第37話 愛している

 幸せだと感じた時間は夜が明け、一変した。

 突如、轟音と共に森の木々が振動。ガサガサと枝が揺れ、驚いた鳥達が舞い上がり、茂みに潜んでいたイーターを含めた魔物達が飛び出していく。


「な、何が起きたんだ?」


 膝枕で寝ていたシグリッドも起き上がり、周囲に目をこらす。珍しく彼が警戒しているその様子に起きていることがただごとではないとわかる。


「森の周囲に結界が張られたようだ」


「え、なんのために?」


「俺達が逃げ出さないためだな。この魔力の気配……やったのはあの時の魔法使いだ」


 魔法使いと言われ、思い浮かんだのは――にこやかな笑顔が怖さを漂わす王子。


「……キトス王子がっ」


 なんでと思ったが。理由は色々ある。キトス王子が自分を殺害しようとしたこと、狙っていたコスタがこの森に逃げ込んだこと、この森には魔王の息子達が潜んでいること。


「あと周囲に大勢の人間の気配がする」


 それはおそらくレジャスの兵士達だ。キトス王子はこの森に潜む者全員を捕らえる、もしくは処罰する気だ。


「兄貴っ」


「フォレル、もう身体は大丈夫かっ」


 バタバタと駆け寄ってきたのはバーハとコスタだった。まだ二人とも顔色があまり良くない様子を見ると疲れが抜けきっていないようだ。


「なんかよ、森の外に変な気配がすんだけど……外に人間がウジャウジャいねぇか?」


「実は――」


 バーハに今の状況を伝える。

 すると話を聞いたコスタの顔は一段と険しくなった。


「もしかして……オレが逃げたからかも。オレのこと、つけていたのかもしれない、オレのせいだ」


 罪悪感でコスタが頭を抱える。キトス王子ならやりかねない。魔法で尾行することもできただろう。


「そんな、コスタが悪いわけじゃ――」


 コスタの言葉を否定しようとした。だが自分よりも真っ先にそれを否定してくれた人物がいた。


「そうとは限らない。俺が変身した時に強い魔力が溢れ出していた。この森に異変が起きていたこと、魔力があるやつなら感じられるだろう」


 驚くことにシグリッドがコスタをかばった。シグリッドにしたら、なんら気にすることのない言葉だったのかもしれない。それでも言われた方はとても心が楽になっただろう。

 コスタは抱えていた手を下ろすと「ありがとう」と小さく震える声で言った。


「お前達、結構良いやつらだよな……フォレルが気に入るわけだ」


(何を言ってるんだか……コスタこそ、いざとなれば頼りになるよ)


 そんなことを思っていると。コスタは深く息を吐いてから「よしっ」と気合いを入れた。


「グダグダ言ってる場合じゃないな。オレにも責任はある。だからキトス王子のところに行ってくる。この様子じゃ、多分森の外に陣営を築いているだろう」


「そんな、コスタ、危険だろっ」


 また捕まるかもしれない。コスタを止めようとしたが彼の決意は固かった。


「大丈夫だって。オレは勇者なんだぞ? なんだったら、昨日フォレルの大好きな第二の魔王も倒しちゃったんだからな、あははは」


 コスタは余裕があるように笑い、腰に下げた剣の鞘に手を当てる。


「心配すんな、フォレル。オレが守ってやる……って、こういうこと言うと、またシグリッドがヤキモチで暴れ出すよな。でもその方が大軍を退けられていいか?」


 憎まれ口を叩くコスタに「バカ勇者がなーに言ってんだか」とバーハも笑った。


「昨日のことでへばってるくせに。お前の力だけじゃ心細いから魔王の弟であるオレもなんとかしてやるよ――なぁ兄貴?」


 バーハはシグリッドと目線を合わせるとニッと笑った。その表情はいたずらを企む子供のようだ。


「フォレル、オレも兄貴もフォレルのことが大好きだ。フォレルと会ってからオレはたくさん笑えた、リックとかバカ勇者とか、ムカつくやつとたくさんケンカもできた。うまいものも食えた」


 思い出を語るようなバーハの口調に、息が詰まるような切なさを感じた、バーハとこれで、もう会えなくなるような。


「バーハ、なんだよ、なんか変なこと考えてんならやめろよ……」


「なんだよ、フォレル、ビビってんの? 心配すんなって。オレに任せときなっ」


 止めようとしたが、バーハはあっという間に空中へ飛び、枝葉の奥へと消えた。同時にコスタが「オレも!」と言って駆け出した。


「ちょ、ちょっと! 二人ともっ」


 どうしよう、とりあえず空中は飛べないからコスタについて行こうとしたが、それは腕をつかんだ手に阻まれた。


「な、に――」


 言葉を出そうとしたら、今度はそれも阻まれた。突然迫った、シグリッドのキスによって。


「な、なんだよっ、急に、わっ 」


 キスが離れたと思ったら身体を引き寄せられ、抱きしめられた。いきなりのぬくもりが鼓動を速くさせ、息が苦しくなった。

 同時にバーハの時と同じ、嫌な感じもした。


「……胸の奥が痛い。 お前を抱きしめたら治るかと思ったが余計に痛くなったな」 


 さらにギュッと力を入れ、抱きしめられる。


「だけどお前を守りたい。お前がどこかで命を落とすこと、お前がまた泣くこと、お前が恐怖することから、お前を守りたい。そう思うと、この痛さがなくなる、絶対にそうするという気になれる」


 何をするつもりなのだろう。彼が発する言葉の意味は……彼が何かを決意しているということ。自分を守るために何かをしようとしている。胸が痛くなる何かを、バーハと共に。


「……嫌だ」


 守ってくれなくてもいいと思って、そう言った。


「君は何か、僕が望まないようなことをしようとしている。でも君はそれが正しいと思っている、そうしたいと思っている……なぁ、僕が望むのは君と一緒にいることだ。君とこの森でリンゴを育てながら一緒にいたい」


「俺もそう思う」


 嬉しい答えだ。自分のこの想いが叶ったと思える、飛び上がるほど嬉しい答えなのに――。


「だが俺にできることはお前の全てを取り戻すことだ」


 そう言って自分の背中に触れるシグリッドの手のひらがとても熱くなった。背中から自分の中に何かが注ぎ込まれているのがわかる……これは魔法?


「お前に生きていてほしい。そう思ったのはお前が初めてだ。愛している……人間の気持ちで言うとそういうものだろう、とバーハが言っていた。フォレル、俺はお前を愛している、だから生きてくれ」


 嫌だ、やめろ。

 そう言って抗いたかった。

 だが注ぎ込まれた魔法が自分の意識を飛ばしていく。同時に身体の周りが何かに包まれていく。

 これは彼の魔法のバリアだ、どんな攻撃からも守ってくれる。


(何をするつもりなんだ……嫌だ、行くな、シグリッド……!)


 せっかく嬉しいことを言ってくれたんだ。このままそばにいてくれたら一番いいのに。

 それなのに彼は何かのために、離れていく。背中に手のひらの。身体に抱きしめた時の。唇にキスの余韻だけを残して――。


(シグ、リッド……待っ……)


 途端に涙が出てきたが、そのまま意識も薄れてしまった。

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