第30話 好きは「複雑」

 聞き方としては色気も何もない。本当は好きか嫌いかと聞いてみたいが、その聞き方は偉そうで嫌だ。だからそんな聞き方をしてみたものの、彼は『わからない』とか言いそうだ。


「――な、い」


 けれど、そんな心配はなかった。


「――じゃない」


「ん?」


「嫌、じゃない」


 その答えだけで十分だ。空っぽだった自分の心があたたかさに満たされていくのを感じた。


(嫌じゃない、か……)


「――安心した」


 本当は直結に『会いたかった』とか言ってくれたら、と思うのは欲張りだ。シグリッドはこれでいい。これが彼の気持ちだ。


「そう言ってくれて、よかった」


 そう答えると彼は首を横に振った。


「いや……わからない」


 急に予想通りの言葉に変わり「そっか」と、こちらも苦笑いに変わる。そうだよな……と内心で落胆と納得をしていたら。今度は「違う」とシグリッドは言った。

 なんだかわけがわからない返答に疑問を抱いていると、彼の眉間のしわがさらに深くなる。


「違う……なんて言ったらいいか、わからない」


 あぁ、そっちか、と再びの納得。


「前にお前が言っていたから……俺といると落ち着く、安心できると。それは好きなんだということだと」


「あ……うん、そう、だったかな……?」


 前に言ったことをそんな言葉でぶり返されると、ものすごく自分は恥ずかしいことを言ったなと顔が熱くなる。シグリッドだからいいが、リックだったらずっと突つかれるネタになる。


「そ、それで?」


「俺も、お前がいると落ち着く」


「――っ」


 それは同じ意味を、返したいのか。同じ意味と捉えていいのか。

 シグリッドは眉間のしわをスッとなくし、己の気持ちが整ったようなスッキリした表情――つまりはいつもの無表情になった。


「……お前が来てから何もなかった毎日に変化が起きた。お前の行動は興味深い、ずっと見ていてもいいと思う。うまいリンゴも寝心地の良いハンモックもくれた。お前は俺に変化をくれた。もっとそれを味わいたい、お前がいなくなったら俺はまた寝ているだけだ」


(い、今でもよく寝ているけどね……)


 なんて意地の悪いことを考えてしまった。

 だがシグリッドが一生懸命に己の気持ちを伝えてくれている。そして自分の存在を認め、欲してくれている。


(なんだか遠回しだけど、けど……ムズがゆい、な……)


 心は喜んでいる。いると落ち着く、それは好き……そう思われている、と思う。


(それでいいじゃないか)


 再び口角は上がる。


「そう言ってくれて嬉しいよ」


「お前は嬉しいと笑う……嬉しいは良いことなんだな」


「そうだよ、君と一緒にいられて僕は嬉しい。だから君が好きなんだ」


 好きという気持ちが返ってこなくてもいい。その表現がなくても彼は自分を大切にしてくれている、それはわかっているから。


「す、き……すき……あぁ、好き、だな」


 シグリッドから苦しげな表情は消えていた。“すき”という言葉を確かめるよう、彼は何度もその言葉を口にしている。


「あ、あんまり言うなよ。恥ずかしいから」


「嬉しいけど恥ずかしいのか、複雑だな」


「そうだよ、好きは複雑なんだよ」


「じゃあ俺も今、複雑だ」


 言っている意味は、もちろんわかっていないのだろう。自分に合わせてくれているのだろうが、それでもいいと思う。


「どうして僕をこの場所に連れてきてくれたんだ。凍ったリンゴを見せたかったのか」


「……リンゴ」


 シグリッドは凍ったリンゴを見て、まばたきする。何を言おうか考えているようだ。感情がないのも不便だろう、伝えた方がわからないのだから。


「リンゴは……うまいから好きだ。そしてそのうまさを教えてくれた、お前に、思い出させようとした。俺と会った時のことを」


「思い出してほしかった、のか?」


 赤い瞳が戸惑いながらも縦にうなずく。


「多分な」


「ふふ、そっか」


 淡々と話す姿が愛おしい、そう思っていると。


「好きだ」


 突如つぶやかれた言葉に目を見開いた。


「あ、いや、好き、が……わからないが。きっと俺はお前が好きだ。だからそばにいても苦しくない、離れたら苦しかったから。離れない方がいい」


「……そういう時は『離れたくない』って言うんだ」


「そうか、じゃあ“離れたくない”、お前と」


 感情はない、わかっている。もし彼にその気持ちが芽生えてきているのなら、とても嬉しいけど。その芽吹きを自分が育てることはできるのか、現魔王である彼を自分なんかが。


(好きだ。僕はシグリッドが好きだ……だけど、この気持ちは彼のためになるのか……? 彼を苦しめるだけじゃ――)


 迷っていると前から腕が伸び、自分を抱きしめた。寒さに冷たくなっていた身体が急にあたたかさに包まれ、肌がビリビリとした。


「な、なにっ?」


「バーハが言っていた、好きなら抱きしめてやるもんだと」


 シグリッドがギュッと力を込める。途端に心臓が飛び上がる。


(またバーハが変なことをっ)


 というより、バーハの方がそのへんの知識があるのが不思議だ。外の世界を飛び回ってるから見聞が広いのか。

 シグリッドは程良く力を入れて抱きしめ、耳元に顔を寄せる。緊張はしてないようだ、こっちばかりが緊張して、なんかくやしくもある。


(こんなに好きになっちゃって……くそ……でも好きになっちゃったんだよ……)


 ぬくもりの中で歯がゆい気持ちでいると耳元で名前が呼ばれ、身体がビクついた。いつも『お前』と呼ばれることが多く、名前で呼ばれ慣れていない。


 なんだと思って顔を上げるとシグリッドの顔が近づき、唇が重なった。逃げようとした身体は、逃がすまいとするかのように、彼に抱き留められている。

 これもきっと弟の入れ知恵だ。こんなことまでされたら本当に彼から離れられなくなる、本当にずっと一緒にいたいと願いたくなる。


(彼のためにはならないかも、そう思うのに)


 身体は、気持ちは、彼を求める。


「全く、もう……わかっていないのに、君は……」


 唇が離れた時に文句を言うと、彼は「怒っているのか」と首をかしげた。


「怒ってはいないさ。怒ってないけど複雑なんだ」


「複雑なのか」


「そうだよ、好きは複雑なんだよ……」


 愛おしくて嬉しくて苦しくて本当に、どうしたらいいのかわからなくなるぐらい、複雑だ。

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