無感情王子に振り回される
第6話 睡眠不足は嫌なので
魔物の森での一夜が明けた。予期せぬ最強のボディーガードが現れたような感じで、彼――シグリッドのそばには本当に魔物が近寄って来なかった。さすが魔王の息子だ。
でもいつ気が変わって彼に命を奪われるか、わからない。急にその時が来ると思うと、心底安心というわけにはいかなかったが、なんとか生きていけるかもという可能性に少しは希望を見出だせた。
これからしばらくはこの森で生活していくのが一番安全だろう。シグリッドのそばにいて、彼が満足するリンゴや他の果物をあげて……。
「いだだだっ」
泉のそばで立ち上がって腰を伸ばす。腰がとてつもなく痛い。岩場で寝転がって一夜を過ごすシグリッドのそばで、自分は岩を背に寝ていたからだ。安眠はできないし、身体が初日にして、すでに限界だ。
(これじゃあ心身ともに三日ももたない……せめて睡眠はちゃんと取りたいな)
しかし森にベッドなどあるはずはなく。シグリッドに『ベッドみたいなものないかな』と聞いたら『ベッドってなんだ』状態だった。この魔物の王子さまは人間ではない。当然生活は人間離れしている。ベッドで寝なくても平気だし、自分が興味がないものには心底興味がないらしく、リンゴを食べたら、あとはずっと眠っていた。
そして今朝は『出かける』と行ってどこかに行ってしまったが、この泉の周辺は安全らしく、魔物の気配は今のところない。気が浄化されているからな、と彼は言っていた。
(この辺は安全が確保できるのはありがたい。水浴びもできるし、食べ物はとりあえずリンゴがある……となると、あとは寝床だけ)
周囲を見渡すがやわらかくて快適そうな場所はない。下は水や草で湿り気があるし、岩はもうこりごりだ。木の上は……落ちる。
(そうだ、木を二本使えばハンモックはできるかも)
ツルは頑丈そうなものが生えている。それを使えば縄代わりになる、あと必要なのは寝る土台となるもの。
(大きめの葉があればつなぎ合わせて作れそうだけど)
この周辺にはない。森の中を少し散策する必要があるが、この泉のどの辺までが安全圏なのだろう。
(やばくなったらすぐ泉に近づけば大丈夫かな)
安易な考えかも、でもちょっとだけなら。念の為、護身用の短剣を握りしめ、泉の場所を確かめつつ、少しずつ距離を取っていく。
(それにしてもこの森、どこまで広いんだろう。入口は、もうわからないな)
花の魔物に引きずり込まれたから、入ってきた場所はもうわからない。ここから離れようとすればきっと迷子になってジ・エンド……やはり自分は今の状況でいる他ない。
泉がまだ目視できる距離で離れてみたが使えそうな葉は見当たらず、でも魔物の気配もない。なのでもうちょっとだけと思い、さらに離れてみた時、足が何かに引っかかった。
「――うわっ!」
睡眠不足で体力削れている自分はなすすべなく、転倒。肘を打ったが大事には至らず、立ち上がって何があったのかを確かめる。
「わっ、い、生き物っ?」
足元にいたのは全身毛むくじゃらで緑色のつぶらな瞳をしたボールのような生き物。サイズは猫くらいだが手足がなく、もふもふと動いている。
「な、なんだこれ……」
どうやらこれにつまづいたようだ。見た目は不気味なようにも見えるが目は愛らしい。そして様子を見ていると鳴き声も「きゅ」だった。
(そんな鳴き方、かわいくないわけないっ!)
自分、魔物は苦手だが猫や犬は大好きなのだ。この魔物と犬猫の境界線って何? と聞かれると困るが。この魔物……見た目が魔物っぽくないから。久しぶりに見た“かわいい”に疲弊した心が癒やされていく。
「お前も魔物、なのか? でも、かわいいな」
こんなかわいいに敵意などない。そう思って身体を屈め、なでていたら。
「ぐわ」
鳴き声が「きゅ」から「ぐわ」になった。そして長毛で隠れていた口が“ぐわ”と開いた。その中には牙がぎっしり。噛みつかれたらまず手が千切れそうだ。
「うわぁつ!」
かわいくない! その顔はかわいくないっ! やはり魔物だ!
急いで飛び退いたが、また何かにつまづいて尻もちをついた。その隙を狙って毛むくじゃらの魔物が襲いかかってくる。ここは泉から離れている、安全圏じゃなかったのだ。
(せっかく助かったのに!)
安易な考えをした自分を呪う。いや睡眠不足が原因だ、頭が正常に働かなかったのだ。
持っていた短剣を振るうこともできず、魔物の牙が迫る。ぐわっと開いた口が。かわいいが変身した恐怖が。
もう目を閉じるしかできなかった。
(う……、あ、れ……)
痛みがない。身体のどこにも。
あれ、魔物は? あのキバは?
目を開けるとその理由はわかり、手で口を覆って「あぁっ!」と叫んでしまった。
目の前では毛むくじゃらの魔物が牙を突き立てている。それは自分ではなく、どこかにフラッと出かけていた銀髪の男の腕に。黒い袖の真上から噛みつかれた腕が動かす牙の動きによってさらにえぐられ、血が流れる。魔物だけど人間と同じ赤い血だ。血が地面に滴っていくが服が黒いから袖の汚れはわからない。
「こいつはイーター《捕食者》だ。この森にたくさんいるぞ」
シグリッドは顔色を変えず、イーターの身体を噛みつかれていないもう片方の手でつかむと、優しく地面に下ろしていた。
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