第2話 農家からの逃亡者

 村に戻るな、とはどういうことだ。ただならぬ状況なことはリックの険しい表情で察することができる。


「フォレル、村に戻るなっ。殺されちまう」


「なっ――」


 平穏しかなかった村には似合わない言葉にゾッとした。生き残りの魔物でも襲って来たのか。

 リックは「とりあえずこっち」と自分の腕を引っ張り、目立たない茂みの中へと入る。


「レジャス国の騎兵隊がお前を探している。お前を罪人と呼んでいた。捕まったら、きっと……」


 レジャス国の騎兵隊……大陸一の軍事力を誇る精鋭部隊だ。そんなの、こんなド田舎に来たことなんてない。来ること事態が大騒ぎだ。

 自分が罪人、だと……?


「ぼ、僕、何もしてないぞっ」


 幼少の頃はともかくとして、ずっとこの村で農家を営んできた。両親は早くに亡くなったが優しい村人達のおかげでこうして何不自由なく過ごしてきた。魔物なんて倒したこともないし、何か事件を起こしたこともない。


「わかってる、お前は何もしていないさ」


「じゃあなんで騎兵隊が」


「……お前が目障りになったんだろうよ、キトス王子が」


「キトス、王子っ?」


 その名前に再び絶句する。キトス王子……レジャス国の次期国王。そして勇者コスタを慕い、彼に求愛した人物。


「まさか……」


 恐怖で唇が震える。今まで野菜や果物を育てる太陽を見上げてきたのに、目の前が急に真っ暗になったようだ。

 リックは苦しい表情でうなずいた。


「……だろうな、噂が届いたんだろ。勇者さまがどこぞの村に住むやつに求愛してるって。王子からしたらおもしろくないだろうな。プライドの高い方だ、相手を許しておけるわけがない」


 つまりは勇者コスタが一人の村人でしかない自分に求愛してることに、キトス王子が腹を立てて極刑に処す、という結果になった……と。


「そ、そんなの、ないっ。僕は何もしていないのに」


「わかってる、お前は何もしてない。でも王子にとっては、お前はもう存在が許せないんだ。お前は逃げるしかない。だから村には戻るな、逃げるんだっ」


 勇者から求愛された……そんなくだらないことで突然の日常の終わりだ。家には採れたての果物、調理しようと下ごしらえをしていた野菜、町に出荷しようと準備していたものが色々あるのに。天気が良いからと布団も干したから、今晩の布団はフカフカだなと楽しみにしていたのに。


「ボーッとしてる場合か、フォレルッ!」


 親友の呼び声にボヤけていた意識が戻る。ここにも直に騎兵隊が来るぞ、とリックに言われ、とにかく離れるしかなかった。


 何もしていないのに! そんなくやしさに歯を食いしばり、走り出すと。後ろからリックの悲痛な声が聞こえた。


「フォレル、なんとか、なんとかなるから! きっとだ! だから、またな!」


 こんなことになるなんてリックも思わなかっただろう。でもこうして自分のことを案じてくれる、ありがたい存在だ。また絶対に会えることを願った。


 考えも浮かばないが離れるしかない、とにかく村から離れた。森を抜け、平原を抜け、岩地を抜ける。悲しいんだか、つらいんだかもわからない。気づいたら唇がしびれているくらいにずっと引き結んでいた。


 次第に日が傾いてきた。これからどうしたらいいのだろう。よその土地に知り合いはいない、かと言って人目があるところではレジャスの騎兵隊に見つかるかもしれない。


(何もしてないのに……何もしてないけど、王子の気持ちを害してしまったから……)


 理不尽過ぎる、それもこれもあの勇者が原因。それとも勇者に頼んでキトス王子の怒りを静めてもらうのが最善か。


(……嫌だ、そんなの、頼みたくもない)


 解決しない問題を抱えたまま歩き続け、足はとうに限界だ、喉も渇いた。水が欲しいが周りには村も町も何もない平原で、少し離れた場所に見た目にも暗い森があるだけだ。


(森……)


 姿を隠すにはいいかも。そして森があるということは水場がありそうだ。あんな陰気な森に飲める水があるかは、あやしいけれど。

 森に近づくにつれ、異様な空気が漂ってきた。妙に濃い緑色の葉を宿す木々には硬そうなツタがからみ、ムッとする湿った空気が奥から漂ってくる。生き物も住んでいるのだろう、変な鳴き声が聞こえるが小鳥や小動物など、かわいい類じゃなさそうだ。


(深い森なのかな、入って、生きて出られるかな……)


 どちらにしてもここにいても何もできない。腰のベルトにあるのは短剣と、農場の空き地にでも植えようと思っていたリンゴの種のみ。なんにしても水が飲みたいので行くしかなかった。


 並んだ太い木の間を恐る恐る進むと一気に空気が変わった。寒いくらいに涼しく、まるで別世界。植物の匂いが濃すぎて鼻が少し痛かった。


(奥へ、とりあえず……)


 足がぬかるむ。身体のあちこちに枝やツタを当てながら、とにかく奥へ進む。頼むから魔物が出ないで欲しい、魔物なんか見たくもない、喰われて死ぬのなんて一番最悪な死に方だ。


(果汁たっぷりのリンゴが食べたい、食べれるかな……いや、いつか、また絶対に食べるんだ。まだ二十年ちょっとしか生きてないんだ、こんなところで――)


 恐怖に負けたくなくて未来を考えながら進んだ。いつか必ず、また平和に暮らせると信じて。リックも“またな”と約束したんだ。

 そう思って張り出した大きな木の幹をまたいだ時だった。


「うわっ!」


 突然、足を何かに取られた。

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