第5話 リンゴは「うまい」
何はともあれ、嫌悪感を全く抱かないのは難しいが。魔物だからと、全てを不快に思ったらバチ当たりだ。
(魔王の息子か……)
どう考えたらいいのか、さっきから自分の頭は疑問だらけだ……いや、彼の素性を考えるだけムダかもしれない。今はどうしたら生きられるかを考えるべきだ。
彼の目的は不明だが本当に自分を助けくれた事実はある。そして弱気の自分に『近くにいれば大丈夫』と言ってくれた。それはあしらわれているわけじゃないことを意味する。
とにかく彼のそばにいれば魔物には襲われない。この先、どうなるかは読めないが今はそれが最善だ。
(魔物のそば……いやいや、そこを気にしちゃダメだ。とりあえず彼に何かを渡せば……生きさせてはくれるかも)
でも自分には何もない。あるのは短剣と腰のポーチに入れていたリンゴの種のみ。
(リンゴか)
不思議な力を持つ彼なら、もしかして色々なことができるのではないか。イチかバチかだ。
「あの、もし、僕のことが邪魔じゃなければ……力を貸してもらえたら、おいしいものが用意できるかも。よければ力を貸してもらえませんか?」
男の目が開き、赤い瞳がこちらを向いた。鋭くて感情が感じられなくて萎縮しそうになったが、負けまいと息を飲んだ。
魔物の味覚は人間とは違いそうだ。でも先程、魔物の血を口に含んだ彼は『まずい』と言っていたから、うまいまずいは感覚が一緒かもしれない。
「そ、そこに植えてみようかな」
リンゴの種を泉から少し離れた場所に植えた。本当なら日も当たらないこのような場所では育たないかもしれないが魔法の力を借りれば、そうとも限らない。
男は起き上がり、座った姿勢で、無表情で、でもかすかに興味ありそうに、こちらをジッと見ていた。
「あ、あの、ここに、種を植えたので。あなたの力でこの種を発芽させて植物を成長させることはできますか? うまくいけばおいしい果物がなるかも」
「……おいしいのか」
「多分、うまくいけば」
おいしい、に少し反応してくれた。魔物でもおいしいものは好きなようだ。
種を植えた場所から自分も離れ、様子を見ることにした。男が手を動かし、小さな光の玉のようなものを手から放たれると。それはフヨフヨと意識があるように浮かんでいた。
(わぁ……魔法、初めて見た)
魔法は習ったり、才能がないと扱えない。村の者は誰一人使える者はいなかったから、初見のきれいな光景に胸が躍る。
光の玉は移動し、種を植えた辺りでパチンとシャボン玉のように割れた。
すると瞬く間に変化が起きる。地面からピョコンと現れたのは植物の小さな新芽、かわいい双葉だ。それが成長していき、どんどん葉が増え、枝分かれし、幹が太くなり、一本の木となった。
「す、すごい」
本来ならかなりの時間をかけ、ゆっくりと育つはずが魔法のおかげであっという間に、枝に赤い実を実らせた。何度も「すごい」が口をついて出ていたが、男は何も思ってはいないようだ。
「魔法ってすごいんですね」
魔法、感動だ。いつもは虫がつかないよう手入れして、しっかり栄養が行き渡るように枝の剪定をして、ここまで育てるのも大変なのに。
試しに実を一つ採ってみた。赤いつやつやしたリンゴだ。
「……味見しますね」
一応声をかけ、丸かじりした。自分の感想は「なるほど」となった。
おいしいけど普段育てているものよりは、ちょっとだけ味が劣る。そこは手間暇かけることによって味や栄養素が上がるのではと思う。まぁ、まずくはない。
もう一個を木から採って男の元へ向かい、手渡した。
「僕がいつも作るものよりは、ちょっとだけ味が違ってますけど、でもおいしいです。よかったら食べてみて下さい」
魔物の口に合うだろうか、それが心配だ。怒り出して消されるかも、緊張する。
男は手に取ったリンゴを見つめ、白い歯を立てて頬張った。あらためて見ると、やはり見た目は魔物らしくない整った容姿だ。長い牙が生えているわけでもなく、鋭利な爪もない、きれいな手指をしている。
(……でも魔王の息子なんだよな……)
シャクシャクとリンゴの音が響き、飲み込まれる。唇についたかすかな味を舌でなめ取っている様子が妖艶で、固唾を飲んで見てしまった。
「……うまい」
ポツリとした感想がもれると一気に脱力し、張っていた肩がストンと落ちた。
(……よかった、口に合ったみたいだ)
男は黙って食べ続け、完食してしまった。幾分か表情がやわらいだようにも見える。
「うまい……久しぶりだ」
おいしいものを食べた時は人間も魔物も変わらないのだ。うまいと言ってくれたことが今の自分にとってはとてもありがたく、追い込まれていた気持ちが軽くなる。自然と自分も表情がやわらかくなっていた。
「喜んでくれたようで良かったです……まだ、あそこにいっぱいありますから」
「お前、あれは、たくさん作れるのか」
男は木になったリンゴを指差して言う。
「はい、作れますけど」
「もっと食べたい」
男の赤い瞳が薄暗い中なのにキラキラとしているようだ。食べたいという、素直で愛らしい欲求。それを叶えるのはかまわないが、ここだと力を貸してもらわなきゃできない。
「いいですけど……魔法、お願いしないとですよ。後は種を探さないと」
「あぁ、いくらでもやれるぞ」
その言葉に胸が高鳴った。この男は自分を排除しようとは思っていない。その言葉の意味は『果物が食べたいから協力するから、ここにいてもいい』……そうは言ってはいないけど、そう捉えられる。
魔物だけど、この魔物は嫌ではない。容姿のせいかな。この魔物は平気だ、むしろ好感が持てるかも。
それはそうと、ちょっと気になるのはリンゴの味だ。
「あの……自分で言うのもなんですけど、僕の作る果物や野菜は本当はもっとおいしいんです。僕が発育段階で
色々やってるからだと思います」
肥料や虫の駆除、気温など。植物の成長にも手を加えるほどおいしくなるのだ。
「さっきのリンゴもそれなりにはおいしかったですけど。やはり一気に成長させたから栄養が詰まってないというか……あの、ご迷惑かもしれないんですが、魔法を少しずつ加えることはできますか? そうするともっとおいしくなる」
「あぁ、できる」
即答だ。その自信の強さは彼がとてつもなく強者という証。
「俺にできないことはない」
なんて頼もしい。そんなに強いのに本当に父の仇を討つ、とかはないのか。魔物なら人間を殺すとか、喰うとか。さっきの花の魔物も喰おうとしてきたのに。その理由までは怖くて聞けない。
今、聞けるのは――。
「あの、名前、聞いてもいいですか? 僕はフォレルです」
「シグリッド」
魔物の王子らしい名前だなと思った。
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