第17話 豹変勇者
「……?」
心がさびしくなることを考えていたら。
ふと、すぐそばに誰かの気配を感じた。
振り返るとそこにいたのは――。
「……」
無言で、無表情で。立っているだけのシグリッド。何か言いたいのか唇は引き結んで、宝石のような赤い瞳がゆらめくことなく、そこにあるだけだ。
「……シグリッド、どうした?」
いつから、そこにいたんだろう。自分と弟の話を静かに聞いていたのか。それを聞いて何か考えていたのか。
シグリッドは何回か瞬きをした後、赤い瞳を伏せた。初めて見るその仕草に、彼が何かに戸惑っているような……そんな気がした。
「シグ――」
どうしたの、と口にしようとした時、シグリッドが先に口を開いた。
「お前は悲しいのか」
予想もしなかった問いに目を見開く。
悲しいのか、なんて……普通は問われない言葉だ。相手が悲しく見えるなら、あえて聞きはしない。相手が元気が出るまで、気づかって言動を控えるのが普通だと思う。
でも彼は問う……相手を気づかうことができないから? ――いやきっと違う。彼は純粋だから。
「……なんで?」
その問いの意味を知りたくて反対に聞き返してみた。シグリッドの瞳はまた瞬き、そして伏せられる。
「笑ってないから」
そう言われ、驚いた。笑ってないから悲しい。自分が今、悲しんでいる。シグリッドはそう判断したのだ。それは彼なりに感情というものを理解しているということになるんじゃないか。
確かに今は笑える気分ではない。二人の生い立ちを聞いて心苦しくなっているから。
でもそれを『かわいそう』と口にしたところで二人は何も思わないだろう。バーハは相手が気に食わないという怒りの感情はあるみたいだが、シグリッドには何もないのだ。
こんなに裏表のない、不思議な気づかいができるのに。
「なぁ、シグリッド……君こそ笑わないのか」
彼は一度も笑ったことがないと思う。そう思うととても不憫だ。
「シグリッドが一番楽しいと思う時ってどんな時なんだ」
「俺が?」
赤い瞳の瞳孔が、ほんの少し見開いた、ような気がする。
『そんなものない』
シグリッドならそう言うかなと思った。
しかし、今日の彼は予想外なことばかりを言う。
「俺は笑ったことがない。笑う時がどんなことなのか、俺にはわからない……だがここ最近は苦しくない」
「え……」
「お前がいるようになってから苦しくない」
そう言ってシグリッドの手が伸びてきた。冷たい手の平が片方の頬に触れている。冷たさと驚きに息を飲んでいると、彼はいつもの無表情で言った。
「お前が作るリンゴはうまい 。お前がやっていることを見るのはつまらなくない。お前が作ってくれたハンモックも寝心地が良い。お前の行動はジッと見ていられる」
色々な言葉が返ってきた。一つ一つが胸に染み渡り、嬉しくて自分の瞳が震えるのがわかった。
(それは全部良い意味で捉えていいのかな)
つまらなくない、見ていられる……彼にとって自分はプラスな存在になっている、ということでいいのかな。
「兄貴が珍しく色々しゃべってんな」
胸の高鳴りにウズウズしていると、バーハが口を挟んできた。彼も笑ってはおらず、不機嫌そうだが話し方に怒りは感じない。案外バーハの方が若い分、感情が出始めたら起伏は激しい気もする。
(色々、複雑な兄弟だ……でも僕を受け入れてくれているってこと、かな)
ちょっと安心だ、いやちょっとというよりはだいぶ嬉しい。
だってすごい存在達に、そばにいることを許されているんだ。追い詰められていた自分にとって本当にどれだけ安心できることか。
「じゃあ二人のために僕はしっかり果物や野菜を育てようかな」
そう言うと二人の赤い瞳が同時に動き、自分を捉える。なんだか気恥ずかしかったので「じゃあ向こうの手入れしてくる」と言って、その場を離れた。
先日シグリッドに『森の中の広範囲に、俺の力を強くしたから少し離れても安全になった』と言われ、魔物が襲ってこない範囲が広がったのだ。
(本当に魔物なのに良くしてくれるんだな……)
それがわかると恩返しをせずにはいられない。魔物だからという嫌悪もほぼ薄れており、彼のことをもっと知りたいと思う自分がいる。それが不思議でもあり、胸が弾む自分がいる。
(シグリッドのことが怖くない、そして嫌いじゃないんだ。バーハのことも……二人のことがもっと知りたい)
そんなことを思いながら、泉から離れた畑の手入れをしていた時だ。
「フォレルさん……楽しそうだなぁ」
しゃがんでいた体勢から顔を上げると、そこには数日ぶりに見るコスタの姿。
勇者さまだっ、と一瞬身構えそうになったが(そうだ敬語なしだった)と、すぐに思い直した。
「コスタ、戻っていたのか。もうバーハと戦うのはやめてくれよ」
ここで暴れたら畑もぐちゃぐちゃになってしまう。それに無意味だ、二人が争うことは。
「でもさぁ、フォレルさん、あの二人と話している姿がすごく楽しそうだ……特にシグリッド。ねぇ、フォレルさん、あいつは魔物なんだよ。フォレルさんは魔物のことが嫌いだったじゃないか。だからオレはあなたのため、魔物はこの世から消せるように強くなって魔王倒したのに」
コスタの、身体の横に置かれた手が握りしめられる。その様子に違和感を覚えるが、彼の発言に気持ちがざわついた。
ちょっと待って、今変なことを言っていたような。
「僕のため? なぜ君が――」
「やっぱり思い出せないんだ――ねぇ、フォレル、ダメだって、そんなの」
しゃがんで見上げていた体勢でいたら、何かが自分を抱きしめた。力強い腕、そう簡単には解けないとわかる抱擁。何かを耐えているかのような深いため息が、顔のすぐ横で吐かれている。
「なんで……なんで忘れているんだ。なんでオレのことも、あの時の約束も思い出せないんだ。オレはずっと忘れなかった……フォレルが怖いって言うから魔物を退治して、魔王もやっつけたんだ。全てが終わったらフォレルと一緒になれると思ったから」
それなのに、それなのに……と、コスタから発される、くやしげな言葉。頭が混乱してくる。胸のざわつきが増していく。
彼は何を言っているのか、またいつもの突拍子もない言動か。それにしてはコスタの声が低く、妙な気迫にゾクッとしてくる。
(思い出せない? 忘れている? 僕が、何を)
ざわつく自分にたたみかけるように、コスタは語調を強くした。
「あなたは――アンタはオレの幼馴染なんだよ! 小さい頃一緒だったんだ。オレはその頃から、アンタのことが大好きだったんだよ!」
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