なんて言われかねないよね」


「あの夫婦にも大変苦労してきた人生を生きてきたんじゃないかと思った。そうでなかったら、他人にも優しくなれないだろ?」


「そう言えば、お寺のお坊さんなんか穏やかで優しい雰囲気しているもんね。何年も厳しい修行をするんでしょ。以前ね、菩提寺の総本山へ見学に行ったんだけど、そこのお坊さんは皆んな穏やかで優しい雰囲気してた。きっと厳しくて辛い修行中はあんな表情は出来ないよね。厳しい修行をして来たからこそあんな穏やかな表情が出来るんだろうね。あの時は何とも思わなかったけど今、気が付いたよ」


「佳穂理、そのお寺って菩提寺の大本山の事だろ?俺と一緒に行った事のあるお寺の事だろ?」


「アレッ、あなたと一緒に行ったんだったかな。何回も行ってるから、もう忘れてるわ」


「あの頃は、仕事をサボって一時間もかけて映画を観に行ったこともあるし、随分無茶してたよな」


「あの時は会社にバレないかと随分心配したよ。あなたが強引に誘うものだから仕方なしに行ったけど」と、昔の思い出話に話がそれてしまった。


「それでお坊さんの話や夕方出会ったご夫婦の話だけど、その人の生きてきた過程で人間は変わるんだね。あのご夫婦も大変苦労してきて今、ようやく落ち着いた穏やかな生活を送れるようになったんだろうね」

そんなしみじみとした会話をしながら、今日は本当に良い人に出会えたと思った。


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