第3話 喰われキスされ、救われ
「ひっ! ツ、ツタっ⁉」
足首にはツタがグルグルに巻きついていた。それが紫色で毒々しく、安全なもののようには見えない。ツタはピンと張り詰め、自分をどこかに引っ張ろうとしている。
「くそっ! なんだこれっ!」
力を入れて引っ張るがビクともせず、踏ん張っていた身体が引きずられていく。背中が地面にこすれ、たまに石が当たって痛い。ズルズルと勢いよく森の奥へ連れて行かれ、どこまで続くのかと思った時、行き着いた先には――。
「う、嘘だろ⁉」
ツタの持ち主は巨大な五枚の花びらを持ち、その中心に無数の牙が生えた魔物だった。たくさん生えたツタの一本が自分を捕らえていたのだ。
花の魔物は低くうめきながら口を開け、自分を喰らおうとしていた。足を引っ張るが魔物の力には抗えず、いとも簡単に空中に吊るされ、グラグラ揺らされ、もて遊ばれて――そしてツタがパッと離れたかと思えば、開かれた魔物の口へと落ちていく。
(こんなのって……!)
魔物に喰われて終わり。そんな終わり方だけは嫌だと思っていたのに、もうそれに向かってしまうなんて。
(こんなの、嫌だっ……頼む、誰か……)
幸いなのか、痛みはなかった。多分あの牙に噛まれないまま、魔物の口から体内に入ったのだろう。世界が真っ暗で身体全体が熱い。このまま、自分はこの魔物の消化液に溶かされて終わるのか。
(誰か……)
息ができず、意識が遠退く。戦う力のない自分ではどうしようもできない。こんなことになってしまったのを心の底から嘆く……くそ、くそっ……。
それでも自分は何かを望んでいた。
(なんでもいい……なんでもいいから――)
変化が起きてほしい……そう願った時だ。穴の中で地鳴りが鳴って反響するような、低い叫び声が聞こえた。こちらの身体をビクッとさせる声は苦痛に満ちていた。
それはきっとこの身体の主だ。地鳴りに加え、ブチブチとなんとも言い難い音が響く。それがものすごく不快だったが次第に視界が明るくなってきた。
(なっなんだ……!)
そして魔物の身体は瞬く間に裂けた。紙を破るみたいに一瞬で、何が起きたのか理解ができなかったが。魔物の体内から出た自分の身体は外に放り出され、地面に倒れた。
(う……な、何……)
半開きの目から周囲の様子を伺う。身体が横たわった状態から動かせないのは多分魔物の神経毒か。視界の端では魔物の緑色の血にまみれた動かなくなったツタと、地面に落ちた花びらが見える。
そして、そのそばに誰かが立っている。
「……人間?」
男の声がした。死にかけの自分や魔物が死んだ凄惨な状況を見ても興味がなさそうな抑揚のない口調だ。
「人間、死ぬのか?」
それは誰への問いなのか。なんにしても自分は返事もできない。動けないから、このままでは死ぬ。この妙な人物が助けでもしてくれない限りは。
(こんな森にいるなんて、きっと変わったやつだ……盗賊とか世捨て人。そんな人が僕なんかを助けてくれるわけはない……)
魔物の胃の中で死ぬことはなくなった代わりに、このまま動けない状態で餓死か、もしくは他の魔物に襲われるか。命は伸びたがまだ絶望的状況だ。
(眠いや、もう)
もう、あきらめた。つらいことが続くなら、もう終わりでいい。
そう思い、静かに息を吐いた時だった。
身体が動いた――いや動かされた。力の入らない、この身体がいとも簡単に持ち上げられる。首も目も動かせないが視界に捉えられるのは横抱きで自分を抱える男の上半身と腕だけだ。
男は黒いタキシードのような上等そうな服を着ていた。袖や裾は白い装飾が施され、森にいる人物としては似合わない気品を感じる。
顔は……この位置からは残念だが見えない。
しかし、うっすら見える首元や指先を見る限り、若々しい肌をしている。
(だ、誰なんだ……レジャス国の追手?)
そうならばこんな丁重に運ぶだろうか。わからないが男は重くなさそうな軽い足取りで森の中を進み、やがてかすかな水音がする場所にたどりついた。水の匂いもすることから、泉というところか。暗い森の中にあるにしては嫌な匂いではなく、鼻をスゥッと通る新鮮な空気を感じられる。
男は自分を抱えたまま、水の中にバシャバシャと入っていく。濡れるのにためらいなどないようだ。どんどん進み、抱えられた状態で背中が水に濡れてきた。
(ここは――うぐっ⁉)
水で魔物の体液を流してくれようとでもしたのか、それとも沈めたかったのか。
わからないまま自分は全身を水に沈められた。頭も入ってしまってるので呼吸が急にできなくなり、頭がパニックだ。
(あ、あ、苦し……)
何もできない、呼吸もできない。何もできないなんてつらい、どうにかしたいけど、あぁ、もういいから……。
「……あ、人間は息ができないのか」
水の中だけど、男の声がぼんやり聞こえた気がした。すると身体が水から引き上げられる。男は頭と上半身を支えてくれ、息ができるようにしてくれた。
「はっ、はっ――」
必死で息をするが水をもろに飲んだので苦しくて、まともな息ができない。
もういい、これ以上死ぬか生きるかの怖さに翻弄されるくらいなら、もう終わらせてしまいたい。この男がなんなのかわからないが遊んでないで、さっさと終わらせてほしい。
「……息、できないのか?」
水に沈められたせいだよ、と思いつつも。もうどうでもよくなっている。
「魔物の血、口に入ったからな。身体の内部組織も腐っていく」
怖い情報だ。じゃあ喰われた時点で助け出されても終わりってことだったのか。もういい、もういいから。
「いくぞ」
本当にもう終わりでいいと願った瞬間、男の顔が間近に見えた。
そこにいたのは毛先がはねた銀髪の青年だ。一瞬見えた瞳は血のように赤かった。肌は白くて整った顔立ちだ。
(え……?)
唇に違和感があった、まだ動かせないけど感覚はわかる。自分の唇に男の唇が重なっていた。
(うぐ――⁉)
少し開きっぱなしで重なった唇。男がスッと息を吸うと、のどの奥に潜んでいたものが逆流し、口の中に苦い味が広がって吐きそうになった。
男はそれを自らの口に含むと唇を離し、外に吐き出した。
「……まずい」
男の感想は、やっぱりまずいらしい。今吐き出したのはきっと魔物の血だ。
男は手で泉の水をすくうと少しだけ自分の口の中に入れてくれた。水は冷たくてまずくない、飲んでも大丈夫なそうな水だ。
いつの間にか口の中はさっぱりしていた。
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