第4話 魔王の息子
しばらくは身体が動かなかった。動かない状態だが目は見える。自分の身体は寝かされ、ずっと薄暗い空間に茂る枝葉を眺めていた。
やがて身体が動くようになり、ゆっくりと起き上がる。まだあちこちビリビリしびれているが指は握れるし、先ほどの水中で冷え切った肌の感覚もあるし、息もちゃんとできる。
(生きてる……僕、生きてるのか)
喉の乾きも癒えていた。魔物に引きずられたから背中や足首は痛むが、その痛みでしっかり“まだ生きている”と痛感できる。
自分が寝ていたのは、さっき沈められた泉のそばだった。どこから湧いているのか不明だが、サラサラと流れる音がするから湧き水なのだ。もう飲んでしまったが、飲んでも問題ないきれいな水のようで辺りも潤っていて、生えている草も青々としてきれいだ。
周りが見渡せるぐらいほんのりと明るいのは、ちょうど真上がぽっかりと木々が穴を開け、日光が差し込んでいるからだ。でも今は日は傾き、暗くなってきている。
(……あっ)
周囲に目を向けていると、なんだかんだと自分を助けてくれた男は泉のそばにある大きな岩の上で寝そべっていた。濡れたはずの衣服はすでに乾いているようで、こんな森の中でも怖いものがないのか、堂々と目を閉じている。
その姿は声をかけづらいが――。
(お、お礼くらいは、言わない……かな)
ゆっくり立ち上がり、男に近づく。だが毒の影響のせいか長くは立っていられず、男からちょっと距離を取って地面に座った。
「あ、あの……さっき、助けてくれた、んですよね。ありがとうございます」
男は一瞬目を開けたが、こちらを見ることなく、また目を閉じてしまった。
……変なやつ、関心がないのか。
「あの、あなたは、怖くないんですか。こんな森の中で……でもずっと住んでるんですか」
筋骨たくましいわけでもない男。けれど、あの巨大な花の魔物を引き裂くことも大人の自分を軽々と持ち上げることもできたのだ。かなりの実力者であることには違いない。
「……僕、ちょっとワケアリで。少し離れた村から出てきたんです。それでこの森の中に来たけど、なにせ僕はただの農家で戦う力はなくて……この森、さっきみたいな魔物もウジャウジャいますよね……」
見ず知らずの人物にどこまで話していいやら。
だがいきなり突きつけられた現実と命がけの騒動のせいか気が動転していて、いつもより、つい話したくなっていた。
「僕みたいなのじゃ、やっぱり生き残れないですよね」
こんなことならリックみたいに腕っぷしを強くしておけばよかった。彼は腕相撲でも負け知らずだった。自分は農業以外は、からっきしだから魔物の出る場所で生き残るのは、かなり難しい……情けないけれど。
「村には戻れないしな……」
と、弱気なことをつい口走ってしまったが。そんなことを言ってたら、この妙な男に煙たがられるんじゃないか。
と思いきや――。
「俺の近くにいれば平気だ」
予想外な答えが返ってきた。
「俺の近くに魔物は来ない」
男は目を閉じ、寝そべったままなのに、すごいことを言っている。確かにさっきから全然魔物の気配もない。
「な、なんで、ですか? 強い、から?」
「魔王の息子だからな、強い」
「……はい?」
今、すごいこと、言った。言葉が不自然に飛び飛びなこの男、普通の人なら言わないことを言ったような。
「魔王……それって少し前に、勇者に倒された?」
「あぁ、死んだな、あいつ」
その話は真実なのか。でも嘘をついている感じはないし、そんな『自分の親父は魔王だ』なんてバレる嘘をつく、まともなやつもいないだろう。
(じゃあこの男の言葉は真実……? だからそんなに何にも動じなさそうなのか? 魔王の息子……)
驚きすぎて恐怖もまだ湧いてこない。
「えっと……あなたは、それが本当なら、悲しくないんですか?」
魔王だとしても父親が死んだのだ。悲しみや倒したやつに対する復讐心はあるかもしれない。
だが男からの答えは「どうでもいい」だった。
「あいつは人間を好き勝手してきた、たくさん殺しもした。復讐されるも道理だ」
つまり魔王は仕返しをされても仕方ない、そういうこと。そんなことを思う魔物がいるのか……目の前にいるけど。
いや、その前に。今、気づいたが。魔王の息子、ということは。
「あなたは……ま、魔物、なんですね」
寝そべる男を見ていたら背中の冷えを感じた。見た目が人間にも見えるので何もかまえなかったが“魔物”という事実に心が危機感を抱く。
自分は魔物が嫌い、だから。
しかし相手は魔王の息子。彼の機嫌を損ねれば一巻の終わりだ。あきらめかけたはずなのに、それでも死ぬのはまだ怖い自分が、現金なやつだと感じる。
(でも、僕を、助けてくれたんだよな……)
そこは解せない。父親を殺した勇者ではないけど、勇者と同じ人間だ。人間なんか嫌いだと思うはずなのに、彼は助けてくれた。
「あ、あの……なんで、助けてくれたんですか。僕、ただの農家なんで、何も差し出せる物はないんですよ……」
魔物が助けてくれるなんて何かしら目的があるに決まっている。そう思い、恐る恐る聞いてみたが返ってきたのは「別に」と言う感情のない即答だ。
(別にって……)
そんなハッキリと。本当か? それとも裏があって勇者に対する人質とか? でもそんな価値はない、むしろ今は人間から追われている。
「……あなたは人間を嫌いじゃないんですか?」
「どうでもいい」
やはり男の答えは早かった。それは迷いがないということ。確かに嫌いなら自分を助けたりしないはず。男の反応や受け答えを聞いていると何が真実なのか、わからなくなる。
(そ、そう言えば……彼とさっき、キス、したんだよな)
思い返すと気恥ずかしくなる。
しかしあれは身体の中に残った魔物の血を吸い出した行為にすぎない。魔物からしたら唇を重ねるなんて、なんの意味はないのだろう。
意識する必要なんてない。
けれど人間はそれを“キス”という愛情表現と呼ぶから。
(魔物にキスされるなんて……)
気にすることはない、と思う方が、なかなかに難しいものだ。
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