第12話 赤い瞳の奥

 剣を向け合っていた二人は同時に自分の名前を叫んでいた。二人の姿は眼下へ――遠く離れていく。それとは反対に自分の身体は魔法にでもかかったかのように、上へと上へと、上がっていく……いや、違う、運ばれているのだ、上へと。


「な、なんでっ?」


 視線を下ではなく、上げてみると。すぐそこには無感情の赤い瞳があった。その人物は人並み外れた能力で自分を横抱きにしたまま、魔力で上昇し、高い木の枝の上で止まった。


「フォレルッ!」

「フォレルさんッ!」


 下から心配そうな声が聞こえる。

 だが二人はこんな高い場所まで上がってくることはできない。


「シ、シグリッドッ」


 なんでこんなタイミングで……いや、助かったけれど。驚きと、胸の痛みのせいで少し声がかすれてしまう。


「傷か」


 赤い瞳は胸の傷を捉える――当たり前か、目立つから。


「少し待て」


 そう言うと自分の背中に回っていたシグリッドの手が動いたのがわかった。背中から体内へ、何やらすごくあたたかいものが流れてくるのを感じる。それは傷のある胸を中心にジワジワとその場に留まり、やがて消えた。

 すると痛みも消えていた。この状態なのでシャツをめくって確認できないが、おそらく傷は治っている。


「あ、ありがとう……」


 これで助けてもらうのは何度目だろう。感情は薄くても、こうして助けてくれることには感謝なのだが。

 シグリッドは相変わらず無表情のまま、チラッと赤い瞳を下に向けた。


「あいつら、面倒なら二人とも消してやるが、どうする」


 不意にきた物騒な発言に背筋がゾッとする。間違って適当に『はい』なんて言おうものなら勇者も友達も一瞬にして消されるので、慌てて首を横に振った。


「ダ、ダメだよ、シグリッド! それはやらなくていい」


「そうか」


 あっさりと短い返事。納得してくれるのは早く、そして諸事情には全く首を突っ込まないのが彼の良いところかもしれない。


「お前の友人の前にいるやつ、大きな魔力を持っているな」


「え……わ、わかるんだ」


 友人の前にいるやつ――勇者のことだ。さすが魔王の息子にはわかるらしい。でも彼が勇者だとバレたら、まずいだろうか。


「あいつが勇者なのか、魔王を倒した」


 そんな心配も虚しく、すでにバレている。こちらは背筋に嫌なものを感じたが、シグリッドはそうでもなさそうだ。


「それでどうする。あいつら」


「ど、どうするって……ねぇ、シグリッド。君はあの勇者の存在を知っても冷静でいられるのか? 怒るとかないの?」


 シグリッドの赤い瞳は眼下にいる勇者を再び見てから、ゆっくりとこちらを向く。そのゆるやかな瞳の動きに胸が高鳴る。よく見れば今、シグリッドに抱えられているし、身体は密着しているし、あの勇者から見たらとても腹立たしい状況になっている気がする。

 いやそれよりも、勇者は魔王を倒した存在だ。それに対して彼は微塵も、何も感情はわかないのだろうか。


「別に」


 答えは予想通り。ただ――。


「だがお前を無理に連れてこうとしているように見えた。お前は嫌なんだろう」


 こちらを気づかってくれるような言葉に「え?」と赤い瞳を見返す。


(な、なんでそんなことを)


 自分が行きたくないから、シグリッドはこうして助けてくれたのか……? 自分が彼においしいものを作ってるから? シグリッドにとってはそれくらいのメリットしかない存在ではあるだろう。


(でも……そんなふうに、見えたのか)


 それでもシグリッドの言葉は胸を熱くさせた。何も気持ちを動かすことはなさそうだけれど、彼は常にどんな感情を抱いて日々を過ごしているんだろう。

 赤い瞳の奥にあるものが気になる。そんなふうに思い、思わず彼の肩をつかんでいる手に力を込めていた。


「とりあえず、離れるか」


「わっ!?」


 そう言うと身体が再びフワッとした。焦っていると、シグリッドが自分を抱えたまま空中浮遊のように移動し始めた。


(ひぃ、魔物って空も飛べるのかっ!?)


 いや、シグリッドだからかも……あっ、下にイーターを置いてきてしまった。多分、勇者に倒されることは、もうないと思うが無事でいてくれればいいけど。


 しばらく森の中を移動するとシグリッドは木の上から降り、地面に降ろしてくれた。それなりに体重のある自分を抱えて移動したのにシグリッドは疲れていないようだ。


「あ、ありがとう……」


「あぁ、だがまだだな」


「え? ――うわっ」


 突然、身体の周囲に、自分を取り囲むように回転しながら、ガラスのようなものが出現し、カチンと固まった。触れてみるが閉じ込められたわけでなく、手は通り抜けられる。バリアのようなものか。


「下に降りたのはお前に結界を施すためだ」


「な、なんの?」


 急に何を言ってるのかわからず、頭に疑問符が

浮かぶ。そんなオドオドした自分とは対象的にシグリッドは冷静――笑わず、怒らず、驚かず。

 だがシグリッドの語る、その理由はすぐにわかった。


「ここが騒々しくなる。その隙にお前を連れて行かれては困るからな」


「――っ!?」


 驚いて声を出す間もなく、シグリッドの目の前には鉄製の刃が振り下ろされていた。シグリッドはそれを腕で食い止めている。腕と刃がぶつかった瞬間、硬いものがぶつかったような音がした。


(な、何っ!? 何があった!?)


 まだ自分には状況が飲み込めていない。シグリッドは腕を振るい、刃を弾き飛ばすと反対の手を、空間を裂くように縦に動かした。

 すると空間から黒い剣が現れ、シグリッドの手に収まる。黒い剣は瞬時に振るわれ、今度は腕ではなく、黒い刃が再び降ろされた鉄の刃を受け止めていた。


「お前、魔物かっ!」


 鉄の刃を二度も振り降ろしていたのは勇者コスタ。今はシグリッドの黒い刃に剣を阻まれ、驚きに歯を食いしばっている。移動した自分達をあっという間に追いかけてきたのだ。


「お前に見覚えがあるっ! 何者だ、フォレルさんをどうする気だっ!」


 あぁ、まずい。とてつもなく不安に陥る。


(シグリッド、名乗っちゃダメだ、適当にごまかせ。君のことを勇者に知られたら殺されかねない、ダメだ、そんなのっ……)


 しかしシグリッドにとって己を知られることなど、どうでもいいことなのだ。


「見覚えがあるとすればお前が倒した魔王のせいだろう。あれは俺の父だからな、一応は」


 恐れていた事態は、あっという間に起きてしまった。

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